第一章 竜胃の子
第1話 エノアは空が飛びたい
昔。昔。ある所に一匹の竜が居た。竜は大きく、山をゆうに超えるほどの巨体だった。
その竜は、皆から崇められていた。がしかし、限りなく続く戦争の災禍により、竜は命を落とした。
竜の頭や、足、尻尾などは他の竜に食べられ、一番皮の厚い『竜の胃』の部分だけが残った。
竜を崇めていた人々は、竜の傍にいたい気持ちを抑えきれず、いつしか、その竜の胃に住むようになった。
外の世界との関わりをほとんど持たない彼らを、いつしか他の者たちは、『竜胃の民』と呼んだ。
そしてそのおとぎ話から何百年。竜胃に住む子の物語が動きだす——。
ドーム状に広がる『竜胃』の壁は、時の流れのせいか、山の灰色の岩肌のように、びっしろと広がり、固まっている。
閉じられた天井には、全体に跨る白い骨のような物が、うっすらと見える。
地平線の向こうまで竜胃の中は、木々やレンガの家々が立ち並び、息づく人々の鼓動を感じられる。
エノアは、見慣れた風景を背にして、家畜の皮で作った飛行器具を手で持ち、肩で固定する。
褐色の肌に、黒く短い髪、それに赤い瞳。右目の目尻には『竜胃の民』特有の赤い文字が刻まれている。女の子とは思えないほどのわんぱくなイメージを想起させる見た目。
エノアは、そのイメージ通りに、一番高いの家の屋根に上り、皮の飛行器具を広げる。
「よし……僕ならきっとできる!」
そういい放ち、エノアは、二軒に連なる屋根を駆ける。
ダンっ! と思い切り、踏み込んで屋根を降りる。動物の皮膜のように広がった飛行器具が、風を切り、ゆったりと進む。
「すごい! すごい!」
エノアは、満面の笑みを浮かべて、空中を優雅に進む。
下を見ると何人かで遊ぶ子供たち。力仕事をする大人。
そして遠くの方に、天井まで高く積みあがった丘が見える。
「あそこまで行けるかな……?」
そう思った矢先。
あ。最悪の事態なんだけど。
これどうやって着陸すればいいんだっけ?
「……」
額からどっと汗が噴き出す。
「うぅわぁぁぁぁぁぁぁ!!!! やばい、やばい、やばい!!」
エノアは浮いた足を、じたばたさせる。
「本気でどうしよう? 僕、まだ死にたくない!」
段々と高度が下がり、空を進むスピードがゆったりとなる。
「あ、あぁ……」
一瞬焦ったけど、このスピードなら大丈夫。
着陸するであろう場所に一見の家が見えた。
「あそこなら着陸できるはず」
高度はだんだん落ち、スピードもそれに伴って落ち着く。
徐々に家の外観がはっきりと見え、木枠のガラス窓が眼前に広がる。
「あれ……? もしかして、これ、このまま突っ込む?」
うっそでしょっ!!!
やばい!! どうにかしなくちゃ!!
そう思ったのも束の間。飛行器具、そしてエノアもろとも、ガラスを盛大に突き破り、家の中に不法侵入する。
周りには、散乱しらガラスの破片と、ボロボロの木枠。
ドカドカドカと、誰かが駆けあがって来る大きな足音が、聞こえる。
エノアの二倍ぐらいある男が、部屋の中に入る。男は、ハンマーを持ち、皮のエプロンを身にまとい、顎には立派な髭を生やす。
「な、なんだこれは……」
「いってててて——あ」
エノアと男の目が合う。頬から、うっすらと血が垂れる。
男は、エノアを見た瞬間、鬼のような形相となり。
「お、お前は——長のところの……」
「あなたは鍛冶屋の——」
エノアは、頬に垂れる血を手で拭う。そして。
「その……なんていうか、ごめんなちゃい」と盛大にちょける。
しかし、自分の家を破壊されて、そんなおどけを許すはずも無く。
「この馬鹿娘が!!!」
「お前はどれだけ言ったらわかるんじゃ!!」と、老いた男がいう。竜の文様の入った民族着を身にまとい、顎には長く白いひげ、青く細い目を持ち、右目の目尻には赤い文字が刻まれている。
「いや、あんな事になるって分からなかったんだもん!」とエノアは腕を広げて、無実をアピールする。
老いた男は、卵のついた杖を、木の床に叩きつける。暖炉の木々がパキッと、小さく音を立てる。
「そんなもんは知ったことじゃないわい!! わしは、他人の家を破壊するバカに説教してんるんじゃ!!」
「家を破壊したわけかったわけじゃない!! 僕は……空を飛びたかっただけなんだ!!」
その言葉を聞き、男はため息を吐く。杖を机に置き、深々と椅子にもたれかかっる。
「老齢のわしを困らせないでくれ、エノアや。長の娘っ子が、空を飛びたいなんて言うもんじゃない」
エノアは、沸点が到達した湯のように、顔を赤らめ。
「ぼ、僕は長の子じゃない! 父さんと母さんの子だ! 竜使いの子だ!!」
「竜使いはもういない! 空を飛ぶことはないんだ、エノア」
老いた男——長は、エノアに真剣な眼差しで語る。
「くっ! なんでいつも二人を否定するんだ! 『竜胃の民』なら竜と共にあるべきだ!!」と言って、エノアは扉へと走り去る。
長は、再びため息を吐く。
「竜と共にあるべきか……」
杖上部の、赤い宝石で固められた卵を、ゆっくりとなでる。
暖炉のある暖かい部屋を出て、凍った空気の漂う廊下を歩く。
僕だって……。
「お姉ちゃん」と後ろから呼ぶ声。
エノアは、すぐに振り返る。
声の主は、肩までかかる銀髪に、青い瞳、右目の目尻には赤い文字が刻まれている。ヒラヒラの白い寝間着を着て、手には大事そうに、ぬいぐるみを抱える。
「ララン! ごめん。起こしちゃった?」
「ううん。ねぇ、それより一緒に部屋で話そう」
「うん。いいよ」と言って、エノアはにっこりと笑う。
* * *
二人は、ベッドに腰かける。
ラランは、先ほどまで抱えていたぬいぐるみを、枕元に置く。
「また、空を飛んだの?」
「うん? う~ん。あれは『飛んだ』とはいわない。滑空だよ、滑空」
一つ下の妹のラランに、エノアは暖かい目で語る。
ラランは、エノアの頬の傷に手を添え。
「また怪我もしてるし」
「ふふ。そんな風にしたらどっちがお姉さんかわからないね」
「私の方が絶対お姉さん」とラランは、髪を揺らして言う。
「いや……私の方——僕の方がお姉さんだよ」と、ラランの頭をなでながら言う。
ラランは、エノアの手を引っ張り、ベッドに二人で大の字になる。
「急に何?」
「もう危ないことしないで」とラランは、エノアの腕につかまる。
「はぁ~。わかったよ」とエノアは、頭をポンポンと叩く。
エノアは、バッと体を起こす。
「ねぇ、気分転換に、『天井の丘』に行かない?」
「言った傍から……まぁ、いいよ。さっき、怒られてたしね」
「それは言わないで」
「ふふ」と二人は笑いあった。
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