第8話 汚いだろうが‼︎
ゆるゆると瞼を開ける。少し揺れる視界に、暖かい左肩。
「…ん?」
隣で男が眠っている。俺の肩に寄りかかり、すやすやと気持ちよさそうだ。俺は寝ていたのか。キエルの中心部近くまで来ているのだろうか。街中は賑わい、ガラスのショールームや呼び込む声が聞こえてくる。
「あ!ラルクさん、起きたのですね。」
確かディアンバルといったか、ふくよかな肉付きのおじさんが声をかけてくる。俺は辺りを見渡す。
「ここは…?」
「寝ぼけてらっしゃるんですかね?」
くすりと笑うディアンバル。目元の皺がより際立つ。
「馬車の中ですよ。もう、キエル中心部につきました。」
俺の予想通り、キエルの中心部まで来ていたらしい。そりゃあ、これだけ賑わうよな。結構な大きさの街なのだろう。
「あの、ラルクさん。」
「はい。」
「良ければ、リックスさんも起こして頂けませんか?」
俺は隣で眠る男を見る。リックスの口端がきらりと光る。
ーうん?まさか。
俺は嫌な予感がする。俺はじっと観察した。たらーっと流れる水。あ、ヨダレ。俺の服に垂れてもうすぐ付いてしまうという時に、俺はハッと我に帰り、男を揺すった。
「あの、起きて下さい。てか起きろ。おい。」
ダラァっと垂れてくる涎。もはや滝だ。ふざけんな。服につくだろ!?俺は必死に起こした。
「うぇ、吐きそう。」
リックスは目を開け、そう言った。顔面が青く、ウプっと声を漏らしている。
「は?」
俺は眉間に皺を寄せて、それから少し考える。コイツ、なんて言った?吐く?
混乱する俺は、行動が遅れた。
「おえええええええ。」
リックスが吐いた。俺に向かって。
「はあああああああ!?」
べちゃべちゃでゲロまみれにされる。臭い。非常に不快だ。リックスは俺の事を見た後、「すまねぇ。」と言ってもう一回吐いた。
ーーなんだコイツ。最悪だ…。
げえげえとあえぐ声をBGMに、俺は空を仰いだ。
もし俺のキエルでの思い出全てにゲロの匂いが纏わりつくならば、一生お前を恨んでやる。俺は心にそう決めたのだ。
⚪︎
「いや、本当に申し訳ありませんでした。」
目の前で男が土下座している。俺の服は綺麗に洗濯されている最中だ。
「もう、良いですから。」
何度も何度も謝るリックスに、俺はもはや疲れを感じていた。どうせ洗えば何とかなるのだ。この不快な気持ちも治ってくるに違いない。時間が解決してくれる。
「そうですか。いやあ、許してくれてありがとう。」
ー何だコイツ。態度変えたぞ?
俺は少し腹が立ったが、ぐっと堪える。
「あとは乾かすだけだ。」
「リックスさん、この魔法って…。」
「ん?」
リックスの指先に小さな魔法陣が展開され、服の水分が空中に浮き上がる。一体どういう仕組みなのだろうか。
「あぁ、これか。火属性生活魔法の一種なんだがな、コイツを威力増し増しで使うと家が燃えるレベルになる。」
「え?家が燃える?」
俺はパチクリと瞬きをする。家が燃えるとか魔法のレベル高過ぎだろ。
「そうだぜ。家が燃える。んで、ギルドに連絡して皆んな水属性魔法打ったりして消す。めっちゃ金かかるぜ。」
「この魔法って、俺でも使えますか?」
これはもしかしたら、魔法を教えてもらえるチャンスなのかもしれない。
「ん?魔力があれば使えるぜ?ラルクは魔力あるのか?」
「魔力持ってるかどうか知らないんですよ。」
「うーん、調べるんだったらギルドに行ったほうが良いな。」
「ギルド?」
「おう!ギルドは何でも屋の管轄所なんだが、適性検査もしてくれる。安いし、検査やるんだったらギルドが1番よ。」
リックスは笑った。
「そうだ!明日暇か?」
リックスが突然俺に問いかけた。
「まあ、宅配物を紹介所に持っていく仕事さえ終われば暇ですけど。」
「良ければ俺と一緒にギルドにいかねぇか?」
「良いんですか?」
一人で行くとなれば、道に迷う事間違いなし。案内人はいたほうが良い。
「おうよ!んじゃ、明日フェルマーニ広場で集合な!」
リックスが勝手に集合場所を決める。まあ、この街の地理には疎い俺が場所を指定するなど出来ないし、ありがたかった。
「時間は?」
「午後の2時くらいはどうだ?」
「わかりました。」
俺は承諾した。それから、馬車を降りる。もうすっかり中央広場に着いていて、辺りは暗くなり始めていた。
「それじゃ、また明日。」
「明日なー!」
リックスに別れを告げ、俺は馬車を去っていく。
俺を下ろしたこの後、馬車はお嬢様?という人を屋敷へ連れていくらしい。お嬢様とやらを見る事は無かったが、本当にのっていたのだろうか。
俺は少し疑問に思った。だが、気にしてもしょうがない。
ーーさて、宿でも探すかな。
今夜はふかふかのベッドで眠りたいものだ。
⚪︎
中央広場から少し行ったところにある古い宿屋で、俺は一室を借りた。角部屋で俺の心は歓喜に満ちる。隣は家族なのだろうか、子供の騒がしい声が響く。
うるさいな。古いぶん、壁が薄いのだろう。長旅の疲れが取れるか怪しいが、あんまりきにしないでおく。多分気疲れしてしまう。
ギシっと音を立ててベッドに倒れ込む。肌触りの良い布団に、俺は笑みを浮かべた。
仰向けになる。天井は木枠が剥き出しになっており、古いランプが吊り下げられている。
ーー願い。
俺は今日見ていた夢らしきものを思い出す。
声の主は言っていた。
『世界を見て渡って下さい』と。そして『人との関係を繋げ』、とも。
さすれば声の主の願いが果たされ、俺の願いも叶うのだと。
俺の願いは何なのだろうか。スキルに振り回された6年だったが、それでも6年なのだ。とてつもなく長い時間だ。俺はこの時間で一体何を願っていたのか。
ーー楽しく生活したい?
そんなもの、俺の感情論だ。俺が解決すべきものだ。
ーー美味しいものを食べたい?
これも金を稼ぎ、飯を作り、街を歩けば達せられる。俺自身で出来てしまう。
じゃあ、俺の願いは?
ーー家族に会いたい。
先日の夢を見てから、俺は久しい寂しさに涙した。どの世界にいても、どんな時を過ごそうとも、家族へ会いたいという願いは無くならない。
ならば、俺の願いは『家族に会いたい』なのではないだろうか。
じゃあ、声の主の言う事を聞けばその願いは達せられる?
わからない。信じていいのか分からない。声の主の指す俺の願いが分からない。
漠然とした将来への不安と、声の主への不信感を抱える。
「はぁ。」
俺はため息をついた。それから、パンっと頬を叩く。ウジウジ悩んでいても仕方がない。そのうち願いは見えてくるだろう。
グゥぅぅっとお腹が鳴る。俺は苦笑いすると立ち上がって部屋を出る。食いしん坊な自分に、美味い飯でも食わせてやろうじゃないか。
俺は外の賑わいに、身を投じたのだった。
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