第2話 地味に、うまくいかない日々(後編)

午後の社内ミーティングは、いつものように朝倉が中心で進んでいた。

資料の構成、プレゼンの間合い、上司への話の振り方。何もかもが絶妙だ。


「……さすが朝倉くん、いい切り口だね」

「この部分、数字まで押さえてるのはありがたい」


部長や係長の相槌に、会議室の空気が柔らかくなるのが分かる。

一方で、自分が発言したときの反応は、どうだろう。


「うん、それは……まあ、検討しようか」

「藤原くん、それも一つの視点ではあるね」


やんわりと受け流される感じ。それが一番こたえる。

失敗じゃない、でも成功でもない。評価されていないわけじゃないけど、期待もされていない。


――「空気」になっていく実感。


ミーティングが終わって自席に戻ると、社内チャットには新しいスレッドが立っていた。

「朝倉さん提案のキャンペーン案、明日の部会で正式化予定」

そのスレッドには、もうすでに「さすが」「助かります」「分かりやすい!」といったリアクションの絵文字が並んでいた。


藤原は、キーボードに手を置いたまま、ふと呟く。


「やっぱ、あいつ世界線違うんだよ……」


独り言が出るなんて珍しい。周囲に聞かれていなかったかと目線を動かすが、誰も自分のことなど気にしていない。


席を立ち、給湯室に向かう。

流し台に置かれた紙コップにインスタントコーヒーを注ぎながら、ぼんやりと窓の外を見た。


もし、あの掲示板の話が本当なら――

もし、この世界が本当に“選ばれた誰か”に改変されているなら。


自分がこの場所で冴えないままいる理由も、少しは納得できる。

あの日、目覚めたら何も変わってなかった自分。

そして朝倉は、その“変わった世界”の勝者として、最初からスタート地点が違っていた。


「……いいな、そういう人生」


何の気配もない空間に、独りごちる。

虚しさと、妬みと、諦めが混じった声だった。


午後の業務に戻ってからも、どこか頭の中は靄がかかったままだった。

淡々と数字を打ち込み、進捗を入力し、簡単な社外メールを返信する。


仕事にミスはない。けれど、誰も「ありがとう」と言ってはくれない。

この業務が自動化されたとして、誰か困るんだろうか……そんなことまで考えてしまう。


16時を過ぎたころ、朝倉が隣の席にやって来て、笑顔で声をかけてきた。


「藤原さん、明日の訪問、同行していいですか?

たぶんあのクライアント、次の提案の切り口になりそうで」


「ああ……いいよ、もちろん」


自然に出た返事だったが、内心では何かがざらりと逆撫でされた。

“君のクライアントを、僕がうまく使ってやろう”……そう言われている気がした。


たぶん、違う。ただの協力的な一言。

でも、自分の捉え方次第で、いくらでも“そういう風”に見えてしまう。


「ありがとうっす、じゃ、アポ先にも共有しときますね」


朝倉は軽快に歩いていった。彼の後ろ姿を見ながら、藤原は自嘲気味に笑う。


——転生者、って言うより、なんだろう。

“主人公”なんだよな、あいつは。


この会社、この部署、この時代。どこにいても主語になれる男。

自分は、なんだ? モブ? 通行人A? いなくても、物語が進んでいく存在。


気づけばもうすぐ定時だった。

退勤のチャイムが鳴ると、オフィスの空気が少しだけほぐれる。

みんな雑談を始め、帰宅の準備をする。中にはジムに行くという者、飲みに行くという者もいた。


藤原はただ、PCを静かにシャットダウンした。

帰り支度をしても、誰からも声をかけられない。

この会社の人間たちは“朝倉に話しかける”のは自然でも、“藤原に話しかける”ことに意味を感じていないのかもしれない。


ビルを出て、夜風を受けながら、足元を見て歩く。

どこへ向かうでもない。ただ、電車に乗って、自分の家に帰るだけ。


ポケットの中のスマートフォンが振動した。

画面をのぞくと、匿名掲示板の通知だった。

“転生者がこの世界を乗っ取っている証拠”というタイトルに、無意識に指が動く。


 【619】名前:名無しさん

 同じ学歴、同じ業界、同じ年齢……なのに、同期のあいつだけが異常に評価され

 てる。

 最初は努力だと思った。でも違った。あいつ、たぶん、俺の“本来のポジション”

 を奪ってる。


 【620】名前:名無しさん

 マジで分かる。

 本当は俺が“うまくいってた世界”があった気がするんだよ。

 転生者のせいで、今の自分になってしまったんじゃないかって。


藤原は、胸の奥に針のような共感を覚えた。

何もかも、うまく言語化されている気がした。

たとえば“朝倉がいなければ”——俺の今の場所も、少しは変わっていたのかもしれない。


そう考えると、少しだけ救われる気がした。


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