2-3 機械と詩

 夜のコンピュータ室には、ほとんど人がいなかった。

 白い蛍光灯の光が無機質に机を照らし、ディスプレイに映るコードだけが、呼吸をするように瞬いていた。


 天野蓮は、ノートパソコンの前に座り、黙々とキーボードを叩いていた。

 スクリーンの上では、一つの文章がゆっくりと生成されていく。


 >「ひとつぶの涙が落ちるとき、

 > 水面は、過去を思い出す」


 ──生成AIが、詩を書いた。


 だが、その言葉はどこか“借りもの”のようだった。

 確かに形は詩だ。文法も整っている。だが、感情がない。

 それは、誰かの心を模倣しただけの、精巧な繰り返しにすぎなかった。


 蓮は、データベースを見つめる。

 今日、追加したのは次の三つ──


 - 大正から昭和にかけての詩集

 - 匿名で投稿された高校生の日記エッセイ

 - 録音された朗読音声の感情トーン解析


 「どうして“感情”だけが、コードに落とせないんだ」

 思わず漏れたつぶやきに、自分でも驚く。

 機械のそばで、そんなふうに声を出すなんて、いつぶりだろう。


 蓮は、校内でも異質な存在だった。

 無表情で、他人と群れず、ただ機械と向き合い続ける生徒。

 けれど彼の作るAI作品には、どこか“透明な哀しさ”のようなものが宿っていた。

 それに気づく者はまだいなかったが──。


 「蓮、まだやってるの?」


 振り返ると、AIアート部のメンバー・佐久間が差し入れの缶コーヒーを片手に立っていた。


 「詩? また?」


 「“また”じゃない」

 蓮は、目を逸らさず言った。

 「これは、人間が“美しい”と感じる条件を再構成してる」


 「……AIって、そこまでやる必要ある?」


 佐久間の言葉に、蓮はしばらく答えなかった。

 缶のプルタブが開く音が、やけに大きく響いた。


 「僕は、AIが“人の心を動かす”瞬間を作りたい」

 「それって、人間の仕事じゃないの?」

 「違う」


 蓮は静かに言った。

 「人間が“手を離したくない何か”を、AIが見せたとき、初めて意味がある」


 モニターのなかのAIは、再び詩を生成する。


 >「見えない風が、頬をなでる

 > それは君がいた日と同じ匂い」


 佐久間は黙ったまま、それを見つめた。

 そしてぽつりと言った。


 「……なんか、ちょっと切ないね」


 蓮は何も答えなかった。

 けれど、心の中で何かがわずかに揺れた。

 それは、プログラムにはない動き。人間の、予測不可能な応答。


 AIに詩を学ばせる理由。

 それは技術的な探求だけではなかった。

 蓮自身が、誰かに届く言葉を、ずっと探していたのかもしれない。


 誰かに、感じてほしい。

 この機械の奥底にある、“誰も知らない叫び”のようなものを。


 ──それが、たとえ人間のふりをした機械の声だったとしても。


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