第44話:空が晴れるとき

 ゲート施設のドアを抜けた瞬間、鋭い陽光が目の奥に差し込み、誰もが一様に顔をしかめた。空は高く、梅雨の晴れ間とは思えないほど澄み渡っている。

 ……さっきまで、空はどんよりしていたはずなのに。いつの間にか、すっかり晴れていた。


「うわ、まぶしっ……」


 ナナセが目を細めてつぶやく。


「そりゃあね。ずっと窓のない施設内だったし。太陽見たの、何時間ぶり?」


 カイトの言葉に、周囲の生徒たちも一斉に空を仰ぐ。


「明日も晴れるって。外干しできるよ、洗濯物」


 ナナセが言った。少しわざとらしく明るい話題を持ち出す口ぶりだったが、誰もそれを否定しなかった。


 だけど、みんな胸の内に、いくつもの言葉にならない感情を抱えていた。

 ——言いたいことも、聞きたいことも、整理したいことも山ほどある。

 でも、この場所では、そのどれも口に出せなかった。


「……ラウンジ、寄って帰ろうか?」


 と、誰にという感じでなくチアリが言った。小さな声だったが、その場にいた全員が自然に頷いた。

 ゲート施設の敷地を離れ、生徒ラウンジへと歩き出した。


────


 ラウンジのソファ席に収まった生徒たちは、それぞれ紙コップに入った飲み物を手にしていた。緊張がほぐれ、ようやく本音を交わせる空間。


「……やっぱり、そういうことだよね。私たちって、たぶん、向こうに行けるから選ばれたってこと」


 セリナがゆっくりと切り出すと、周囲の生徒たちも頷いた。


「黒鷺教授の話、すごかったな。マウスとかウシとか……ぜんぶ、適性で選んでたって」


「じゃあ、あの検査で——」


「うん。自分の血液が光ったって言ってた人、いたよね。あれ、適性反応だったんじゃない?」


「……つまり、俺たちも、同じように選別されたってことか」


 言葉が途切れる。確かにそうだ、と誰もが思いながら、その事実の重みに思わず沈黙する。


「でも、逆に言えば、あの検査で“引っかかった”から、ここにいるんだよね?」


「え、怖……」


 誰かが小さく笑い混じりに言って、場の空気が少しだけ和らぐ。

 ——ここにいる理由。それを、ようやく自分たちの言葉で受け入れられるようになってきた。


「……でもさ、もし本当に行くことになったら、どういう手順になるんだろ」


 ナナセが、紙コップのふちを指でなぞりながら呟く。


「安全性とか、大丈夫なんだろうか。あのゲート、なんか……正直、こわいよね」


「わかる。向こうに行ったら何があるかも、よくわかってないし……」


「いきなり“じゃあ今から行ってもらいます”とか言われても、さすがに無理」


 何人かが笑うが、その笑いには戸惑いや不安もにじんでいた。


「でも、さすがにそんな無茶なことにはならないと思うよ」


 静かに、ユウトが口を開いた。


「だって、これまでの流れ見てると、秘密保持の契約だってちゃんと説明あったし。いきなり強制とかはないんじゃないかな」

「——それに、黒鷺教授が葛城さんに『変な圧力かけてないだろうね』って言ってただろう? あの黒鷺教授がだよ。あれ、結構本気だったと思う」


 その言葉に、数人が「たしかに」と頷いた。

 ——疑問は尽きないけれど、ちゃんとした説明があるはず。まだ何も決まっていない。だけど、少しずつ、心の準備は始まっている。


「大体さ“行きたい”って言っても、どの程度の適性があって、どんな活動ができるかって、これからだからね」


 確かにそうだ。片山先生ほど大変な思いはしないんだろうけど、異世界から来ている人もそれなりに辛そうだったし……適性の強さもそれぞれだろうし、実際にできることがわかるのも、きっとまだこれからだ。


「……でも、もし本当に“行ける”ってなったら、どうする?」


 ナナセが、紙コップの中の氷をくるくると回しながら言った。


「行きたい気持ちはあるけど、やっぱり怖いよね。異世界って」


「うん。向こうに何があるのか、まだはっきりしてないし……」


「自分だけ何か変な反応が出たらどうしようとか考えちゃう。適性はあるって言われても、実際に行ってみないと分からないわけで」


「……でも、もし声がかかったら、私は行くと思う」


 セリナが、まっすぐに前を見ながら言った。


「チャンスだと思う。こんな経験、普通じゃ絶対にできないし」


「俺も、たぶん行く。正直、不安はあるけど……でも、それを理由に逃げるのも違う気がするんだ」


 ユウトの言葉に、数人がうなずいた。


「なんだかんだ言っても……行ってみたいかな、私は」


 チアリがぽつりと呟く。


「本当はすっごく興味あるし、ワクワクもしてる。でも、行って、何かあったらどうしようって思うと、足がすくむ」


 それぞれの胸の内に去来する、期待と不安と覚悟。


 ——誰かが決めた道ではなく、自分で選ぶ道。


 その重みが、静かに彼らを試していた。


 言葉は交わされなかった。

 それでも、なにかが伝わっていた。


 外はすっかり夕方の色になっていた。涼しい風が吹いた気がする。


「ねー、さすがにお腹すかない? 今日、めっちゃ疲れたよね……」


 モモリンがぽつりと言って、みんなの間にふっと笑いがこぼれる。

 堅かった空気が一気にほどけて、背伸びする子や、荷物を持ち直す子の動きが連鎖する。


「じゃ、戻ろっか。ごはんごはん〜」


 そんな声に押されるように、生徒たちはそれぞれ立ち上がった。


 ひとり残って、窓の外を見つめた。

 西日が傾く空を、黄金の光がゆっくりと染めていく。


 ——どんよりと重たかった空が、晴れわたるように。

 心の中も、少しずつ輪郭を取り戻していく。


 まだ迷いはあるけれど、進む先が見えてきた。

 それだけで、世界の色が変わる気がする。


 私たちは、「選ばれた理由」を知った。

 ——ただの偶然じゃなかった。


 その事実が、私の中に、静かに降り積もっていく。


 でも、それだけじゃない。

 私にしかできない何かが、この先にある——そんな気がした。


 それでも、私は、もう一度、確かめたかった。

 ——自分の意志で、そう思えるかどうかを。


 誰にも聞こえない、小さな声でつぶやいた。

「私の答えは、もう決まってるよ」


 ……長い一日が、ようやく落ち着こうとしていた。


【第44話:了】


———

 第一部を最後まで読んでくださいまして、本当にありがとうございます。


 この物語は、「転移や転生をしない異世界もの」を書いてみたい、そんな思いから始まりました。

 どこかに扉が開いていて、そこから少しずつ、異世界に手が届くようになる。

 現実のすぐ隣に、知らなかった世界が広がっている——そんな風景を描いてみたかったのです。


 第一部では、主人公たちがその“異世界”と出会い、まだ現実とは思えないままに、戸惑いながらも受け入れていく様子を描きました。

 そして第二部では、彼女たちがいよいよその世界へと歩み出し、“魔法”というものと向き合っていくことになります。


 ここまでお読みいただいたとおり、本作は、「目が覚めたら異世界だった」といった急展開とは少し違って、

 現実と異世界のあいだを、どうつなぐのか。

 その構造や制度、そして心の折り合い方を含めて、丁寧に描いていきたいと思っています。


 展開の早さよりも、その過程に目を向ける物語ですので、歩みはゆっくりかもしれません。

 それでも、だからこそ届くものがあるのではないかと、信じています。


 ここまで読んでくださったこと、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。


 そして、もし「こういう作品が好きだな」と思っていただけたなら、

 フォローや★評価、レビューやコメントで応援していただけたら、とても心強いです。

 そのひとつひとつが、この物語を、まだ見ぬ次の読者へと届けてくれると信じています。


 第二部最初の更新は、6月19日(木)に2話同時公開の予定です。

 45話では第一部の振り返りを、46話からは新たな章が始まります。


 また、登場人物や用語、世界設定をまとめた補完資料「フラクタルな雲の下のノート」も公開しています。

 https://kakuyomu.jp/works/16818622176397623750

 再読や振り返りの参考として、お手元に置いていただければ嬉しいです。


 これからも、アリスたちの旅路を、そっと見守っていただけたら幸いです。


 津和野圭 拝

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