第12話 転生者との対峙

その日、藤原は午後の定例ミーティングの内容をまるで覚えていなかった。


朝倉がまた、部長に褒められていた。


社内チャットに上がった朝倉の資料は、内容だけでなく提出のタイミングまで完璧だった。


——“狙って”いる。


藤原は確信していた。

自分がやろうと思っていた提案、打ち合わせの下準備、クライアントへのアプローチ……。どれも一歩早く、朝倉に先を越されている。


(こいつは、俺の思考を読んでいるんじゃないか?)


夕方、オフィスの給湯室で、偶然ふたりきりになる。


朝倉は紙コップにコーヒーを注ぎながら、軽い調子で言った。


「今日の件、部長が結構ご機嫌だったな。藤原さんの事前共有も効いてたっぽいっすよ」


その瞬間、藤原の中で何かが音を立てて壊れた。


「……ふざけるなよ」


思わず、口にしていた。


朝倉が驚いた顔で振り返る。


「え?」


「お前、最初から全部仕組んでるだろ。俺が提案しそうなこと、わざと先に動いて……。そうやって“いいとこ”だけ持ってく。そういう世界にしてるんだろ」


「……何言ってるんですか?」


「お前……転生者なんだろ?」


言葉に出した瞬間、耳の奥が熱くなった。

藤原の声は震えていた。怒りとも、焦りともつかない感情が詰まっていた。


朝倉涼は、一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。


「なんですかそれ。なにかの小説ですか?」


軽く受け流されると思った。けど、止まらなかった。


「お前、なんで何でもうまくいくんだよ。営業でも、企画でも、誰とでもすぐ仲良くなる。あれか? もともとこの世界での攻略法、知ってたんじゃねぇの?」


「藤原さん……」


「俺はさ、ずっと普通にやってきた。真面目に働いて、怒られないようにして、でも何も報われない。なんでお前だけ……」


言ってから、自分でも浅ましいとわかった。でも止められなかった。


朝倉は目を伏せて、しばらく黙っていた。そして、ぽつりと口を開いた。


「俺、前職でメンタル壊して辞めたんだよ」


藤原の脳が一瞬、追いつかなかった。


「……は?」


「新卒で入った会社、合わなくてさ。毎日怒鳴られて、家帰っても眠れなくて、半年で10キロ痩せた。通勤中に電車止まって見えた線路に、一瞬吸い込まれそうになったこともある」


声に抑揚はなかった。ただ、事実を読み上げるように。


「俺が……転生してる? それで、俺が世界を変えて、藤原さんの邪魔をしてるって?」


朝倉は呆れたように鼻を鳴らし、笑った。


「なんだよそれ。……はは、すげぇな。そうでも思わなきゃやってられないってか?」


「……っ」


藤原は返事をしなかった。頭にカッと血が上るのを感じたが、呼吸だけが荒く、目の奥はどこか虚ろだった。


「悪いけど、俺は努力してるだけだよ。前職で仕事や人間関係がうまくいかずに潰れかけたから、今の環境が“普通”にありがたいだけだ。こっちが転生したいくらいだっての」


藤原は言葉を失った。


どこかで「しまった」と思っていた。


けれど、それでも認めたくなかった。全身がビリビリと痺れるような感覚があった。


(じゃあ、俺は……全部、ただの凡人だったってことか?)


「俺がうまくいかないのは……世界のせいでも、誰かのせいでもなくて……?」


朝倉が深く息をついた。


「言いたいことは、分かるよ。俺も、うまくいかないときは誰かのせいにしたくなる。でもさ、そういうときって——自分で気づいてるだろ?」


「……」


「本当は、誰のせいでもないって」


その言葉が、鋭い棘のように刺さった。


藤原はその場を立ち去った。逃げるように。


オフィスの廊下を早足で抜け、非常階段でドアを閉める。


誰もいない空間で、ようやく肩の力が抜けた。


「……なんだよ……」


ポケットのスマホを取り出す。掲示板を開く。


更新は——なかった。


画面を見つめる指が、わずかに震えた。

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