第5話

 いよいよ、ルイーズのデビューとなる夜会の前日。

 マシューズ子爵家からは「イアンの帰国が遅れていて、まだ到着していない」という知らせが届いた。


「どうするの? 欠席する? 五年も待ったのだから、数日の遅れなんてたいしたことないわよ」


 ルイーズの母は、珍しくおろおろと部屋の中を歩き回り、言葉を尽くして娘をなぐさめたが「お母様、そういうわけにはいきませんわ」とルイーズはきっぱりと告げた。


「参加は、すでにたくさんの方にお伝えしています。私自身が病気をしたわけでもないのに、いきなりの欠席では貴族社会における信頼関係にもひびが入るというもの。その……エスコートは、お父様かお兄様にお願いできたらと思います」


 イアンに迎えに来てもらうことは、諦めざるを得なかった。それでも、ルイーズの母は心配でたまらないというように言い募る。


「ダンスはどうするの。あなたずっと、相手はイアンさましかいないって」


「もし誘ってくる方がいたら、その場で対処します。私は良い年齢ですから、そのくらいのことは自分でどうにかできます」


 割り切ろうと決め、ルイーズは腹をくくって夜会へと向かった。

 王宮に着き、伯爵家の馬車を降りて入口の大階段へと向かうと、周囲から視線が集中するのが感じられる。


「イアンが良かったよね」


 ルイーズをエスコートする兄が、申し訳無さそうに言った。


「お兄様で良かったです。これは本心ですよ。イアンさまとは久しくお会いしていませんので、婚約者とはいえ、当日顔を合わせてすぐに二人で行動するというのは、勇気がいることでしたから」


 これで良かったんです、とルイーズは笑ってみせる。

 ホールに入って挨拶をしていると、早速近づいてきたのはクセがあるで有名な公爵であった。白いドレスを身に着けたルイーズをじろじろと見て、にやりと笑う。


「婚約者とは一緒ではないらしいと、すでにひとの噂になっていたよ。こんな大切な日に姿を見せないとは、君の婚約者もたいした男ではないね。長年の思いをふいにされた感想は?」


 公爵は以前からルイーズに関心を寄せている素振りがあり、図書館や養護院といった出先でなぜか顔を合わせては、何度かこうして絡まれたことがある。

 ルイーズは、一緒にいる兄に口を出さないようにとすばやく目配せをして、公爵へと向き直った。


「ふいにされたとは考えておりませんが?」


 イアンがこの場に間に合わなかったのは理由があってのことだと考えているし、予定通り出席すると決めたのはルイーズだ。気落ちするようなことは、ひとつもない。

 剣呑な表情をしたルイーズを前にして、公爵は鼻白んだように言った。


「ほう? しかし君にとって、今日は大切な日だったはずだ。ファーストダンスは特に大きな意味を持つ。さて、頼みの婚約者が不在とのことだが、なまじの相手を選んでもこれまで断り通してきた相手に角が立つというもの。どうかな、ここは私が君を誘ってあげよう」


 身分が高く権力もあり、いかなる案件でも優先的な待遇を当たり前に受けられると思っている者の態度だ。

 ルイーズは険しい表情のまま、そっけなく答える。


「婚約者がおりますので、他の方の誘いはお受けできません」

「いないではないか!」


 勝ち誇ったように言われ、ルイーズはさらに眉をひそめて言い返した。


「いまこの場にいないだけで、私の心の中にはずーっといます! お見せできるものならぜひ見せてさしあげたいですわ。私の心の中で、どれほど婚約者のイアン・マシューズの占める位置が大きいものであるか! 他の方が入る余地はまっったくありませんの!」


 しん、と辺りが静まり返った。

 遠くで流れていた楽の音すら、止まっていた。


(……?)


 さすがに静か過ぎではないかと、ルイーズはちらりと兄の様子をうかがう。目が合った兄は「あ、そうなんだ。へえ」と小声で言った。


「何も……おかしなことは言っていないかと……。婚約者がいるのですから、婚約者を一番に思い、他の方の誘いに応じないのはごく普通のことだと考えているのですが」


「うん。普通だと思う。堂々としていて、すごく良いと思う」


 兄はそう言って、ひとり頷いている。

 その反応に妙な不安を覚えて、ルイーズは公爵へと視線を戻した。


「ご納得いただけましたでしょうか? 私にはイアン・マシューズがいます。この場にいなくとも、彼を裏切るようなことは絶対にしません。私はずっと、彼の存在によって守られてきましたから」


 五年間一度も会っていないとはいえ、ルイーズはこれまで幾度となく「婚約者がいますので」で難局を切り抜けてきたのである。それは、彼の存在あってこそだ。恩という言葉だけでは言い尽くせないほどの、重い気持ちがある。

 ルイーズの真摯な視線をぶつけられた公爵は、ふん、と鼻を鳴らしてつまらなそうに言った。


「人を小馬鹿にしおって、失礼な娘だ。納得などするものか。それほどの相手であるならば、どうしてこの場にいない!」


 そのとき、ひとの間をかきわけるようにしてひとりの青年が進み出てきた。


 * * *


 

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