第50話 説得
白く清潔なシーツが掛けられた寝台に、レクアム様が横たわっている。天空塔で起きた惨事から二日たったが、彼はなかなか目覚めなかった。
「う……」
「あっ、レクアム様が――レクアム様がお目覚めです!」
ずっと彼の看病をしていたケニーシャ様が泣きそうな声で言うと、レクアム様の目蓋がゆっくりと開いた。
「ここ、は……。ケニーシャ?」
「レクアム様……っ! 心配したのですよ!」
ケニーシャ様はわっと泣き出し、レクアム様に抱きついた。婚約者の抱擁を受けながら、レクアム様はぼんやりと室内を見渡している。
黒い瞳はケニーシャ様を見たあと私に移り、最後にフェリオスを見た。
「お目覚めになって良かったですわ。みんな心配してましたのよ」
「全くだ。勝手に俺を追い出して、一人で危険な真似をしたくせに。何か言わないと気がすまない」
フェリオスが寝台の横でぶつくさ文句をつぶやくと、レクアム様は申し訳なさそうに笑った。
ケニーシャ様がクッションをレクアム様の背中に置き、彼の体を起こす。
「ごめん。本当に、申し訳なかった。私が生きているという事は、父上は……?」
「亡くなった。母上が俺たちを守るために、短剣で父上を刺したんだ。すぐに治療すれば助かったかもしれないが、父上が拒否して……。このまま死にたいと言って、満足そうに死んでいったよ」
「そうか……。私は失敗してしまったんだな。父上と刺し違えるつもりだったのに」
ああ、やっぱり。
レクアム様は死ぬつもりだったんだ。
「兄上は、自分がすべての責任を負うつもりだったんだろう? でもその必要はない。父上は遺言書を残していたんだ。だれが皇帝を殺しても許すと、断罪する必要はないと。だから……」
「おまえの言葉はありがたいけどね。私は自分を許すつもりはないよ。たとえ誰が許そうと、私が父を殺そうとした事実は消えない。ひとを殺すことを
「……本っ当に、強情だな! そう言うだろうとは思っていたが……!」
フェリオスは苛立ったように、ぎりっと歯噛みした。
私も少し、レクアム様を説得してみよう。
「レクアム様、ケニーシャ様のことはお考えですか? あなたが裁かれたあと、残されるケニーシャ様はどうすればいいんですの。一人で生きていけと仰るの?」
レクアム様はハッとし、暗い顔で俯く。
しばらくして、おずおずとケニーシャ様の白い手を取った。
「ケニーシャ……振り回してしまって、本当にすまない。公爵には私から話をしておくから、きみは公爵家に戻って――」
「いやです」
きっぱりと答えた美しい婚約者を見て、レクアム様は唖然とした。
蜂蜜の髪の美女は、つんと顔をそらして言う。
「お父様はわたくしに、家を捨てる覚悟で嫁げと仰いました。わたくしもその覚悟です。でもわたくしが嫁ぐのは皇室ではなく、レクアム様ですから。家に帰る気はありません!」
「でも私はもう、皇帝になる気はないんだよ。きみは皇后になりたかった、っ!?」
べしん!と変な音がした。
呆然とする私とフェリオスの前で、ケニーシャ様が真っ赤な顔で怒っている。
彼女はなんと、レクアム様の横っつらを平手打ちしたのだ。
「なにを聞いておられましたの!? レクアム様に嫁ぎたいと言ったでしょ! わたくしは皇后になりたいんじゃなくて、あなたの花嫁になりたいの。あなたが好きだから! いい加減、気づいてくださいませ!」
はあ、はあ、と肩で息をしながら泣いている。
『美しい』って、それだけで力があるのね。
思わず見とれていると、フェリオスが愉快そうにくくっと笑った。
「これは見ものだな。兄上がやり込められる状況なんて、そうそう拝めるものじゃない。なぁ兄上、俺を皇帝にしたいんだろう?」
「したいとも。何だい、フェリオスまで私を追い詰める気なのか?」
たたかれた頬をさすりながらレクアム様が訊くと、フェリオスはにぃっと口元を歪めた。
これはなにか、悪巧みを考えている顔だわ。
「では皇帝として兄上に命じる。罰として、俺の気がすむまで皇帝の補佐をすること。いくら何でも、皇太子を飛び級して今すぐ皇帝になるなんてむりだ。俺は皇都の事情にうとい。責任感あふれるお優しい兄上は、弟に丸投げなんてしないよな?」
な、なんて嫌味ったらしい言い方なの。
大丈夫なの?
恐るおそるレクアム様の様子を伺うと、彼はぽかんとし、やがて大声で笑い出した。
「はははっ! これはやられたな! 確かにそうだ。何もかも投げ出して、弟に押しつけるのは兄らしくない。いいとも、私は最後まで責任を取ろう」
レクアム様は右手を伸ばし、フェリオスはその手を取った。よく似た二人は固い握手を交わす。
良かった、説得は成功したようだ。
それにしても、婚姻を認められた直後に婚約者が皇帝に決まってしまうなんて驚きの展開である。どうしてこうなった、と思わずにはいられない。
フェリオスと同じように私だって不安だし、レクアム様が残ると約束してくれて本当によかった。
私は安堵のため息をもらしたのだった。
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