第49話 死闘

 ひどい胸騒ぎがする。何かが起こっている。


 私は寝台から起き上がり、カーテンから外の様子をのぞいた。とても静かで、何の変化もないように見える。でも誰かが「早く行け、急げ」とさけぶ声が聞こえてくる。


 身支度を済ませ、そっと部屋を出た。

 キオーン宮の奥にある水路の扉まで行くと、なぜか鍵があいている。


 ――まさか?


 大急ぎで石の階段をおり、通路を進むと青年の背中が見えてきた。


「フェリオス様!」


「! ララシーナ? なぜここに」


「何だか胸騒ぎがするんです。私も行きますわ!」


「分かった、一緒に行こう」


 私たちは走るようにして細い通路を進み、後宮へ出た。

 また別の水路に入り、本宮へ向かう。


「先ほどイスハーク陛下の配下が知らせてくれたんだ。天空塔の出入り口に、見張りの騎士が倒れていると」


「えっ、では……!?」


「レクアム兄上はすでに動いたらしい。皇太子宮からウェイドとエルビンも移動しているはずだが、間に合うかどうか……」


 本宮の端から天空塔が見えているのに、なかなか辿り着けない。

 どうか間に合って、と祈りながら走り続ける。


 塔の出入り口には確かに騎士が倒れており、手足を縛られた上で口も塞がれていた。でも気絶しているだけだ。

私とフェリオスは最上階の瞑想の間をめざして、らせん階段を駆けあがった。


「うぅっ。フェリオス様、私に構わず先に行ってくださいませ!」


「分かった!」


 階段が長すぎて、脚がガクガクする。途中でへこたれかけた私を残し、フェリオスはあっという間に見えなくなった。

 体力も筋力も、差がありすぎる。


 震える脚をなんとか上げて階段を登るにつれ、上の方から「ガン!」、「ギィン!」と激しい音が聞こえてきた。すでに戦闘が始まっているのだ。


 脚にムチ打ち、階段を駆けのぼる。最上階の部屋の扉は、内側にむかって破壊されていた。


「!? うっ……!!」


 室内にむわっと立ち込める血の匂い。

 小さな窓から差し込む月明かりが、床に点々と倒れる人を照らし出す。


「大丈夫ですか!?」


 そばに倒れる近衛の服をきた男性の脈をとったが、すでに息絶えていた。傷口は一箇所しかなく、急所をひと突きにされて死んだようだ。ほとんど即死に近い。


 こんなに迷いなく、ひとを殺せるなんて――。


 身震いする私の耳に、ギン!と激しい音が届いた。奥のほうで誰かが戦っている。薬箱が入った荷物をかかえながら移動すると、皇帝とフェリオスが剣を交えていた。


「ララシーナ! 兄上を頼む!」


「っ、はい!」


 二人が戦う場所から離れた床に、黒髪の青年がたおれ伏している。

 彼の体から、床にじわじわと血が流れ出した。


「レクアム様! しっかりなさってください!」


 傷口を強く圧迫し、止血の処置を始めた。脈はある、呼吸もしている。

 絶対に死なせない!



「ララシーナ様! レクアム様は……!?」


 部屋の出入り口に、息を切らした


ケニーシャ様と壮年の男性が現れた。

 男性は薬箱を持っていて、二人とも私の方へ駆け寄ってくる。


「大丈夫ですわ、生きてらっしゃいます!」


 私が叫ぶとケニーシャ様は涙をながし、レクアム様に抱きついた。皇帝がなにを考えているのか分からないけど、まだ息子を殺す気はないらしい。


 私は侍医にレクアム様の処置を任せ、ほかの怪我人の様子を見て回った。ふと視線を巡らせると、壁ぎわに二人の騎士が倒れている。


「ウェイド、エルビン!」


「だ、大丈夫、です」


「奥方さま、お逃げください……! ここは危険です!」


 エルビンが叫んだとき、皇帝ウラノスが高らかに笑い出した。

 返り血で真紅に染まった体を愉快そうに揺らしている。楽しくてたまらないとでも言うかのように。


「はっははは! なんと楽しいのか! やはりレクアムには無理であったな。左手が麻痺した状態で我に勝てるわけがない。フェリオスよ、迷いを捨てろ。この場で戦えるのはおまえだけだ。おまえが死ねば、全員殺すぞ」


「くっ……」


 ――ギィン!!


 激しい打ち合いで、暗闇に火花が散った。


 ほぼ互角に見えるが、フェリオスがほんの少し押されている。年齢から考えて彼のほうが有利なはずなのに、父親を殺すことに迷いがあるのだ。

 それが剣にも影響を与え、少しずつ壁へ追いやられていく。


「フェリオス様!!」


 ガァン!と耳をつんざくような音がし、フェリオスの剣がはじき飛ばされた。剣は回転しながら天井へぶつかり、床に深々と突き刺さる。


 ――早く剣を返さなきゃ!


 私は剣に駆けより、柄をにぎって引き抜こうとした。が、石の床に深く刺さっているためびくともしない。

 そうこうしている内に、剣を構えたウラノスがフェリオスへ近づいて行く。


「いやあっ! フェリオス様ぁ!!」


 泣きながら叫ぶと、後ろから優しげな女性の声がした。




「大丈夫よ、ララちゃん。わたくしに任せて」




 その女性はふわりとドレスを揺らし、静かにウラノスへ歩み寄る。

 血だらけの床を迷いなく進む足取りは優雅で、見とれるほど美しい。


 ――え? ティエラ様!?


「あなた。もう、おやめなさいな」


 ウラノスが剣を持ったまま振り返り、そのまま硬直した。限界まで開いた目が、まばたく事なくティエラ様を見つめる。

 ティエラ様がウラノスの体を抱きしめ――。


 ――ドッ!


 重く、にぶい音がした。ティエラ様の両手がウラノスの背中に密着し、そこからじわりと血がにじみ出る。

 暗闇に目をこらすと、彼女の手に剣の柄が握られているのが見えた。


「っ、がはっ……」


 白い手が素早く動き、短剣が引き抜かれる。

 ウラノスの背からぶしゅっと血しぶきが舞い、苦しそうな呻きがもれた。


 誰もが呆然とするなか、ティエラ様だけが優雅にほほ笑んでいる。


「おま、え……元に、戻った、のか……」


 ウラノスが口を開くたびに、ごぷりと血があふれて言葉が濁った。

 皇帝の妃は微笑んだまま答える。


「そうよ。子供たちを守るために、戻ったの」


「そうか……。おまえが、我を……殺すのか…………」


 覇気にあふれた漆黒の瞳から徐々に光が失われ、ウラノスはがくりと床に膝をついた。あお向けに倒れた皇帝は私の方へ顔を向け、口から血を流しながら笑った。


「巫女……おまえの、勝ちだ。フェリオスとの、婚姻を……認める。フェリオス……」


「父上……!」


 フェリオスが父親に駆けより、血だらけの手を取った。私もようやくハッと我に返り、薬箱を持って皇帝へ向かって走る。

 しかし処置しようとした私に、ウラノスは言った。


「やめろ。何もするな……このまま、死にたい。あとは、おまえ達が……時代を、作れ…………」


 皇帝ウラノスは不敵に笑い、ふう、と満足そうに息を吐いた。

 黒い瞳がゆっくりと閉じられていく。


 ウラノスの顔は最期の瞬間まで、笑ったままだった。

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