第48話:わたしの一歩

 昼休み。予定通りに三者面談を終えた。


 面談の場には、担任の片山先生と須藤先生。リモートで父と母。

 形式としては面談だけれど、実質的には私が説明をして、同意をもらうだけの場だった。


「結局。最大のリスクって、何か特殊なことがたまたま起きることで、それは、極端な話。飛行機に乗るのとそう変わらないと、私は思う」


 父は「アリスが大丈夫だって思ってるなら大丈夫だって言っただろう」って、以前と同じことを言った。

 母も、うなずいたままだった。


 これで決まった。異世界に行く。その第一陣に、名乗りを上げたことになる。


 ラウンジに戻ると、数人の女子が集まっていた。まだご飯を食べている子もいる。

 すぐに私の方を見て、ナナセが声を上げた。


「え、もう終わったの? 三者面談?」


「うん。説明するだけだったから。すぐに終わったよ」


「はやっ。……アリスって、そういうとこあるよね」


 チアリが、わずかに苦笑いしながら言った。

 “そういうとこ”——それは、つまり、自分で決めて、家族には事後報告でも平気で通すところ。


 でも、うちはそういう家なのだ。

 私は、慎重に考えてから動く。だから、私が決めたことなら、大丈夫だと家族は思ってくれている。


 それが当たり前だとは思わない。

 他の子たちは、これから交渉したり、説得したり、いろんな段階を踏むのだろう。


「で、どうだった?」と、ナナセ。


「内容は、もうわかってることばかり。説明用のパンフレットと同じ内容だったよ。先生たちも無理強いはしない、というかまずは説明という感じだった」


「うちの親、危ないからやめておけっていうんだよね……。リスクって、どこまで説明するのが正解なの?」


「正解なんてないと思う。私は、データと確率と、先生の立場、それぞれの視点を整理して話したよ」


「……そんなの無理だよ。アリスじゃなきゃできない」


 ナナセはため息まじりに笑った。

 でも、笑ったその口元は、少し引きつっていた。

 きっと彼女も、家族のことを考えているのだ。軽い話し方とは裏腹に慎重なんだよね。


「どんなやり取りだったかは、また夕方にでも話すね」


「わかった、ありがとう。……面談の予約、急がなきゃね」


────


 夕食を待つ間。女子寮のコモンルームには、ぽつぽつと人が集まり始めていた。


 コモンルームに入っていくと、すぐ、モモリンが声を上げた。


「アリス〜! 面談どうだった!?」


 その声に反応して、他の子たちも一斉に顔を上げる。

 空気が一瞬、緊張する。……いや、覚悟という名の熱気、か。


「終わったよ。昼にやった。……『行くから』って言って、意外と、あっさりだったかな」


「えっ、はやっ! もう決めてきちゃったんだ。というか、どんな感じだったの!?」


 モモリンが、さらに身を乗り出す。


「うちは、もう親に資料渡して説明済みだったし。秘密保持確認もらって、ちょっと質問して、じゃあよろしくお願いしますって」


「さらっと言うけど、すごくない? それ。アリスが決めたからって、即OKってこと?」


「うん。まぁ、そういう家なんだと思う。私が先に考えて、納得して、それを伝えたら、大体通る」


 ざわつきが広がる。

 誰かが「うちはそんなすぐ決まらないよー」とぼやいて、笑いが起きた。


 でも、その笑いの裏には、ちょっとした焦りや戸惑いが混じっているのもわかる。


「ねえねえ、どこまで話した? リスクとかって、どう説明されたの?」

 今度はナナセ。


「うん。言われたリスクは、2つ」


 紙コップのコーヒーをそっとテーブルに戻して、私は言葉を選ぶ。


「ひとつは、特異的な反応。これまでマウスとかでは出てないけど、何か重大なことが起こる可能性がゼロじゃないってやつ」


「え、こわ……」

 ナナセが思わず抱えていたクッションをぎゅっと強くする。


「親には、“薬の副作用みたいなもの”って説明した。マウスなんかの実験では、これまで一度も起きてないから、確率で言えば、数千分の一以下みたい」


「それでもゼロじゃないんだね」

 モモリンがストローをくわえたまま、ぽそっとつぶやく。


「もうひとつは、“特殊な事態”が起きる可能性。ゲートが壊れるとか、突然なくなるとか……」


「……なんか映画っぽい」

 と、誰かがこぼす。笑いでもなく、本気でもなく。


「こっちは、まあ、飛行機事故みたいなものだから、考えてもしょうがないって説明した」


「……アリスって、ほんとに強いね」

 ナナセの声は、ちょっとだけかすれていた。


「先生には、『本当に納得してるのか?』って何度も聞かれて……。なんか、逆に、私が説得してるみたいだった」


 言葉の終わりに笑ってみせたけれど、自分の声じゃないみたいに、わずかに上ずっていた。

 それでも誰かが、飲みかけの紙コップを持ち直す音が聞こえて、私は、なんとなく救われた気がした。

 その場の空気が、ゆっくりと温まっていく。コーヒーの湯気が、少しだけ静かに揺れた。


「さすがアリス……」


 チアリの声が、どこか誇らしげで、それでいて、少しだけ遠慮がちに聞こえた。


 みんなの顔を順番に見る。誰もが、少しだけ不安そうに、それでいて前を見ようとしている顔。


「でもね、面談って、結論を出すと言うより説明しますって場だったよ。私は、すごく先走ったみたい。迷ってたら逆に、早く面談したらいいと思う」


 その瞬間、目の前でスマホを取り出す子がいた。

「予約、まだ空いてるかな……」とつぶやいた声が、妙に現実的に響く。


 こうして、コモンルームが、じわじわと“動き出す空気”に包まれる頃、夕食の声がかかった。


 配膳台に並んだお盆の中から、自分の分を手に取る。厨房の奥には、いつものように大将の背中。

 油のはじける音と、ほんのり生姜の匂い。空気が、やわらかくほどけていく気がした。


 竜田揚げの衣は、薄くてカリッと軽やか。噛んだ瞬間、生姜の香りがふわっと広がる。

 これ、どうやるんだろう。うちで作った時は、ここまで生姜の香りが立たない。だからと言って、長く漬けちゃうと硬くなっちゃうんだよね……


 ——あれ、唐揚げの時って、大将、いたっけ?

 ふと、そんな記憶がよみがえる。

 箸を止めて、ほんの少しだけ考え、ちょっとした“仮説”を立てる。


 テーブルのあちこちで、笑い声が上がっていた。


「明日、うち三者面談、予約したよ!」

「おっ、ついに勇者パーティ加入か?」

「なにそれ、言いたかっただけでしょ」

「じゃあ、第一陣ってことで? 勇者さま?」

「ちょ、やめて〜」


 そんなやりとりに笑いが重なり、空気が少し軽くなる。


 竜田揚げをもうひとつ箸でつかんで、そっと口に運んだ。

 生姜の香りと一緒に、なんだか自分の中の決意も、ふわりと染み込んでくる気がした。


 ——こうして、わたしたちの未来は、ほんの少しずつ、でも確かに動きはじめた気がした。


【第48話:了】

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