第47話:異世界渡航の展望と課題──国家構想としての挑戦

 その夜、私は自室で一人、端末に表示された文書を見つめていた。


『異世界渡航の展望と課題──国家構想としての挑戦』。


 総理や文部科学大臣、外務大臣のインタビュー、そして各大学の研究者たちの寄稿が詰まった資料だった。配布された時点では「保護者にも説明するための一般公開資料」とだけ知らされていたけれど──読み進めるうちに、私は違和感を覚えた。


 論理のつながりが、曖昧すぎる。


 たとえば、「異世界環境下での生理的適応に関する知見」──この言葉は、資料の中でたった一度しか出てこなかった。

 片山先生たちの研究で、滞在は秒単位なら可能、でも長時間の活動はまだ難しいって、私たちは知っている。

 それなのに、この資料の後半では、“文化交流の促進”や“未来志向の連携”ばかりが語られていく。


 ……どうして? この資料を書いた人たちは、その制約を知らないはずがないのに。

 安全性の議論を避けるみたいにして、まるで夢の未来だけを語ってる。


 私は、いつの間にか眉間にしわを寄せていた。こういう論理の飛躍は──苦手だ。


 ふと、浮かぶ名前があった。こういうの、ユウトなら、どう読むだろう。


 ……なぜチアリやナナセではなく、ユウトを思い浮かべたのか、自分でもよくわからなかった。

 ただ、この資料の“理屈っぽさ”が、彼の思考回路とどこか重なって見えたのかもしれない。


 【アリス】この資料の安全性の扱い、すごく薄くない? 生理的な適応の問題、ほんとはもっと大事なはずじゃないの?


 送信を押したあと、私は少しだけ後悔した。変な聞き方だったかもしれない。もっと、整理してから送るべきだった。


 【ユウト】公表できない事実を前提にしてるから、論理が飛躍して見えるんだと思う。


 ──それだけの返事だった。

 でも、言葉の選び方がユウトらしくて、私はなんとなく納得してしまった。


 それだけのはずだったのに──


────


 翌日、昼休み。生徒ラウンジには、思った以上の人数が集まりはじめていた。


「アリスが言い出したらしいよ」

「ユウトにメッセージ送ったんだって?」

「こういうの、ちゃんと話した方がいいよね」


「お、来てる来てる。じゃあ俺も混ざるわ」

 カイトが椅子を引いて座りながら、ナナセに手を振る。


「ちょっと気になってたんだよね、あの資料」

 セリナが言って、カスミがうん、と小さくうなずいた。


「昼休み、意外と時間あるしな」

 ミナトが飲み物を手に、席を探してきょろきょろしている。


「昨日、母さんとメッセージでやりとりしてたら、『期待されてるのねえ』って言われたよ」

 モモリンが笑いながら言うと、


「そうそう、うちも父が『時代の転換点かもな』って」

 チアリが続ける。


 ──もう親とそんな話してるの?

 私は二人を見た。

 私だったら、まず自分の中で理由を整理してからじゃないと、親に話すなんてできない。

 そういう“相談”のしかたがあるなんて、少し驚いた。


「ひでー。弁当売り切れだって」

 生協まで弁当を買いに行った男子たちががっかりして戻ってくる。


「ほら、だから言ったでしょ」

 そう言って、ヨウタが電子レンジの前から戻ってきた。


「ピタパン、温めてきた。今日は足りなくなると思ってさ」


 手にしているのは、レトルトのハンバーグとカット野菜をマヨネーズで和えた具材が挟まれたサンド。

 焼き戻されたピタパンがふわりと香って、少しだけゆったりとした空気になる。


「まじ? すげー助かる!」

 男子のひとりが、目を輝かせて手を伸ばす。


「なんとなく、こうなる気がしてさ。朝のうちに用意しておいたんだ。簡単だけど、ちょっと工夫すれば見た目も良くなるし」

 ヨウタが笑って差し出す。その気軽さが、なんだかかっこよかった。


 全部、市販品のはずなのに、並べられたピタパンはどれも手作り感があって、美味しそうに見えた。

 ──そういえば、あのバーベキューのときも、焼きたてのチャパティをさっと出してたっけ。


「……やっぱ、すごいね。こういうところ」


「……なんで、こんなに集まってるの?」

 私は思わず小声でチアリに尋ねた。


「え? アリスが、ユウトに『あの資料、やばいよね』って送ったって聞いたから?」

「え、それ、そういう話だったっけ?」

「ナナセが、『アリスがきっかけだって! 行こう!』って言ってたよ」


 どうやら、昨夜の私のメッセージは、思ったよりも遠くまで届いてしまっていたらしい。


「ま、集まったなら、話そうか」

 カイトが、いつもの調子で口を開いた。


 少し間を置いて、ユウトが静かに口を開く。

「……この資料、突っ込みどころがないわけじゃないけど、書かれていない部分が、語ってる気がする」


 ナナセが首を傾げた。

「書かれていない?」


「うん。あれだけ楽観的な未来像を描いてるのに、どうやってそれが実現可能なのか、肝心なステップがごっそり抜けてる。生理的適応、安全性の確保……そういう基礎的な部分を、あえてぼかしてある気がする」


「それって、やっぱり、隠してるってこと?」セリナが慎重に尋ねる。


「この資料は、公表されていない事実──異世界からの訪問や、魔素適性による選別の存在──を前提に書かれてる。だから、一見すると論理が飛躍して見えるんだ」


「選ばれてる、ってこと?」

 チアリの落ち着いた問いかけ。


 ユウトは、うなずいた。「魔素適性という概念があって、それに対応できる個体を選別する技術が既にある。僕らはおそらく、その選別を経て“適格者”とされている。さらに、その上に、この資料が既に広報されている——」


「——つまり、かなりの確度で、安全に渡航できると判断されてるはずだ。じゃなきゃ、こんな楽観的な構想、そもそも広報できない」


 沈黙が一瞬、広がった。


 ナナセが深く息をつく。

「……期待されてるって、なんだか怖いね。でも、ちょっと誇らしくもある」


「だからこそ、こうやって話せてよかったんじゃない?」

 カイトが笑った。

「それぞれ考えて、それぞれ決めりゃいい」


 セリナが時計を見て、声をあげた。

「あ、そろそろ午後の授業!」


「ほんとだ、片付けなきゃ!」

「じゃあ、またね!」


 椅子を引く音が重なり、ラウンジは少しずつ静けさを取り戻していった。

 ──話し終えてなお、空間に残っていた温度。そのなかで、ひとつ息をついて、立ち上がった。


【第47話:了】

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