🔹第3章:葛藤の中の対話

3-1 名前のない会話

 図書室の窓際は、午後の光がやわらかく差し込む場所だった。

 誰も声を出さない静かな空間。だけど、本のページをめくる音や、カーテンが揺れる気配が、音楽のように流れていた。


 斉藤真央は、ある詩集を手にしていた。

 詩の一節が目にとまる。


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「名前のない風が、頬をなでた

 それは、何も言わずにすべてを教えた」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 そこに、不意に現れた影。

 隣の椅子が、音もなく引かれる。


 「その詩……いいですね」


 静かな声。振り返ると、そこには天野蓮がいた。

 制服の襟が少し乱れていて、髪が少しだけ濡れている。どこか、ひとつだけ現実から浮いているような存在感。


 「……読んでたの?」


 「たまに。詩は、文脈がなくても意味が残るから。……AIが扱いやすい」


 真央は思わず、小さく笑ってしまった。

 それは、AIへの皮肉でも、技術への反発でもなかった。むしろ、自分とはまったく違う角度から言葉を見つめている人がいるという驚きに近かった。


 「私たち、ちゃんと話すの……これが初めて、ですよね」


 蓮は少しだけ視線を下げて、頷いた。


 「でも、前から絵は見てた。……あの“にじみ”のある風景画、僕には描けない」


 不意に、その言葉が胸に刺さった。

 褒められたことに戸惑ったのではない。

 彼の「僕には描けない」という言葉が、どこか“痛み”を含んでいたからだ。


 「私も……あなたのAI、怖かった」


 蓮は少し驚いたように目を見開いた。

 真央は続ける。


 「あの肖像画。顔がなくて、なのに目だけあるような気がして。感情があるのか、ないのか……わからなくて」


 蓮は、机の上に視線を落とした。

 長い間、言葉を探していたようだった。


 「それ……僕が、初めて“詩的データ”を使って生成した作品だった」


 「……詩的データ?」


 「うん。詩集、小説、日記、音声……“感情があるとされる文章”を学習させて、AIに“曖昧さ”を与えた。でも──曖昧さは、怖くなることもあるらしい」


 その言い方が、とても静かで、どこか苦しそうで。

 真央は、ふと感じた。


 蓮は、答えを知っている人じゃない。

 答えを“探している”人なんだ。

 自分たちと、何も変わらない。


 「……あなたのAIって、泣いたりする?」


 真央の問いに、蓮はふっと息を吐いた。

 それは、感情ではなく、観察のための深呼吸のようなもの。


 「しない。でも、“涙”の定義はデータにある。

 誰かの詩の中で、涙は悲しみとつながってる。だから、AIも“涙”の文脈を学ぶことはできる。


 でも……それを見て、“本当に泣いた”って思うのは、人間のほうだ」


 「だったら──

 “描く”ことも、“撮る”ことも、“つくる”ことも、

 結局、“感じる側”が決めるんだね」


 蓮は目を閉じる。

 光が、その瞼のうすい影を浮かび上がらせた。


 「それが、怖いことでもある。

 僕がつくるものが、“感じられない”って言われたら──

 それは、僕自身が“存在してない”って言われるみたいで」


 真央は、何も言えなかった。

 でも、そのとき、彼女は“技術の向こうにいる人間”を、初めて見た気がした。


 だから、言葉を選ばず、ただ率直に口にした。


 「私……あなたの作品、まだ全部はわからない。

 でも、“感じた”ってことだけは、本当だと思ってる」


 その言葉が、蓮の表情をわずかに変えた。

 表情と呼ぶには足りないかもしれない。

 けれど、そこにわずかな光の揺れが確かにあった。


 図書室の時計が、静かに時を告げる。


 ふたりの間には、名前のない会話が流れていた。

 それは説明ではなく、納得でもなく、ただの共有。


 答えのない問いを、互いに持っているということだけが、唯一の共通項だった。


 それで、十分だった。


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