第2部:理系少女、魔法と出会う
第45話:【第1部振り返り】 夏と異世界への扉
※この話は、第2部の導入として、これまでの出来事を振り返る構成になっています。はじめて読んでいただく方にも、あらすじを振り返る形で書かれていますので、ここから読み始めていただくこともできます。
既に第1部の内容をご存じの方は、この話を飛ばして次話から読み進めていただいても問題ありません。
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午後の授業が終わると、校舎内の生徒ラウンジには、少しゆったりした空気が漂っていた。
ティーサーバーの機械音が、静かな室内にかすかに響く。紙コップを手にした誰かが「今日は暑いね」と、ぽつりとつぶやく。
私は窓際のソファに腰を下ろして、小さく伸びをした。朝からずっと頭を使っていたせいか、肩がちょっとこわばっている。
端末を閉じて、ふと外に目をやる。少し色あせた緑が、夏の入り口を感じさせていた。
「……このあと、特別活動だよね?」
そう言ったのは、たぶんモモリンだった。声が明るくて、少し浮いて聞こえる。
「うん、たしか観測棟のロビーに集合って」
誰かがそう返していたけれど、誰だったかまでは記憶に残らなかった。
私はうなずくだけで、会話に加わることなく、視線をまた外に戻す。
いま目の前にあるこの風景が、当たり前になってきたことが、少しだけ不思議だった。
校舎のかたわらに並ぶ研究棟、芝生の向こうに見える実験農地、そしてその奥に立つ、ドーム状の観測場。
あの中に、“本当に”異世界につながるゲートがある。
そう聞かされたときは、夢の話のように思えたのに。
……でも、私たちは、ここまで来てしまった。
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答えが出るものが好きだった。
物理も、数学も。
論理は裏切らないし、ルールの中で組み立てていく過程が、どこか安心できた。
進学先を考えたとき、いちばん現実的だったのがこの学校だった。
国立の大学の附属高校で、全寮制。研究科に進めば、そのまま理系の大学にも近づける。
学費のことも含めて、将来まで見通した選択肢だった。
“理系に強い”と噂されていたのも後押しになった。
新設校で、入学前の情報は少なかったけれど、ここなら、未来に届くかもしれないと思った。
入学してすぐの頃、教室で配られた問題冊子には、「異世界常識テスト」と書かれていた。
出題内容は、「召喚された直後に何に注意すべきか」「初期装備やステータスウィンドウの扱い」など。
クラスの誰もが冗談だと笑っていたけれど、私は笑えなかった。
みんながゲームの知識でなんとなく正解を書いている中、私は白紙に近い答案を提出するしかなかった。
そのときから、少しずつわかってきた。
この学校は普通じゃない。
教室の窓から見える建物は、研究施設にしか見えない形をしているし、先生たちの話す言葉にも妙な違和感があった。
“
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女子たちの笑い声が、ラウンジの一角から聞こえてきた。
その中心にいるのは、チアリ。
金髪のポニーテールが、話すたびに軽やかに揺れている。
少しして、ふとこちらに目を向けた彼女と視線が合う。
ぱっと笑って、小さく手を振る。
私も、軽く手を上げて応えると、それだけで通じ合えたような気がして、少しだけほっとする。
チアリは、地元の中学のときからの親友だった。
気心も知れていたし、まっすぐで、嘘をつかない。
なのに、入学してすぐ、彼女が「異世界」についてあまりにも自然に語ったことに、私は戸惑った。
その知識は、冗談や空想ではなく、現実のことのようだった。
チアリは、そういう世界を知っている。
……私は、知らなかった。
その違いが、どこか遠くに来てしまったような気がして、少し怖かった。
この世界に、本当に“異世界”がある。
私は、そんなありえないことを受け入れるしかない場所に来てしまった。
その頃、ニュースでも大きく取り上げられていた。
異世界との接続が正式に認められ、臨時の国会で関連法案が通過した。
異世界は「新たな海外」と位置づけられたようだ。
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異世界に関わる知識は、「課外活動」に参加した者にだけ共有される。私たちは、参加の意思を示すと同時に、秘密保持の誓約書に署名した。
一生守らなければならない秘密じゃない。
でも、それまでは——誰に話すこともできない。
「わかってくれる誰か」にすら、打ち明けられないこともある。
それでも私は、あのとき、迷いはなかった。
そうして、異世界についての課外活動が始まった。
異世界語は、見慣れないのにどこか整ったリズムを持っていて、耳に残る不思議な響きだった。
教材にはきちんと文法と例文が揃っていて、とても冗談とは思えなかった。
魔素についても、それぞれの先生が違う角度から説明していて、物理や生物、異世界の歴史や伝承の観点で、少しずつアプローチが違った。
それでも、根本的な部分では一致していて、逆にその多角的な説明が、かえって
観測場の見学も許された。
観測場の内部は、まるで研究施設の心臓部のような雰囲気だった。
異世界への「ゲート」と呼ばれる現象は、見た目には揺らぎのような空気の歪みで、そこに本当に別の世界があるなんて信じがたかったけれど、空気が通っているとか、水が通るとか、そういう事実だけは確かに観測されていた。
機械が通らない、合成素材がすり抜ける──そんな話を聞かされるうちに、私たちは知らず知らずのうちに、“異常”を“前提”として受け入れるようになっていた。
そして——私たちは、“向こう側”の人と出会った。
フードを被った、どこか異国の使者のような雰囲気をまとったその人物は、「卿」と呼ばれていた。
名前はクラヴォス・グルキア。異世界の王立学院の重鎮で、王の元教育係だという。
最初は作り物のように思えたが、言葉を交わし、立ち居振る舞いを見ているうちに、どこか「本物」だと感じさせる空気があった。
その出会いが、すべてを変えたわけじゃない。
でも、「本当に異世界があるのかもしれない」という感覚が、“証明”から“実感”へと変わっていったのは、あの瞬間だったように思う。
その後、観測場での説明の中で、「交易が始まっている」という話を聞いた。
向こうの世界とこちらの世界が、互いにやりとりをしている。
それは、異世界が現実と地続きになっているという、何よりの証だった。
私たちは、ただの生徒ではなく「未来の交流者」として扱われている——そんな風にも、思えた。
さらに私たちには——「適性」という言葉が告げられた。
魔素という物質に耐性がある人とない人がいて、それは年齢や体質にも関係するらしい。
私たちは、なぜかその「ある」側に分類されて、ここにいる。そういう事実を知った。
自分では、特別なことをした覚えもないし、そんな力を持っているとも思えなかった。
でも、私は自分がここにいる理由がわかったような気がした。
気づけば、周囲の気配をふっと遠ざけ、記憶をそっと
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「だから、あそこで回復してくれてたら——」
「いや、それ先に言えって!」
という声に、意識を引き戻される。
ドアが開いて、にぎやかな声がラウンジに広がる。
カイトたちだ。VRゲームのミッションが終わったのだろう。
カイトは、相変わらず前のめりに話している。
思ったことをすぐ口にするタイプで、言い合いになってもすぐに笑い合えるような、そんな空気を持っている。
カイトとは、家が隣同士。昔から変わらずまっすぐで、言いたいことはすぐ口にするタイプだ。怖いこともあるはずなのに、それを表に出さないで、率先して動くところがある。
チアリは、そういう彼にいつもツッコミを入れて、空気を明るくしてくれた。
ユウトは、どこか冷静で、私たちより何歩も先の情報を整理してくれる存在になった。
────
「……そろそろ行こっか」
誰かの声に我に返って、私はゆっくりと立ち上がった。
まだ、何もわからない。向こう側に何があるのか、私には見当もつかない。
でも、少なくとも、この一歩は、自分で決めたい。
私は、ここから先を——信じてみることにする。
【第45話:了】
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