第45話 フェリオス、宿屋にて

 皇都ラビロニアは山を背にし、都全体が緩やかな坂になっている。


 山から流れる川はまず皇城の地下をとおり、次いで貴族が暮らすエリアに流れ、商業地を流れ、最後に身分を持たない者が暮らすエリアに流れる。


 下流へいくほど身なりが貧しい者が増えるから、皇族や貴族が下流の地域へ来ることはまずない。

 ゆえに、フェリオスやイスハークが潜むには絶好の場所であった。


「陛下、いつまで潜伏する気なんだ? こうしている間にも、父はロイツに攻め込むかもしれないのに……!」


「この色男め、余のことはアサドと呼べと言っただろう。そなたの事もフィルと呼ぶからな。いい加減、慣れろ」


 下流地域の安宿で二人の男がぼそぼそと話し合う。


 イスハークもフェリオスも、ディナルからの旅人という設定で変装していた。どちらも頭に日差しよけの布をかぶっているが、フェリオスだけは眼鏡まで掛けさせられている。黒い瞳の人間は目立つからだ。


「イ……アサドは国を離れて大丈夫なのか? もうひと月ちかく、ディナルへ戻っていないんだろう」


「心配は無用だ。余の妃たちは有能だからな。余などいなくても、政治が止まることはないぞ!」


 イスハークは得意げにガハハと笑うが、自慢できるようなことではないと思う。

 むしろ自虐ネタのように感じるが、本人の自覚はないようだ。フェリオスは話題を変えることにした。


「アサドが兄上とつるんでいるとは思わなかった。俺はまんまと騙されたわけだ」


 自嘲気味に言うと、イスハークはにやりと口もとを歪める。


「すまんな、元からこういう計画だったのだ。大体、あの皇帝がそなたらの結婚を認めるわけがないだろう? ガイアなど要らん、自分こそ神だと思っているような男だぞ」


「何もかもご存知というわけか。では、兄上がなにを企んでいるのかもアサドは知っているんだな?」


「知っている――と言いたいところだが。その前に、フィルに訊きたい」


「なにを?」


 イスハークは身を乗り出し、テーブルに肘をついた。琥珀の瞳をぎらつかせ、野生の獣のような鋭い視線で睨んでくる。

 自然とフェリオスも身がまえ、同じように鋭い目でイスハークを見つめた。


「そなた、皇帝になる気はあるか?」


「…………は?」


 予想の斜め上をいく質問に、フェリオスは目を丸くした。

 耳は音を聞き取ったが、頭までは届かなかった。


「すまない。もう一度言ってくれ」


「皇帝になる気はあるか、と訊いた」


「……ちょっと待ってくれ。次の皇帝は兄上のはずだ。皇太子をすっ飛ばして第二皇子が皇帝になるなんて、あり得ないだろう!」


「あり得るから訊いておるのだ。そもそも、レクアムがそなたを逃がしたのは何故だと思う? 皇帝になりたいのなら、命令どおりそなたを殺しておるだろう」


「それはそうだが――」


 答えかけた瞬間、脳裏にレクアムの声がよみがえった。


 ――『殺さないよ。おまえは大切な……だからね』


 まさか、あの言葉は。


「兄上は、最初から俺を皇帝にするつもりだったのか……! 俺を次代にするために、生かしておいたんだな?」


「その通り。ここからが重要なのだがな。なぜレクアムは皇帝をあきらめたのだと思う? そなたがレクアムになったとして考えてみよ」


 ――俺が兄上だとしたら?

 フェリオスはしばし逡巡しゅんじゅんしたのち、重い口を開いた。


「……俺が兄上だとしたら、力ずくでも父上を止める。たとえ、皇帝と対立することになったとしても……」


「それが答えだ。レクアムは父親を殺そうとしておる。恐らく左手が麻痺した瞬間から、ウラノスの支配を壊してやりたいと望んでおったのだろう。しかし親殺しの皇子が皇帝になるのを、臣下が納得するとは思えん。だからレクアムはそなたに全てを託したのだ」


「…………」


「さあ、答えよ。そなたは皇帝になるか? 返答によっては、そなたをかくまうことは出来なくなるが」


 ――くそっ! 何もかも、勝手に決めておいて……!!


 悔しい。

 自分は今までレクアムの何を見てきたのだろう?


 おなじ苦しみを背負った仲間のように思っていたが、兄はすべてを見こして動いていたのだ。 

 自分の不甲斐なさが恨めしく、フェリオスはぎりっと歯噛みした。


「なるさ。皇帝になってやる。だが、兄上を見捨てることも出来ない。左手が麻痺した兄上が父に挑んだところで、返り討ちにされるだけだ。みすみす死なせる事なんて出来ない……!!」


「ほう。まずは及第点といったところか。で、どうする?」


 イスハークは腕を組み、ニヤニヤと楽しげに笑う。

 次にフェリオスがなにを言うつもりなのか、すでに分かっているのだろう。腹立たしい。


 言ってたまるか、と思う気持ちもあるが、レクアムのことを考えると言うしかなかった。


「……俺に力を貸してくれ。兄上を死なせたくないんだ」


 フェリオスは椅子から立ち、イスハークへ向かって頭を下げた。少しの屈辱感もない。

 ただ、兄を救いたい――心にあるのはそれだけだった。


 やがて、椅子に座った王が低い笑い声をあげる。


「ふっ、ははは! いいぞ、合格だ! そなたは本当に素直になったなぁ。子供のころは、感情をまったく見せない糞ガキであったのに!」


 せっかく素直に頼んだのに、これだ。

 フェリオスは思わず腰に手を伸ばしかけたが、剣がないことに気づいて舌打ちした。


「そなたの剣はララシーナが持っておる。ちょうどいい、会いに行くか」


「あ、会えるのか!?」


「そのように嬉しそうな顔をして……。仕方のない色男め。無論、可能だ。皇城にも余の命を受けて動く者が入っておるからな。だがそなたにとっては、つらい場所に行くことになるかも知れんぞ?」


 つらい場所――そうか、あそこにいるのか。


 いかにも父が考えつきそうな事だ。

 ララシーナの薬師としての誇りを、踏みにじってやりたいのだろう。


 フェリオスはぐっと顔を上げ、強い眼差しで告げた。


「構わない、俺も連れて行ってくれ。――キオーン宮へ」

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