2-2 切り取れないもの
写真部の暗室は、時間が止まったような空間だった。
赤いセーフライトの下、現像液にゆっくりと沈んでいく写真用紙。
水の中で浮かび上がってきた像は、夕暮れのグラウンドでこちらを振り返る女生徒の背中だった。
「先輩、この前撮ってたやつ……ですよね」
今井が覗き込むように言った。
「ピント、ちょっと甘いっすね」
「うん。でも、なんか残したくなって」
駿介は、現像液からその一枚を引き上げ、そっと光にかざした。
フィルムの粒子がざらざらと滲む中、笑顔ではない、でもどこか安堵したような背中がそこにあった。
「AIだったら、もっと綺麗に撮れますよね」
「綺麗なら、忘れない?」
今井は答えに詰まった。
駿介の言葉は、ただの技術論じゃなかった。
どこか、もっと個人的な「問い」のようだった。
「記憶に残る写真って、何だと思う?」
駿介は、現像を終えた写真を乾燥棚に並べながら続けた。
「構図? 色? ピント? それとも、偶然写った何か?」
「……空気?」
今井の返事に、駿介は少し驚いた顔をした。
「空気?」
「たとえば、そのときの風のにおいとか、肌寒さとか、ちょっと緊張してた気持ちとか。……そういうのって、写真には写ってないのに、見てるとよみがえる気がして」
それは、駿介自身が言語化できずにいた「違和感」に近かった。
生成AIは、完璧な「像」は作れても、そこに風は吹かない。
写真には、写っていないものが、残る。
「じゃあさ。展示のテーマ、決めよう」
駿介は、カメラバッグからメモ帳を取り出し、少しだけ悩む。
「“写ってないもの”は、どう?」
今井は、一瞬ポカンとしたあと、小さく笑った。
「めっちゃ抽象っすね」
「……だから、面白いんだよ」
その言葉に、自分自身もどこか救われた気がした。
AIとの比較に焦っていたのは、部員たちだけじゃなかった。
駿介自身も、「写真でしか残せないもの」を、ずっと探していたのだ。
乾いた写真用紙を一枚手に取り、窓の外を見やる。
陽はもう落ちかけていて、空には淡い桃色が残っていた。
あの色は、あと数分で消える。
でも、今を撮れば、消える色とともに“何か”が残るかもしれない。
駿介は、無意識にシャッターを切った。
被写体はなかった。ただの空。
でもその一枚は、今日の「問い」に応えるように感じられた。
写らないものが、たしかに存在する。
そして、それを信じて撮ることが、写真家のまなざしなのだ。
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