おまけ 珠樹と愛実 “Summer Lilys”
はじめて会った日のことを、わたしは昨日の事のように覚えている。
シングルマザーになって貧困家庭になったわたしの母を、母の友人で起業成功していた加藤さんが会社に誘ってくれた。おかげで新しい仕事と生活場所を得たわたしたち。
転校初日の教室は、乾いたざわめきと好奇の目に満ちていた。人見知りでうつむいていたわたしは、たぶん長い髪もあって、やんちゃな男の子たちにうざがらみされてしまった。
そこにショートヘアでまるで男の子みたいな女の子が割って入ってくれた。
「あんたたち、転校生に親切にできないの!恥っずかしい!」
小さなからだで仁王立ちになって、大きな声で叫ぶと、クラスの女の子たちも彼女の味方をしてくれた。
男の子たちは「ちぇ、加藤うぜえ」とか言いながら散っていく
「転校生の木村さんでしょ? ママに聞いてるよ。わたし、加藤愛実!よろしく」
からりと笑った愛実の声。今考えれば、愛実はわたしの王子様だったのだ。
わたしが愛実とべったり仲良しになるのに時間はかからなかった。うちの寮がわりのアパートだって愛実の家のすぐそばだし、学校の帰り道はいつも同じ。お互いの部屋を行き来して、宿題をしながらお菓子を食べて、くだらないYoutube見ては一緒に笑った。
小中高と、ずっと一緒だった。小学校高学年で生理が来た頃、愛実は髪を伸ばしはじめた。
今ではわたしがショートで愛実がツインテ。反対になってしまった。
愛実は中学の頃には男子に告白されるようになるくらい可愛くなったけど、全部、断っていた。
「恋愛、めんどくさいしー!」
って、愛実は笑っていたけれど、わたしはそのたびに安心と、逆に理由もわからないもやもやを感じていた。
わたしは少年漫画は読めても少女漫画が読めない。
男女の恋の駆け引きとか、さっぱり面白いと思えない。
だけど中二になった夏に、なにげなく読んだマクラ本に掲載されていた初恋百合漫画に、胸を撃ち抜かれた。
髪をショートにしたばかりの少女が、親友にいきなりハグ&キスされる——ただそれだけの話。
繰り返しその漫画を読んだ。胸がドキドキして体が火照った。
そして、気づいた。
ああ、わたし、百合なんだ。同性が好きなんだ。
対象は、愛実。あの日からずっと、ずっと。好き。
わたしはその想いを胸の奥にしまい込んで毎日を暮らした。
だって愛実に拒絶されたら、わたし、わたし……。
夢を見た。
別々のホームにわたしと愛実。声をかけようとした瞬間、愛実の横に、知らない誰かの影が立った。
列車が来て、扉が開く。愛実は笑って、その人と手をつないで乗り込む。
ドアが閉まる。
列車が走り出す。
そして、列車が去ると線路も消えて行く。
追いかけられない、行く先もわからない。永遠に交わらない。
目を覚ましたわたしの手は、冷たくこわばっていた。
胸が、どうしようもなく、痛かった。
******
その日も暑くて、うんざりするような蝉の声がアスファルトを焼いていた。
夏休み。ごろごろタイムのお供はアイスだった。食べれば買い置きはすぐ無くなる。わたしたちは仕方なく、近所のスーパーへ向かっていた。
「ここのアイス、最近ちょっと高くなったよね」
「うん、夏中の消費量考えると怖いね」
「考えたら負け!」
「まあ、氷に砂糖かけて食べる日も近い、よね」
冷凍ケースの前でバカなこと言って移動していたそのとき、愛実がふいに立ち止まった。
「珠樹、ほらあれ……ムーミン先輩と、杏」
冷蔵コーナーの向こう。
杏と真秀先輩がカートを押していた。
「わ、ほんとだ。なんか、同棲カップルみたいじゃん」
「ラブラブだね」
「いや、こうして見ると……」
愛実が小声で笑った。「ガチだね」
わたしたちは自然に、彼らの進行方向とは逆の棚に回り込んだ。
こそこそと隠れて二人を追いかけた。見ちゃいけないけど、見たい。なんだか変な気持ちだった。
ふたりは、調味料コーナーを抜けて、レジの方へ向かう。
セルフレジ。
わたしたちはアイス二箱とポテチでおしまいだけど、そのあともレジの間からこっそり透かし見た。
予定では、サッカー台で偶然出くわした風に声掛けて冷やかすつもりだったのだ。
杏が小さな箱をさっとスキャンして袋に入れると、いそいで次の品物をスキャンした。
わたしたちはそれを見て、あわててすぐに踵を返すと、スーパーを出た。
「……コンドーム、買ってたね」
「……そこまで進んでたんだ、あの二人」
「……うん。でもあの杏がねえ」
そのあと、わたしたちはほとんどしゃべらなかった。
手にしたアイスが溶けないように急ぎ足だったせいもあるけど。
愛実の家は、古い平屋をリノベーションしたけっこう大きな家で、居心地のいいリビングがある。
かろうじて溶けてはいなそうなアイスをフリーザーに入れてから、ふたり並んで床に寝転がる。
「……あのさ」
ぽつんと、愛実が言った。
「やっぱり、あのふたり……エッチな事やってるんだよね」
「……まあ、そうだろうね」
「なんかさあ」
「うん」
「ちょっと杏が遠くなった気がする」
「“大人の階段”って陳腐だと思ってたんだけど、まさにそれだよね」
起き上がって、氷をからから言わせて麦茶を飲んだ。
麦茶を飲み干して、ふたりでぼんやりしていた。
昼下がりの陽光が、カーテンの隙間からやけに白く差し込んでいた。
杏と先輩の逢瀬をつい想像してしまう。
たぶん、わたしも、そして愛実も欲情している。
卑しくも、友人のセックスを想像して…。
隣同士に居て、それは隠しようもなく伝わった。
「……ねえ」
わたしは、思わず愛実に声をかけた。
「なに?」
どろどろの心の中。満ち潮が溢れるままに、思わず引き金を引いてしまった。
「……わたし、愛実のこと、好き」
言ってから、心臓が跳ねた。
言うつもりなかったことを口に出してしまった。
愛実は、ちょっと目を見開いて、それから眉を下げて笑った。
「……ああ、うん、なんか、そんな感じ、してたよ」
「……うそ」
「ほんと」
ふつうの会話みたいに、愛実は続けた。
「じゃあさ、今わたしたちどうしようもなく欲情してるし、珠樹、わたしとヤってみる?」
「えっ!……」
「いや、わたしも珠樹の事好きだし、セクシャルなことにも抵抗ないというか…」
これ、ほんとに愛実なの?
「珠樹…わたし、セックスすること自体の垣根が、たぶん低いほうだと思う」
ぽん、と爆弾みたいに、その言葉は落ちてきた。
「わたし、セルフプレジャー、好きなの。小さい頃から股毛布してたしね」
「もし男の子と付き合ったら、多分すぐしちゃうと思うし。もちろん相手が珠樹でも、拒否感ないかなって」
心が、ぐらりと揺れた。
わたしは、どこかでタガが外れたのを感じていた。
おおきな流れのど真ん中にいる。体が、心が、もう止められなかった。
***
わたしは天井を見ていた。
愛実のベットは天蓋付き。天蓋だけ売ってるらしい。ああ見えて愛実、ディズニーが大好きだからね。
――あー、夢じゃない。
視線をずらすと、横にはうつ伏せで眠る愛実がいた。
夏掛けから、肩が出ている。
白くて、態度とうらはらな、きゃしゃな体・・・。
わたしは、あこがれにとうとう触れてしまった。触れて、抱きしめて、声を聞いた。
愛実は、驚くほど敏感だった。敏感で奔放だった。
わたしは、恋人になってしまったのだろうか。それとも、遊びの一環?
あの一線を越えることは、どこかもっと劇的で、重たいことだと思っていた。
でも実際には、とても簡単で、柔らかくて、ぬるくて、心地よかった。
ただ、それだけだった。
それなのに、今はとても怖い。
「……ん……」
愛実が、寝返りを打って、目をゆっくり開けた。
愛実がわたしを見て、とてもやさしく笑った。
そして、目を細めて、手を伸ばしてきた。
「……おはよ、珠樹」
その手が、わたしの髪に触れる。
指先で優しく梳かれる。
ラブラブな恋人みたいな、それは朝のしぐさだった。
もうずっと前から付き合ってるかのような。
「へへへ、ヤっちゃったね」
「うん。でも、いいの?」
愛実はくすくす笑った。
「なってしまったし、気持ちかったし、いいんじゃない。……珠樹」
「うん」
「考えるな、感じろ」
「ブルース・リーか!」
「あれ、ヨーダじゃ、ないの?」
笑わせてくる愛実に、あるがままでいいよと言われたような気がした。
***
あの夜から、世界は一ミリも変わっていない。
コンビニも、電柱も、照りつける太陽も、
愛実の口癖も、笑い方も、
全部、変わっていない。
変わったのは、わたしの心だけだ。
片思いは、終わった。
でも、両思いって、意外に不安定。
態度を意識してしまう毎日。わたし前はどうしてたっけ?
愛実視点:
「珠樹~!スイカ割り~!」
珠樹は今日もフェミニンなポロ襟のワンピース。前は全然着なかったのに。
そんで髪をしきりに直してる。
ショートだから崩れてないよ。あはは。
――正直、落ち着いてないの、バレバレなんだけど。
(うん、やっぱ気にしてるな)
恋人どうしになってから、珠樹の挙動がいちいち新鮮でおもしろい。
すっごく可愛いよ、わたしの珠樹♡
それはそれとして、
「スイカ割るのにそんな恰好じゃダメでしょ、ほら、Tシャツに着替えな」
******
愛実の家の裏庭。
ブルーシートに置いたスイカ。割と大き目の空気入れるプール。ビーチパラソルに折りたたみチェア。
「……ほんとにやるの?」
「やるよ!夏なんだよ!?やるでしょ」
愛実は、あの日から何も変わらない。
スキンシップも、会話のテンポも、昔からの親友そのまま。
でも、ふとした瞬間に「恋人ぽいこと」も混ぜてくる。
『考えるな、感じろ』
それか。お相手がいいっていうなら、それでいいや。
仲良しな友達で、だのに時々境界線が溶ける。了承ずみの関係。最高じゃん!
愛実、可愛いっ!♡
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ポエミー全開。初百合。
百合ごころが全然分からないのに、書いてしまった。
すみません。
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