《ナイトストーカー》


 彼らは言葉を失っていた。


 あの晩、血に狂った吸血鬼を制した時も驚いたが――今の光景は、それを遥かに上回る。


 あの時は、吸血鬼として強いのだと思った。


 だけど、違う。

 彼の力は、そういう『種族的な物』だけでは断じてない。


 彼は多くの戦いを経験してきた歴戦の戦士であり――同時に、純粋な化物でもあった。


 老人は、はっと我に返る。

 正直村に取り込むには劇物で、自分の選択を後悔しつつあるが、それでもこの現状は不味い。

 自分達がヨノカ相手に怯えているという事実。

 それを放置する事は、彼との決定的な仲違いを起こしかねない。


 老人は彼の……ヨノカの心の弱さに気が付いていた。


 おべっかを使うにせよ感謝をするにせよ、彼に声をかけないといけない。

 そう思い老人がヨノカに近づくと……。


「来るな」

 冷たく、ヨノカは言い放った。

「え、いや、あの……ワシらは……」

 何とか村の為、老人は必死に言い訳を考える。


 だが、そうじゃない。

 人に嫌われる事なんてヨノカにとって日常であって、その程度ヨノカは気にしない。

 例え三人はヨノカに嫌悪し石を投げたとしても、ヨノカの態度は変わらない。


 そうではなくて……。


「まだ……終わっていない」

「……え?」

「どこにいるかはわからんが、気配が消えてない」

 全方位を警戒しつつ、ヨノカは呟いた。


 突如、部屋に拍手が響いた。

 何度も何度も、鳴りやまない拍手が続く。


 音の中、部屋の空気が変質する。

 陰鬱として廃墟ではなく、もっと深い闇。

 例えるなら……高貴な夜。


 塵や埃はどこにもなく、蜘蛛の巣さえ消えている。

 壁には何時の間にやら燭台が設置されており、順に灯が灯る。

 そして当たり前の様に、部屋の天井にはシャンデリアが取りつけられていた。


「お見事。お見事だよ。ハンター君。ああ、全くもって見事な腕前だ! 賞賛に値する」

 芝居がかった態度のその男は、闇の中からゆっくりと拍手をしながら現れた。




 それは、ヨノカの知る吸血鬼の特徴に近かった。

 銀ではないが、それに等しいグレーの髪。

 煌々と輝く赤い瞳に、整った顔立ち。

 外見年齢は中年に差し掛かるであろうはずなのに魅力は損なわれず、むしろ若者に出せない色気とカリスマ性を放っている。


 おじ様とでも呼ばれていそうな、そんな外見。

 黒に染まった服装の彼は、いかにもな吸血鬼であった。


「……こいつらの仕返しに来たのか?」

 ヨノカの言葉に男は目を軽く見開き、そして笑い出した。

「仕返し? まさかまさか! その様な事考えた事もないとも! そもそも彼らと私に共通点はない! 全く持って赤の他人だとも! 君達に何も思う事はないとも!」

「だったら何故ここにいる?」

「ふむ? 何故、何故と? 随分とおかしな事を聞くのだな君は。我らは夜の眷属、君達は人間。であるならば、出会う事に何故も何もないのではないかね?」

 ヨノカは静かに男を睨んだ。


「さっきの三匹とは纏っている空気が随分と違うな」

「ふむ? おかしな事を言う。それだけの腕を持ちながら我らの事を知らぬという訳ではあるまい?」

 男の言葉にヨノカは答えない。


 知らないと悟らせる事、それ自体が隙になる。

 ヨノカはじっと相手の目を見返した。


「眷属……先程とは格別の気配……その外見……ま、まさか……まさかお主は……」

 老人は声を震わせていた。


 確かに、彼らは先程の吸血鬼相手にも怯え動けずにいた。

 だが、今は事情がまた少々異なる。

 老人達の怯えは吸血鬼という種族にではなく、目の前の男に対しての物だった。


 それ程、生物としての格が異なっていた。


「ふむ。ふむふむ……。御老体! 我らの事を知っていると? であるならば、我らの事を口にする権利を授けよう。さあ、語ると良い。恐怖に震え、謳い上がると良い!」

 男はご機嫌な様子で、高らかに告げる。


 その男を前にした老人は、たった三文字の言葉を絞り出すのが精々であった。


「き……『貴族』……」

 男は小さく、拍手をした。

「その呼び名はあまり好みではないが、せっかく老骨に鞭を打ち答えてくれたのだ。ここはあえて、そう乗らせて貰おう!」

 ただ名乗るだけなのに、空気が、震えた。


「お初にお目にかかる! 我は吸血貴族の一門、夜爵ナイトストーカーの称を戴く者──オーギュスト・ノーウエル・ウルピアヌス! 以後、お見知りおきを」

 男は仰々しい態度を取り、ヨノカに頭を下げた。




 微笑を浮かべる余裕さえ持つオーギュストと、感情を殺し戦士とし相対するヨノカ。

 その対峙は全く噛みあっておらず、まるで不協和音を奏でている様であった。


 人を護らないといけないとか、相手の空気に飲まれてとか、理由は幾つかある。

 だが最大の理由は、『戦いに対しての考え方』の差であった。


 ヨノカにとって戦いとは『吸血鬼を殺す事』だけに焦点があてられる。

 そこに誇りや美学など欠片もない。 

 むしろあらゆる拘りを捨てきって、自分を単なる兵器とする事がヨノカの戦いであった。


 その考え方は、美学を重んじるオーギュストが理解出来る訳もない。

 逆もまた然り。


 黙ったまま、表情さえもなく見つめるヨノカにオーギュストは困った顔を見せた。

「何か、ないのかね? 自己紹介や宣言、決意表明。何なら質問でも何でも構わないよ。ハンター君」

「問答に、何の意味がある?」

「つれないねぇハンター君。……私はね、人生とは読書であると考えているのだよ」

「貴様らが『人』生を語るな」

「ふふっ。ああ、それで良い。時折見せる君の憎悪、それは素晴らしい。何故隠すのかわからない位にね。失礼、話を戻そうか」

「戻す必要はない」

「そうかね? これでも他の紋章持ちと比べ私は相当に気安いと思うのだが……。今なら何でも答えよう。我が誇りに誓って」

「貴様の弱点」

「――ふふっ。ふ、ふはははははは! ああ、やはり良いよハンター君。君は面白い! 迷わずそう尋ねられる人はそういないのだがね」

「答えられないのか?」

「いいや。答えられるとも。弱点は――ない。正しく言うのなら、他の吸血鬼と変わらない。そう、何も変わらないとも! 太陽を浴びれば灰と化し、心臓を銀で貫かれれば死を迎える。さあ、私は答えたよ。次は君の番だ」

「……答えると約束した覚えはないが?」

「ああ、正しくその通り。だが、世の中は正しい事ばかりではない。正しさが好奇心に敗れる瞬間など幾らでもある。そう幾らでもあるのだよ。わかるかね? ハンター君?」

「――何が聞きたい」

「君の名前を。そして出来るのなら、君の事を詳しく教えて貰いたい。これから始まる、我らの舞踏をより濃密にする為に」

「――気持ち悪い男だ」

「そんなつもりはないのだが、悲しい事に、良く言われるよ。吸血鬼の癖にしゃべり過ぎとね」

 ヨノカは顔を顰めた。


 実の事を言えば、ヨノカは相当に困惑していた。

 吸血鬼と対等な会話を行う。

 そんな経験、前世で一度もなかった。


 あいつらは人間を餌としてしか見ない。

 そこに驕りがあり、そして侮蔑が残る。


 だというのに、この男はペラペラと楽しそうに語り、そして餌である人間の名を聞き覚えようとしている。

 それは、ヨノカの常識が揺れるには十分であった。


 ヨノカはまだ、理解していなかったのだ。

 二種類の吸血鬼、この世界に住まう闇の眷属と前世に住まうヴァングロームの違いを。

 彼らは限りなく同種の存在であるのは確かだが、同じ物ではなかった。


「ヨノカ。憎たらしい吸血鬼に『夜に亡骸となる』という意味を込め、名付けられた」

「そうか。ありがとうヨノカ。ああ、素敵な名前だ。夜に亡骸となる。まるで我らの様だ。人間にはもったいない位良い名だ」

「――そうかい」

「ああ、そうだとも。ではハンター・ヨノカ。君に先手を譲ろう。好きな時に仕掛けて来ると良い。もちろん、会話を楽しむのも、逃走を試みるのも自由だ。そう、自由なのだ! 君という人間がどう生き、そしてどう終えるのか、私にそれを教えてくれたまえ!」

 両手を広げ、仰々しく。

 相変わらずうるさくて、そしてうざったい。


 ヨノカは顔を顰めながら小さく溜息を吐き、再び無表情に戻った。


「最後に、一つだけ聞かせろ」

 オーギュストは微笑を浮かべながら、『どうぞ』と手でジェスチャーを取った。

「ハンターってのは……何だ?」

 その質問を聞いたオーギュストの表情が、固まった。

「――ふむ。冗談ではない……という事は。なるほどなるほど。どうやら君は、私が思っている以上に特別な存在らしい。……予定を変更だ。君を私の屋敷に招待させて頂こう」

 オーギュストは先程までと少しばかり、雰囲気が異なっていた。


 それはお願いや頼みではなく、強制。

 オーギュストが残りの人間を殺し、ヨノカを攫うと決めたのだとヨノカは理解し戦いの幕を開かれた。

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