血に眠る柩城、招かれざる生者
道中、その空気の変化にヨノカは気が付いた。
直接何かが変わった訳ではないのだが、まるで世界の明度が落ちた様に感じる。
あくまで単なる雰囲気なのだが、無視出来る程どうでも良い変化である訳でもない。
そのまま薄暗闇な森を抜け、陰鬱とした山を進み、そしてそこに、それはあった。
曇天の空の下に見える、『古びた城』。
コウモリとカラスが飛び交い叫ぶ不吉な城の前で、ヨノカは後ろを見る。
男性二人と老人一人、それと馬。
彼らはここまでついて来た。
ついて来てしまった。
そんな彼らを、どうすべきだろうか。
このまま置いて行くというのが、正直最も選びたい手段である。
自分だけで解決出来たら、彼らが巻き込まれる事はない。
死ぬのは自分だけでたくさんだ。
だけど同時に、それは選べない手段でもあった。
置き去りにした程度で彼らがこのまま大人しく帰ってくれるとは思えない。
自分に着いていって中に入って、そして自分の知らない場所で殺されるのなんて事は目に見えている。
だったら、まだ何時でも護れる目の届く範囲に置く方がマシだろう。
……馬以外。
申し訳ないが、城の規模的に馬に乗って戦うのは難しい。
馬を連れて行く事そのものは出来るだろうが、足手まといの馬を連れ戦う様な事はしたくない。
流石に、馬の為に命を賭けるのは、ヨノカも少々どうかと思えた。
「馬はここの木に」
ヨノカはそれだけ言って、古城の方に歩きだした。
「お、おい! 正面から行くのか?」
若者の言葉にヨノカは頷く。
「どこから行っても変わらない。それに、どうせもうバレている」
吸血鬼は気配を探るのに長けている。
城の外どころか周囲の山に入った段階で見つかっているだろう。
ここの吸血鬼がそうかは知らないが、少なくともヨノカの知る吸血鬼ならその程度は容易く出来ていた。
正門、朽ちた扉を抜けた先は漆黒の闇が広がっていた。
暗闇の中、不愉快な気配に自分の穢れた血が反応している。
ここに彼らがいると、他の誰でもなく己が感じられていた。
僅かに混じる吸血鬼としての血が反応し、闇を見通す眼となり、肌で同類の気配を感じる様になる。
自分が人ではないと理解出来る、最低最悪な夜の感覚――。
昼にもなっていない時間なのに、まるでここは夜の様。
それこそが、この場が彼らの夜の住処である何よりの証拠であった。
「数は三。その内一匹は、昨日のあいつで確定だ」
冷たい表情で、ヨノカはそう呟く。
明らかに、ヨノカの雰囲気が変わっていた。
ヨノカは口数の割に表情が豊かであった。
と言っても、大体が『誰かを心配する表情』か『何かに安堵する表情』か『申し訳なさそうにする表情』のどれかだが。
そのヨノカの表情が、凍っている。
冷たく、冷酷で、まるで血も涙もない様な表情。
あの夜の時と同じ、恐ろしい表情に。
自分達人間は、確かに吸血鬼を恐れている。
自分達の天敵で、自分達を餌として、そして理不尽を強いるあの化物を恐れている。
だけど、今ヨノカに感じている物は吸血鬼のそれとはまるで違う。
むしろ彼の表情は、復讐者と呼ばれる類のそれに近い。
恨みや憎しみが強すぎて、表情が消えた状態とでも言うべきだろうか。
ヨノカの雰囲気は、引き金を引く直前の銃の様であった。
「すまん。準備を怠った。明りが……」
ヨノカはそう呟く。
自分がある程度暗視に長けている為、彼らの為に明りを用意するという発想がなかった。
老人はニヤリと笑うと、男衆二人はその場で松明を用意し、ヨノカの前に出た。
「俺達だってただついてきただけじゃねーさ」
「そう。前は任せてくれ」
二人の男の言葉にヨノカは小さく一礼をした後、再度彼らの前に出る。
例え何があろうとも、彼らを前に立たせるつもりはヨノカにはない。
「俺は視えるから大丈夫。俺が先頭に立つ。むしろ二人とご老人は背後の警戒を頼むよ」
そう、ヨノカは告げると老人はかっかっと笑った。
「そうは言うが恩人さん。それも建前じゃろ? わしらがずっと後ろを見てるより恩人さんの方が後ろ見えとるじゃろうし」
ヨノカは消えなかったフリをして、前に進んだ。
城の奥に進み、夜の気配が今まで以上に強い広場に到達する。
円形の部屋で、埃っぽく蜘蛛の巣が張ってある。
その場所にあるのは、中央におかれた大きな石の盃と、部屋の隅に並べなられた石の棺桶。
そこは彼らの寝室だった。
ヨノカは、顔を顰めた。
「恩人さん。どうかなさいました?」
老人はきょとんとした顔で首を傾げる。
ここが彼らの領域であると、人間である彼らに理解は出来ない。
すぐ傍に彼らが居ると、気づく事さえも。
そしてそれ以上に……普通の人は、この不快過ぎる香りに気付かずにいられる。
それが、ヨノカは心の底から羨ましかった。
「ここにいる。気を付けて」
それだけ言って、ヨノカは最も酷い臭いのする場所に向かう。
それは……中央の盃。
石で出来た飾りの様な盃には並々と血が注がれていた。
そしてその傍に……。
ヨノカは駆け寄り、その遺体を抱きしめる。
絶望に染まり、涙でぐちゃぐちゃになった死に顔の遺体。
それは、まだ、少年だった。
「……間に合わなかった……か」
体中が傷だらけで、拷問でもここまではならないという様な酷い姿。
血を抜かれた為冷たい体となっているが、涙がまだ、暖かい。
それは、彼がつい先ほどまで生きていた証であった。
「おや、出し殻の方に興味があるのか。やはり人というのは随分と変わった趣味をしているのだな。それとも、君は小児愛好家というものなのかな?」
笑いを抑えた様な声が反響する。
そしてその後に、闇の中から三つの影が蠢き、影の中から三人の吸血鬼が姿を現した。
彼らは随分と奇妙な姿をしていた。
中央の男はマントでも隠しきれぬ異様に長い手足をし、仮面を被っている。
仮面越しであってもわかる程、その瞳はヨノカを見下していた。
右隣の男に、ヨノカは見覚えがあった。
村を襲撃してきた吸血鬼である。
外見はチンピラにしか見えないが、良く見たら肌が白く瞳が赤い。
それはヨノカの知る吸血鬼とも異なって、むしろアルビノの様な特徴に近い。
肌の色は白というよりも青に近く、瞳は血の様な濁った赤。
昨日とは異なり冷静な様子だが、それ故にヨノカに気付いているそぶりはなかった。
また口元に包帯が巻かれている事から、マスケット銃程度のダメージを治癒出来ていないらしい。
治癒能力は精々ヨノカの二倍程度の様だ。
左隣の男は、病的なまでに細かった。
手足はほとんど骨だけで肉は見えず、顔も骸骨の様に不気味。
また手にアイスピックの様なニードルを持っている。
そして少年の傷跡から、それが直接の凶器であり、少年を苦しめた凶器の元であると理解出来た。
怒りが、ヨノカの中を駆け巡る。
ただ喰らう為に殺すのではなく、理由もなく嬲り、苦しめる。
自分の出生の時と同じ様な、吸血鬼の娯楽に人間が消費される事。
そんな誰かを見る事は、ヨノカにとって最も許せぬ事の一つであった。
それでも、怒りは腹の内だけに納める。
憎しみや怒りで戦う事の愚かさを誰よりも知っている。
必要なのは、決められるその意思のみ。
理由と目的だけを残し、感情を捨てる。
それが、ヨノカが前世にて覚えたたった一つの生き方だった。
「こ、古城の常闇憑き……」
老人はそう呟く。
近隣の村を襲う彼らの事を、皆はそう呼び恐れていた。
「ききっ。人間だけで乗り込んで来るとは……なんと愚かな事を……まあ。それはそれで面白いのだがね」
細身の男は呟き、ニードルを舐める。
「なああんた……どうしてこんな事をしたんだ? 血を吸うだけで良かっただろ?」
ヨノカの言葉に細身の男は愉しげに笑った。
「どうしてだって? その方が、美味いからだよ。絶望に染まった血程甘美な物となる。お前達虫けらも良くやるだろ? 料理の前の下ごしらえって奴をさ。ききききき!」
歯ぎしりしたくなる気持ちを抑え、ヨノカは少年を慈しむ様に、そっと床に戻した。
こんな場所に寝かせる事に、心の底から申し訳なく思いながら。
「もしかして知り合いだったか? そいつの親は目の前で殺してやったから違うと思うけど……ああ! 貴様の種の子だったか。それは悪かったな! 貴様を先に殺してやるべきだった」
ヨノカの子を慈しむ表情を見て、細身の男はそう呟く。
男はこう見えて仲間想いであった。
中央の男があまり言葉を発さないから出来るだけ自分が会話を担当したり、右隣の男が昨日負傷してきたからそれの見舞いとして『少年の絶望に染まった血』を用意したりと、それなりに仲間想いであった。
だがそれはそれとして、ヨノカにとって最も嫌いなタイプの吸血鬼である事に代わりはなかった。
「……人間。貴様らは、何の様でここに来た?」
中央の男から発せられた声は、声というにはあまりに酷い音だった。
濁声を更に濁られた様な、汚泥の底からこみ上げた様な、そんな音。
一体どういう声帯をしているのか想像さえ出来ない。
「要件を言う前に少し待って欲しい。やる事が出来た」
ヨノカはそう呟いて、ゆっくり、三人の方に近づいていった。
その様子を、ヨノカの後ろにいる三人はただ黙って見つめる事しか出来なかった。
彼らが戯れに出るだけで何人もが帰らぬ人となり、本気出せば村の一つや二つ一瞬で消滅する。
そんな吸血鬼が三人。
そのプレッシャーは想像以上で、恐怖で声さえ出て来なかった。
また同時に、老人は強い違和感の様な物に苛まれていた。
老人は村長という訳ではないが、村一番の知恵者である。
老人の発言権は村長より高く、老人の言葉は村の総意に等しい。
その老人が『あの恩人を助ける為に命を捨てろ』と男二人に言って、彼らは連れて来られた。
男二人も老人の言葉に反抗などなく、『俺達の命で村が救われるなら』と最初の内に覚悟を決めていた。
その覚悟を決めた状態でも、結局恐怖に飲まれ足が竦んでいるが。
そう、老人はある程度状況を察している。
察した上で、今あり得ない疑問が渦巻いていた。
(どうして、吸血鬼共は恩人さん……ヨノカ殿を人間と呼んでおる?)
彼は自分が混ざり物の紛い物と言っていた。
吸血鬼の血が混じった存在、ハーフヴァンパイアかそれに準じた存在もしくは自由となった使徒あたりと老人は推測した。
それなのに、吸血鬼は彼を『人間』と断定し呼んだ。
そんな訳がない。
もしもただの人間なら、あれだけ強いのはおかしい。
キャルの使徒化を止めたのは一体どういう理屈だ。
だがもし吸血鬼でないとしたら……ヨノカは一体、何なのだ?
吸血鬼の生態を知らぬと言い、魔法という存在を興味深く聞いて、記憶喪失なんて嘘をつく正直なこの青年は一体……。
自分はもしかしたら、根本的な勘違いをしていたのかもしれない。
そう、老人は思い返していた。
とは言え……答えそのものはすぐに出るだろう。
自分達が生きて帰れるかどうかで、その答えは……。
ゴギッ。
鈍い音が響き、左端細身の男の視界が天地逆さまになる。
何が起きたのか、細身の男には理解出来ない。
それが自分の首が折られたからと気づいたのは、胸に焼ける様な痛みを覚えてからだった。
「ぎぃ、ぎゃあああああああああああああ!」
叫び声を上げながら、細身の男は地面に悶える。
当事者である細身の男以外は、その瞬間を見ていた。
ヨノカが近づくその一瞬、ヨノカの姿は消え、次に映った時には細身の男の背後を取っていた。
そのまま頭を両手で掴み百八十度回した後、吸血鬼の持つニードルを奪い、その胸に突き立てた。
一瞬の事だった。
離れた場所で見ている人間達だけでなく、すぐ傍である吸血鬼達さえ動けぬ程に。
ヨノカはニードルを抜いた後男を蹴飛ばし、仰向けに倒れさせてから再びニードルを突きさして、男を地面に釘付けにした。
次の瞬間、ヨノカは瞬時に男達の傍に来て、優しく松明を男から借り受けた。
「少し借りるよ」
その後再び男の傍に戻り、男の体に松明を当てる。
炎を避けようと藻掻くがその意味はなく、火は服に燃え移り、男は声にならぬ叫びをあげた。
磔刑になりながらも足掻くそのシルエットは、まるで踊っているかの様だった。
「これをしろとは言わない。基本的に吸血鬼に近づく事は死を意味するからね。だけど、今俺がした事は全て人間が出来る範囲の事。全て単なる技術だ」
その言葉が、自分達人間に伝えている物だと彼らは気付く。
自分達に、戦い方をレクチャーしているのだと。
「お前は、一体……」
中央の男は驚きながら、怒気を顕わにする。
ヨノカは彼らに冷笑を浮かべた。
「なあ、俺の事覚えてないのか?」
「何の、事だ? 人間など、見分けがつかな――」
「お前じゃない。隣の包帯野郎だよ。喉の傷、随分と痛そうだな」
自分の口をとんとんと振れながら嘲笑っているかの様なヨノカの言葉を聞き、右隣の男は目を見開く。
そしてくぐもった声で、叫んだ。
「貴様!? 昨日の――」
ヨノカはニヤリと笑った。
「ああ。俺の要件を聞きに来てたな。てめぇだよ。良くもあの村を襲ってくれたな」
炎上する吸血鬼が情けない悲鳴を上げている中、淡々とした口調でヨノカをその事実を口にする。
怒りも何も籠っていない、感情を殺した声。
それ故に、彼らは確かな殺意を感じた。
(思ったより死なねえな)
松明の炎が全身に燃え移り、焼けながら心臓を貫かれる吸血鬼を見てそんな事をヨノカは思う。
とは言え、元の世界の吸血鬼よりははるかに脆く弱いが。
そもそもの話だが、元の世界の吸血鬼『ヴァングローム』とここにいる奴らは余りにも違いが多すぎる。
まず、ここにいつ奴らの外見はまるでチンピラの様で、はっきり言えば醜い。
別にヨノカは悪口を言いたいという訳ではなく、ヴァングロームは外見に差異があれど全員が美形だからである。
その上、不死能力もこの程度では済まない。
たかだか炎で燃えた程度で傷がつく事もなければ、マスケット銃での負傷の治癒に数時間もかからない。
弱いヴァングロームを倒すのでさえミサイルを数十発は必要となり、重機関銃であれば全身を一センチ以下の細切れにしなければならない。
そんなヴァングロームを相手に戦っていたヨノカは、少しばかり困惑を覚えている。
要するに、弱すぎるのだ。
弱い割に存外死に辛いから、正直ゴキブリを見ている様な気分さえなってくる。
ヨノカは銀の食器用ナイフを逆手に持ち、地面に倒れる男に叩きつける。
手に心臓を貫く感触が伝わった後、今までより一際大きな悲鳴が轟いた。
燃え盛る中、男は地面に縫い付けられたまま藻掻き続け――やがて動かなくなった。
どうやら、ヴァングロームとは死に様まで違うらしい。
あちらは、死ねば灰になるのが常だった。
「こ、殺しやがった……ダランを……!」
包帯の男が震え、恐怖に戦慄する。
怒りよりも、怯えの色が濃かった。
中央の男も同じだ。
さっきまでの余裕は消え失せ、顔にははっきりと恐怖の影に落ちている。
(逃げられたらちと面倒になるな)
ヨノカはナイフを数本まとめ、無言で投げ放った。
ナイフは中央仮面の男の両手足の関節に突き刺さり、くぐもった悲鳴の後男はくしゃりと崩れる様地面に倒れる。
倒れず残っているのは、キャルを襲った吸血鬼だけ。
その吸血鬼に、ヨノカは狙いをつける。
「これは真似するなよ」
ヨノカは念のため、そう彼らに伝えた。
これまでのは全て技術だが、これは違う。
これは忌々しいその血だから出来る事。
吸血鬼である証明の、純粋なる怪力に人の技術に乗せた力。
人と吸血鬼の境目を渡り歩くヨノカならではの技だった。
突撃しながら、まるで蹴る様に地面に足を叩きつける。
所謂『震脚』という技術。
地面を踏み抜く様な強い勢いを全て拳載に乗せ突き出す。
その所作は、手首、腕、肩、体、腰、膝、足、全ての部位を順番に回転させ放たれる。
言葉にするなら、チープな物だろう。
正拳突きのたった一言で済むのだから。
だが、吸血鬼の力にて放たれるその衝撃は、技と呼ぶにはあまりにも巨大過ぎた。
頑強な吸血鬼の体に、穴が開く。
心臓も、肋骨も、完全に消し飛んでいた。
「あっ!? がっ!?」
くぐもった、言葉にならない言葉。
穴の位置から血が零れ、体はがくがくと震えている。
完全に絶命させた。
その手ごたえがあった。
それでもキャルを助ける為、ヨノカは念には念を入れて、包帯男を地面に倒し、その頭を踏み抜いた。
ぱきんと、乾いた音と共に床に赤い液体が飛び散り、脳髄が散乱する。
ヨノカは顔を顰めながら、残り一人に目を向けた。
四肢を砕かれ、潰れた蜘蛛の様に地面に倒れる仮面の男。
その男はただただ恐怖の表情で慄きながら、心臓をナイフで貫かれ、その命を失った。
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