第6話
王都へもう間もなくというところで、馬車が故障して立ち往生となった。修理や代わりの馬車の手配に手を尽くしたものの、行程の遅れは避けられなかった。
しかし、約束を果たさなければならないイアンは諦めない。
「馬を乗り継いで向かえば、ぎりぎり間に合うはずです。殿下、何か殿下の身分証になるものをください。王宮に直接向かって、殿下の危機を伝えつつ夜会に参加します。絶対に行きます」
「あ~……? 忠臣? 俺のことはついで扱いか?」
ぼやけた返事をしつつ、クリストファーも即座に準備を整え「一緒に行く」と言い張った。
「乗馬ならお前にひけをとらないし、王宮に乗り込んで夜会に間に合わせて身なりを整えたりするなら、お前自身は誰かと話をしている暇も惜しいだろう。俺の救援なんかすっかり忘れるだろうから、俺の話は俺がする。お前は夜会にだけ集中しろ。愛しの
イアンは一瞬真顔になり「ああ、そうか。殿下へ救援がまわるように、詳しい話をしている時間はたしかに惜しいでしょうね」と答えて、クリストファーの不安を的中させた。
そのまま二人で帰国の一団から離脱することになり、馬もひとも死なない程度に命がけで駆け続けて当日の夕方にからくも王宮へ到着。
クリストファーが「馬車が壊れたが、火急の件で戻った!」と関係各所に話を通し、なんとかイアンを湯浴みさせて衣装を整えさせる一方、子爵家や伯爵家に使いを出したものの、行き違った様子。
ならば直接会場に出向いてルイーズと合流するまでと慌てて向かえば、会場には何やら不穏で落ち着かない空気が流れていた。
その理由を探る前に、どこかのご令嬢のひとことで文字通り完全に静まり返ってしまった。
「いまこの場にいないだけで、私の心の中にはずーっといます! お見せできるものならぜひ見せてさしあげたいですわ。私の心の中で、どれほど婚約者のイアン・マシューズの占める位置が大きいものであるか! 少なくとも、他の方が入る余地はまっったくありませんの!」
おい、あれルイーズ嬢じゃないか、とクリストファーはイアンを肘で小突いた。そして、どんな顔をしているのかと、にやにやしながらその顔をのぞきこんだ。
イアンはといえば、顔を真っ赤にして、片方の手のひらで口元を覆っていた。
「イアン?」
こそっとクリストファーが耳打ちをすると、息も絶え絶えの様子でイアンが呟いた。
「かっこ良……。僕の婚約者、かっこよすぎませんか……!」
「あ? ああ。おう。そうだな。うん」
しかしどういう反応だ? とクリストファーが首を傾げているところに、さらに澄んだ声が響く。
「ご納得いただけましたでしょうか? 私にはイアン・マシューズがいます。この場にいなくとも、彼を裏切るようなことは絶対にしません。私はずっと、彼の存在によって守られてきましたから」
うっ、とうめいてイアンはその場にうずくまってしまった。耳まで赤い。
「イアン……? おーい、大丈夫か?」
「かっこよすぎる……。さすがルイーズ、惚れる……。婚約者がいるのに、婚約者に惚れてしまうなんて。でも、あんなの好きになるしかないって。どうしよう、好きだ」
「んん? んん? ちょっと意味がわからないな。何を言っているんだ?」
さかんに首を傾げているクリストファーを無視して、イアンはすくっと立ち上がった。
とても良い表情で振り返り、告げる。
「せっかくここまで来たので、婚約者に挨拶してきます!」
「挨拶だけ? もうひとこえ何かあるだろう」
「はい!!」
噛み合っているのかいないのか、威勢のよい返事だけをして、イアンはひとの間をかきわけて進んでいった。
そして、開けた場で中年の男と対峙している美しい乙女を見つける。
五年前に別れた婚約者の面影があるその相手を、イアンは見間違えることはない。
「遅れてごめん、ルイーズ。今日まで待っていてくれて、ありがとう」
「イアン……!」
白いドレス姿のルイーズの驚いた表情が、徐々に笑みへと変わっていく。
花開くようなその変化を瞬きもせずに見つめて、イアンはかすかに震える声で告げた。
「ルイーズ、僕と踊ってください」
「はい」
はっきりとした声で、ルイーズが答える。
イアンはそこで安堵の息をもらし、毅然とした調子を取り戻すと続けて言った。
「僕以外とは、踊らないでください。婚約者以外の男性と二曲以上続けて踊るのははしたないと言われることだそうですが、僕たちは婚約者ですので何も問題ありません。承諾いただけますか?」
人垣の間で、クリストファーは「はいはい」と苦笑しながら頷いていた。
ルイーズは、目を丸くしてイアンの発言を真剣に聞いていたが、視線を絡めたままくすりと笑うと、承諾の旨を口にしたのだった。
【コミカライズ】婚約者がいるのに、恋に落ちてしまった。婚約者と。 有沢真尋 @mahiroA
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