第13話 本当の敵(前編)

最寄り駅前のドトールで時間を潰していた。


社内研修で使う本を探しに行く途中、立ち寄っただけだった。

カウンター席でアイスコーヒーをすすっていると、不意に声がかかった。


「よう藤原!」


顔を上げると、そこに高木がいた。


「ああ、マジか……久しぶりだな」


近くの席が空いていたので、流れで一緒にコーヒーを飲むことになった。


「最近どう?」「一緒に仕事するとは思わなかったな!」「この間会った時は本当に知らなかったんだぜ?偶然ってあるもんだよな。」会話は一見スムーズだったが、どこかぎこちない空気があった。


そして、不意に高木が言った。


「いや〜でも藤原って、学生時代楽しそうだったよな。部活とか学園祭とか、いつも中心にいた感じ」


――え?


思わず、まぬけな声が出そうになった。

俺が“中心”に?


違う。違ったはずだ。 確かに部活には行ったし、学園祭も真面目にやった。でもいつも端っこで笑ってる側だった。誰かの話を聞いて、相槌を打って、盛り上がってるふりをして。


「……そんなこと、あったか?」


「え? あっただろ? 俺、いつも羨ましかったぞ。なんか、自然に馴染んでる感じっていうか」


違うんだよ、と心の中でつぶやいた。

俺はあの頃から、ずっと“輪の中にいるふり”をしてただけだったんだ。


なんとなく入った部活。なんとなく決めた大学。なんとなく就職活動。

思えば全部、“なんとなく”でやってきた。


「ま、俺なんか今や毎日会議と書類地獄で死にそうだけどな」


高木は苦笑いして言ったが、その顔にはどこか満足げな、疲れてもなお前に向かう人間の色があった。


別れ際、藤原は「またな」と手を振った。

だけど胸の奥に、ざらついた感情だけが残っていた。


あいつは、ちゃんと“歩いて”きたんだな。

俺は――俺はただ、立ち止まったまま、誰かのせいにしてただけじゃないのか。


帰り道、ドトールのアイスコーヒーの苦味が、やけにリアルに残っていた。


その日の風呂上がりの夜。冷えた缶チューハイを開けて、いつものようにスマホを開く。


お気に入りのページは、あの匿名掲示板の「転生者が現代に紛れ込んでる件について」スレ。

何百と続いたそのスレも、今ではほとんど勢いを失っていた。


 【812】名前:名無しさん

 最近来てなかったけど、なんかネタっぽくなってきたな


 【813】名前:名無しさん

 最初からネタだろwwマジで信じてたやつおるん?


 【814】名前:名無しさん

 俺は前世で勇者だったけど、今はただのフリーターです(泣)


指先が止まる。


“マジで信じてたやつおるん?”――その言葉が、やけに突き刺さった。


自分の胸の内を、冗談半分でつぶやいてきたこの場所。

ここで「朝倉が怪しい」「世界が少しずつズレてる」――そう思い込むことで、

ずっと、自分の停滞を他人のせいにできていた。


でも。


朝倉の言葉が、高木との再会が、心の奥の“仮面”を少しずつ剥がしていく。


逃げてたんだ。

ずっと、ただの現実から。


缶チューハイを机に置き、スマホの画面を見つめたまま、しばらく何も書き込まずにいた。


そして、久しぶりにスレにレスを打った。


 【815】名前:名無しさん

 信じてた。でも、もうやめる。

 現実の方が痛いけど、少しだけ前に進んでみる。


その一文を送信して、スマホの電源を落とす。


ディスプレイが黒くなり、そこにぼんやりと映った自分の顔があった。


別に大きく変わったわけじゃない。まだ、何者にもなれていない。

でも、ほんの少しだけ――“自分の物語”に責任を持ちたいと思った。


そっとスマホを裏返し、明日の目覚ましを30分早くセットする。

どうせまた会社に行くだけだ。誰も気づかない。何も変わらない。


それでもいい。

それでも――自分だけは、自分を裏切らないために。

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