パパとママ、スナップショットを見る
お願い:
挿絵があります。文中にリンクがありますので是非ご覧ください
夕方、まだ明るい時間。音楽を聴いていて玄関の音に気付かなかった杏は、パパの姿にヘッドフォンを外した。
「お帰りなさい、パパ」
「ああ、ただいま、杏。お、なんだそれ?」
パパの視線は、テーブルの上の小さなキャンディ缶に吸い寄せられる。
杏はニコニコしながら、自慢げな顔をした。
「なんだ、そのドヤ顔」
笑うパパ。
「パパ、ちょっとこれ聴いてみて」
杏は素早くラインを繋ぎ直してヘッドフォンを手渡す。
パパはそれを受け取ると、耳に当てる前にしばらく眺めた。
「相変わらず派手だな。俺なら外で着けられん」
「もう〜、見てくれはどうでもいいの!中身だよ中身」
パパがヘッドフォンを着けるのを確認して、杏は曲を再生する。
ニコライ・カプースチンの『8つの演奏会用練習曲・トッカティーナ』
弾けるような明るさで親しみやすい、細やかで美しいピアノエチュードだ。
パパはしばらく目を閉じて聴き入り、それから言った。
「カプースチンか。うん。前よりずいぶんいい音になったんじゃないか」
杏はそっと肩をすくめる。
「うん、パパの言う通り育てたよ。クンクンももう聴きたくないって」
「お前、ぬいぐるみに聴かせてたのか」
呆れて笑うパパだった。
杏はテーブルの上のアンプを繋ぎなおして、再びヘッドフォンを差し出す。
「はい、もう一度聴いてみて」
「よし、どうなるのかな?」
パパは少し期待に満ちた顔でヘッドフォンを装着し、目を閉じる。
杏はパパが聴いている間、静かに待っていた。
部屋にはキッチンから美味しそうな香り。杏は夕食に思いをはせた。
(今日はシチューかな?そういえばうちはご飯に掛けて食べるけど、この間みんなと論争になったっけ。カレーと同じで絶対掛けたほうが美味しいしー)
窓の外から子どもたちの笑い声がかすかに聞こえてくる。
パパはとうとう一曲を聴き切った。
ゆっくりとヘッドフォンを外した後、 軽く息を吐き、満足した顔で杏を見る。
「驚いた。すごく音像が広くなったし、音の分離もしっかりしてる」
杏はにんまりと微笑む。
「でしょでしょ」
「どうしたんだ、これ。見たところ市販品風ではないし」
小さなキャンディ缶でできたアンプをしげしげと眺めるパパ。
「うん、先輩から譲ってもらったんだ。自作なんだって」
「ほう……先輩か」
パパの声が感心した後で、ほんの少し低くなる。
そのとき、キッチンからママの声が響いた。
「パパ、帰ってたのー?そろそろごはんできるわよー!」
「ママー、ただいま!俺、着替えてくるー」
「早くしてね」
「おお」
杏はヘッドフォンを置いて、キッチンに向かった。
手を洗い、食器棚を開く。
「ママ、食器出すねー」
「お願ーい」
*****
食後、杏とママはリビングでくつろいでいた。キッチンから、湯気といっしょに芳ばしい香りがゆっくり流れてくる。
「コーヒー入ったぞー」
パパが湯気の立つカップを運んでくる。杏は受け取って、立ち上る香ばしさを吸い込んだ。
「パパ、この豆、いい香り」
「お、分かる?今日、手焙煎の店で買ってきたんだよ」
しばし黙ってコーヒーを楽しむ。
お供はでん六豆。
ふと、思い出したようにパパが言った。
「で、杏。先輩ってのは、男子なんだよな」
杏はうなずく。
「うん。いつも通学電車で乗り合わせる二年の先輩」
パパは湯気越しに杏をじっと見る。
ママがパパを見て、意味ありげに笑い、杏に尋ねた。
「まあ。どうやって仲良くなったの?」
「うん、先輩、同じヘッドフォンのオーナーで、それ繋がりで仲良くなった」
「ど、どんな子なんだ」
あせったようなパパを見て、いぶかしんだ顔をした杏は、テーブルのスマホを手に取った。
「どんな子って…、優美に撮ってもらったスナップあるけど、見る?」
ママは身を乗り出す。
「見せて見せて」
杏は写真フォルダを開き、一枚のスナップを選んでスマホを差し出した。
↓挿絵リンクです
https://kakuyomu.jp/users/mako_nakamuta777/news/16818622173242935671
パパは眉を寄せながら受け取る。
「ほお、ふーん。真面目そうではあるな」
「すっごい優しい人だよ。礼儀正しいし言葉使いも丁寧だし」
隣でスマホを受け取ったママが、しばらく写真を見つめてうーんとうなる。
「ママ、どうした?」
「どっかで見たような…あ、思い出した!わたしこの子見たことあるわ」
杏とパパが声を揃えて身を乗り出す。
「えー、どこでどこで」
「うん。杏が好きなカイザーゼンメルのサンドイッチあるでしょ?」
「パストラミとレタスの?」
「そうそう」
「あれ美味しいよねえ。それが?」
「あれを売ってる、ベーカリーの息子さん」
それを聞いて杏は驚いた。思わず声がでる。
「えええ――っ!」
「なんだお前、知らなかったのか」
「だってわたしたち、音楽の話しかしてないんだもん」
「ふん、そうかそうか」
「彼、休みの日にお店手伝ってるのよね」
「ママ、どんな子だ?」
「うん、明るいし礼儀正しいいい子よ、パパ」
「そうか。真面目くんか」
パパは少しだけ安心したような顔で、コーヒーを口に運んだ。
*****
飲み終わると、パパはコーヒー道具を片付けにキッチンへ。
杏とママはリビングで二人きりになった。
「ふふ、杏がねえ」
ママは杏を見てニヤつく。
「ママ、何その顔」
「別にー」
杏は口を尖らせた。
「別にって顔じゃないでしょ、もう」
「なーんでもない、なーんでも、ね。ふふふふ」
ニヤニヤするママに、杏はむきになる。
「やらしい、そんなんじゃないよ。先輩とわたしは音楽繋がりなだけ」
「まあ、みんな最初はそんなものだから。あ、パパをあんまり刺激しちゃダメよ」
「だからー、そんなんじゃないってばー」
「はいはい」
パパが戻ってくる前にママはTVをつけて、ボリュームを少し上げた。
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Nikolai Kapustin
Eight Concert Etudes Op. 40 Toccatina
https://www.youtube.com/watch?v=FJL5V6Rz1R0&list=OLAK5uy_lICc9UYY9pCs3yr25X5igAbjLV6Lv0FVQ&index=3
パパが聴いたのはこの曲。できれば8曲通しで聴いて欲しいな。
プレイリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_lICc9UYY9pCs3yr25X5igAbjLV6Lv0FVQ
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