3-3 ピントの奥

 ファインダーを覗いていると、ときどき世界が“閉じて”見える。

 視界の周囲が暗くなり、中心だけが強調される。

 それは対象を捉えるための構図であり、同時に、自分の視点の限界でもあった。


 結城駿介は、校庭の外れにある桜の木の下でカメラを構えていた。

 風はない。光も申し分ない。

 被写体は、部員の今井が立っている。いつものように、頼まれたポートレート撮影だった。


 「……はい、ピース」

 今井が明るく笑う。シャッター音が響いた。


 だが、撮れた写真にはどこか“空虚”があった。

 ピントも合っている。光の加減も完璧。

 けれど──心が、どこにも写っていなかった。


 「先輩、どうしたんです?」

 「……いや。もう一回、こっち見て」


 駿介はカメラを下ろし、数秒だけ風を待った。

 そのとき、今井がふと、髪を押さえるようにうつむいた。

 ──その瞬間、シャッターを切った。


 撮れた写真には、何かがあった。

 表情でも、構図でもなく、その“隙間”に漂う空気。


 (これだ)

 駿介はそう思った。


 「一番いい写真って、笑顔のときじゃないんだな」


 今井はちょっと驚いた顔をしたあと、少し照れくさそうに笑った。

 「……なんか、ズルいっすね。そういうの撮られると」


 駿介は答えなかった。けれどその反応こそが、彼の中の“確信”になった。


 写真は、写るものだけでできているんじゃない。

 その人が、見せようとしなかった一瞬。

 その場にあった“言葉にできない気配”を、偶然にもすくいあげてしまう。


 技術を追ってきた。

 構図、光、レンズ、被写界深度。

 けれど、“心のピント”がずれていれば、それはただの絵だ。


 「先輩……展示のテーマ、決めました?」

 今井の声に、駿介は小さくうなずいた。


 「“ピントの奥”。……見えないものを撮るって、どうかな」


 今井は目を丸くしたあと、嬉しそうに頷いた。

 「いいじゃないですか。“写ってないもの”って、前言ってたやつとつながってますよね」


 そうだ。

 それは、真央の描いた“にじみ”の絵ともつながっている。

 蓮のAIが、なぜか“感情”を孕んだ絵を生成してしまったように。

 見えない何かが、人の表現には、確かに“にじむ”のだ。


 ピントを合わせすぎると、見えなくなるものがある。

 だから駿介は、少しだけブレた世界を信じてみることにした。


 シャッター音が、空に溶けていった。

 春の始まりを告げる、柔らかな音だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る