断罪の果てに、世界は彼を拒んだ(後編)


『ヴァングローム』

 それが、この世界において吸血鬼を表す名前である。


 この世界は『ヴァングローム』という名の人食いの化物が人類を食い物にされている。


Gloamグローム

 つまり黄昏時より墓から現れる人型の異形。

 夜の世界を支配し人々を恐怖に陥れる不滅の化物。

 拳銃どころか機関銃さえも通用しない。

 戦車や戦闘機さえ、彼らにとっては玩具同然となる。

 近代兵器が通用しないからこそ、彼らは世界の支配者となっていた。


 対峙する彼らは、そのヴァングロームと呼ばれる異形同士であった。


 戦いの余波でセネリオの居城は完全に崩壊する。

 そんな事気にも留めず、彼らは城の跡地を踏みつけながら戦いを続ける。


 セネリオの戦い方は優雅で、気高く、そして暴虐的。

 吸血鬼相手さえも通用するハンドガンにて弾丸をばらまき、その身に宿る力にて血の刃を放ち、盾の様にマントを靡かせる。

 美しいとさえ感じる程に、スタイリッシュな戦い方だった。


 対しヨノカは拳、爪、蹴り、牙ともはや完全に獣のそれ。


 貧しい外見に加え戦い方まで野蛮で、とてもではないが王の相手をするに相応しいとは思えない。

 外見と戦い方だけで見れば、間違いなくなくセネリオが正義の味方で、ヨノカの方が悪者だろう。


 実際はセネリオこそが人間牧場を目論む最後の吸血鬼で、ヨノカはそれを滅ぼさんとする人類の救世主である。


 とは言え、ヨノカだって別に正義の味方でも何でもない。

 ヨノカは人類の為でなく、己の為に彼ら吸血鬼と戦っていた。


『文明人』対『獣』。

『富豪』対『貧者』。


 あらゆる意味で対極的で、そしてその差は決して埋まらない。

 そのはずなのに……。


(何故だ!? 何故私はヨノカに勝てない!?)

 セネリオの内心は苛立ちと理解出来ない恐怖に染まっていた。


 そう、理解出来る訳がない。


 自分は偉大なる父と母により生まれた、正統なる王位継承者。

 この世界で限りなく頂点に等しい実力を持っている。


 一方ヨノカは紛い物。

 戯れに僅かな血を父に与えられただけの玩具に過ぎず、その実力は下級吸血鬼よりも更に低い。

 吸血鬼の血と人間の血は相反する。

 それが共存する事はない。


 人が豚と子を為す様な物である。


 そんなあり得ない奇跡の生まれとなった結果、ヨノカは血を吸う事が出来ない吸血鬼となった。

 血が吸えず、ただ『血の飢え』に苦しむだけ。

 つまるところ、ヨノカの吸血鬼としての血によって、常時餓死に誘われ続けている。

 生まれてから今日まで、常に満たされぬ飢え続けて来た。


 今日明日死んだとしても何もおかしくはない。


 更にヨノカが持つベルトのバックル、ノスフェルムの家宝『ブラッドルスト』は血の力を高める代償として血を喰らう。

 ただでさえ吸血鬼としての血の割合が低いヨノカの場合ブラッドルストを使い変身する事そのものがもう自殺行為に等しい。


 肉体が貧弱で、常時瀕死。

 じゃあ頭脳が優れているかと言えば別にそんな訳でもない。

 人間社会にさえ馴染めないヨノカに学などある訳がなかった。


 勇気がある訳でもなく、ただ無謀なだけ。


 力もなく、知識もなく、勇気もなく。

 比喩でも何でもなく、ヨノカは文字通り『何も持たざる貧者』である。


 何なら『人間に対しての善意』さえヨノカは持っていない。

 彼に施しを行なった人間など、ほとんどいなかったのだから。


 だというのに……その何も持たない欠陥品にセネリオは追い詰められていた。

 銃を避けられた訳でもなければ血の刃が効かない訳でもない。


 セネリオの弾丸はその身を貫通し、血の刃は肩を裂き、鮮血が飛び散り辺りは赤に染まっている。

 だというのに、ヨノカは痛みを感じる素振りもなく、足を引きずりながら前進をし続ける。


 元々みずぼらしいというのに、どんどんボロボロになっていく。

 そんな有様なのに、致命傷だけは避け続け、こちらに襲い掛かって来る。


 不屈と言えば聞こえは良いが、これはそんな綺麗な物じゃない。

 ただただ悍ましく、そして不気味なだけだった。


「何故だ!? 何故……何故そんなになってまで戦える!?」

 セネリオは恐怖と共に声を吐き出す。

 いつもの冷静さなんてそこにはない。

 そこにあるのは、理解出来ぬ不条理への恐怖だけ。


 いつの間にかセネリオはヨノカに対しての恨み以上に、恐怖を抱いていた。


 偉大なる吸血鬼ではない。

 餌に過ぎぬ人間でさえない。


 紛い物の欠陥品。

 弱い吸血鬼にさえ勝てない失敗生物。


 そう……父はヨノカを評価した。

 セネリオもそうだと信じていた。


 そのはずなのに……。




 かつて父、アウグストが生前であった頃……セネリオは父と共に、ヨノカを遠見にて良く観察していた。


 存在すべきでない屑、愚かな人間なんてのはこの世界幾らでも転がっている。

 だが、ヨノカ程無様な存在は、この世界に二つといない。

 ありとあらゆる生命と比べても、ヨノカは無様で悲惨な存在であった。


 ヨノカは生まれた瞬間、父親に捨てられた。

 父親は吸血鬼との不貞の子だなんてあり得ない決めつけを行って、その責務を放棄した。

 吸血鬼と人間のハーフなんてこの世界に存在していないのだが、夫は妻と関わりを立つ為そんな言い訳をして妻を悪者にした。

 そんな理由だから母はヨノカに『いらない子ヴォイド』と名付け、常日頃から虐待を繰り返した。

 普通の子供なら、何度も死んでいたいだろう。

 だけど皮肉な事に、吸血鬼の血が彼を生かしてしまった。


 数年程経過したある日、とうとう母親に限界が来た。

 吸血鬼の子を持つ母に対し周りがどうするのかを考えたら、むしろ彼女は良く保った方と言えるだろう。

 そして母はヨノカを殺そうとした後……ヨノカではなく、己の命を絶った。

 絶望が、自死を選択させた。


 そうして一人となってから、彼の本当の地獄が始まる。

 狭量たる人間の世界で彼がどういう目に遭って来たか。

 人間の世界に紛い物の吸血鬼がどういう目で見られるか……。


 そう――彼の居場所は、この世界のどこにもない。


 彼は全てを持たない事が、生まれた時から約束されていた。

 力も、地位も、名誉も、愛も。

 そして……寿命さえも。




 突如、ヨノカからごぼっと不気味な音が流れ、大量の血が床に零れ堕ちる。

 コップどころかバケツ一杯程の量がぼたぼたと零れるその状態は、どうみても普通ではない。


 彼が持つ吸血鬼としての力はほんの僅か。

 血を正式に与えられた訳ではなく、戯れにほんのちょっと混ぜられたというだけ。

 だから血も吸えず、扱えず、ただ飢えるだけ。


 そんな彼の寿命は、もはやほとんど残されていなかった。


 だからこそ、セネリオは彼に恐怖を覚える。

 何故、何もない癖に戦える。

 何故、戦う理由がない癖にそこまで命を賭けられる。


 恨みで戦っていない事は最初からわかっている。

 恨み程度が戦う理由ならば、我が父が破れる事はない。

 そして万が一父を下したとしても、恨みが理由ならその時に、父を殺したその時に限界を迎え共に死んでいる。


 では何が理由なのかと考えたら、答えは『一つ』しかない。

 セネリオの理性はそれを否定するが、知性はそれしかないと言っている。


 ヨノカがノスフェルム派閥を完全に破壊せんとしているのならば、その理由は人間牧場の計画破綻以外にあり得ない。

 だからこそ逆に父を殺し、派閥の皆を殺し、最後に自分の元に来た。


 そう、彼は間違いなく人間の為に戦っている。

 彼を虐げ、苦しめ、今日この日まで殺そうとしてきた人間の為に。

 

 なんと……なんと悍ましい生物だろうか。

 名状しがたきというのはこういう時に言うべきだろう。

 理外の精神、決して理解してはならぬ考え方。

 己を傷つけて来た人間の為、血の一滴さえも残さず戦えるヨノカという存在は、セネリオにとって悍ましい以外に表せない存在となり果てていた。


「お前には……わからないだろうさ。人間の敵のお前には」

「貴様もそうだろうが! ヨノカ! 何他人事の様に言っている!? お前も人間の敵だ! 人間にとっていなくなるべき存在なのだ!」

「――知ってるよ。だから――貴様が最後だ。一緒に死んでくれ。兄弟」

「私を兄と呼ぶな! 紛い物の分際が!」

 吼えながら、セネリオは拳を突きだす。

 怪力乱神たる一撃。

 その一撃をヨノカは躱さず――反撃の拳を放った。


 クロスカウンター。

 いや、そんな綺麗な物ではない。

 骨を切らせて骨を断つ様な、そんな捨て身の自殺殺法だった。


 セネリオの拳は彼の腰にあるバックル『ブラッドルスト』に直撃し、砕く。

 彼に対しての理解出来ぬ恐怖が、彼から戦う力を奪うという選択肢を取らせた。


 例えバックルが砕けようとも、ヨノカが怯む事がない。

 どちらにしろ、これが最後だと彼は理解していたからだ。

 静かに、セネリオを見据える。

 そして、その顔面に拳を叩きつけた。


 絶対に殺すという漆黒の意思が、彼をそうさせた。


 ヨノカの拳は彼の頭部における外骨格を砕き、中に収納された人間体が片側だけ露見する。


 その顔は、恐怖に引きつっていた。


 バックルが砕け、ヨノカの姿が変質する。

 全身の黒は色が抜けた様な灰色となり、瞳の色は今にも消えように明滅し、赤い外骨格は血と戻り地面に落ちる。

 単なる灰色の化物。

 それこそが、なりそこないである貧者ヨノカの本当の正体。


 餓死寸前な上に繰り返しの戦いにて後遺症でボロボロなのに、バックルに血まで吸わせ続け戦っていた搾りかす。

 そんな状態だから、余命なんて物はとうにマイナスになっていた。


 それなのに、ヨノカは王を刺す牙であり続けた。


「これで――終わりだ。……すまない」

 何に対して謝ったのか、ヨノカもわからない。


 わからないが、ヨノカは震えながらセネリオに近づき、右手を付きだす。

 最後の力を振り絞った、渾身の一撃。

 その拳は、心臓を貫いた。


 セネリオの姿は、完全なる人間体に戻る。

 だが、元に戻っても心臓の穴は塞がっていなかった。


 ヨノカを睨みつけながら、セネリオの体は、徐々に塵と化していく。

 それは吸血鬼の最後を表す姿、避けられない死のサイン。

 それをセネリオは知っていた。

 その姿を、幾度となく見て来たからだ。


 目の前にいる、死神の手によって。


 こうして、セネリオを最後に『人間牧場計画』の関係者は消え、ヨノカの目論見通り計画は破綻となった。


 別に吸血鬼と人間の関係が改善される事はないだろう。

 相変わらず吸血鬼にとって人間は餌であり、人間にとって吸血鬼は恐怖そのもの。

 それでも、悪意を持って人を家畜に堕とす最悪の末路は避けられた。

 人類の未来は、今よりほんの一歩だけマシな物となった。


 一人の、世界の裏切者の手によって。


 そしてそれを為したヨノカもまた、その場に倒れた。


 もう、ヨノカには何も残っていなかった。

 最近はもうまともな食事も受け付けず、吸血鬼としてだけでなく人間としても餓死寸前。

 度重なる激戦の後遺症で体はまとも動きやしない。


 それでも、やり遂げた。

 男はその目標を完遂した。


 だけど……その理由を理解する者は誰もいないだろう。

 男が最後まで戦えたその理由。

 誰もが誤解し知ろうともしなかったその信念。


『ありがとう』


 遥か昔、ヨノカに対し子供達はそう言った。

 ヨノカが人間に追われ殺されかけているなんて事を知らない子供達が、助けてくれたと当たり前のお礼を口にした。


 本当に、それだけ。

 彼らがまだ生きているのなら、戦う理由となるだろう。

 だけど、その子供達は既にこの世からいなくなっている。

 

 何も知らない無垢なる故人。

 助ける事の叶わなかった少年少女の感謝の声。

 それだけが、男の戦う理由であった。


 彼らが生きられたかもしれない未来。

 後に生まれる子供が彼らの様に殺されない世界。


 それだけが、ヨノカが走り続けた理由。

 それ以外に、彼は生きる意味を持たなかった。

 それ以外に、世界は彼に生きる意味を与えなかった。


 満足そうに倒れるヨノカを、今にも死にそうなセネリオは見つめる。

 その目には、憎しみと同時に敬意が籠っていた。


 死を覚悟したからこそ恐怖を越え、そして尊敬を覚える。

 何が理由かは置いておいて、ここまで戦えたのは敵であっても賞賛すべきだろう。

 その上で――セネリオは強き憎しみに支配されていた。


 特に――あの言葉。

『すまんな』

 何がかはわからないが、あの謝罪には、心底腹が立った。

 下等生物の癖に見下している様に感じられて、これまで以上に……父が侮辱された時以上に憎しみを覚えた。


 だからセネリオは、最後の時はヨノカの為だけに使おうと心に誓った。


 血を吐きながら、『それ』を持ち呪文を唱える。

 ノスフェルム家の秘宝の一つである『血の宝転玉』。

 一度使えば壊れる消耗品であり、父の最後の遺品である為使わぬと決めていた物。

 その力を、セネリオは解放した。


 ぱりんと、ガラスが割れた様な音と共に世界にいびつが生まれ、空間がゆがむ。

 そして歪は、まるでブラックホールの様な渦へと姿を変えた。


 更にその渦は、この場からヨノカだけを吸い取りだした。


「おめでとう。ヨノカ。我らを滅ぼしたその敬意を表し、君を『最も縁のある者』の元に送ろう。ああ、それだけだ。この宝玉には他に何の力もない。安心すると良い。兄弟」

「……それは、止めろ……。兄弟と……呼ぶな……」

 宙に浮き、藻掻きながらもヨノカはそこにだけは反論を見せた。

「――そうか。ならば父に申し訳が立たないが、嫌がらせの為だけにこれからは君の事を弟と呼ぼうではないか。ヨノカよ」

 ニコニコと愛想良く、まるで親愛を持つかの様な表情のセネリオ。

 当然、悪意百パーセントである。


 とは言えそれは正しい。

 ノスフェルムの血を嫌悪するヨノカにとってそれはどんな悪口よりも効果的だった。


「ああ。最愛の弟よ。安心すると良い。本来ならば最も縁深いのは私になるだろうが、もう私は死に体だ。つまり……私以外の君と親しい誰かの元に送られるだろう。誰かに看取って貰うと良い。私は幸せな君と違い、ここで静かに一人寂しく消えよう」

「……で、本音は?」

 いかにもな訝しげた目で、セネリオを見つめる。


 渦は膨張し、今にも吸い込まれそうになっていた。


「貴様と心中など死んでも御免だ。それと、貴様と親しい奴なんている訳がない。憎み合ってる誰かの元で嬲られながら屈辱の死を迎えるが良い」

「なるほど……。良い答えだ。俺も貴様と心中は御免だったからな」

「そうか。――だったら、最後まで兄の様に振舞おうか。ヨノカ」

「そうだな。じゃ、さよならだ。お兄ちゃん」

「ああ。可愛いヨノカ。地獄に堕ちろ」

 そうして、ヨノカは渦の中に飲み込まれ、消えた。




「……まあ、どうでも良いか。もう」

 後は死ぬだけの中、渦の中でヨノカは呟く。

 どこの誰の元に行こうと、ヨノカはもう興味がなかった。

 興味がある程の相手がいなかった。


 人間に仲間などいない。

 人間にとってヨノカは葬るべき敵だ。

 吸血鬼に仲間などいない。

 吸血鬼にとってヨノカは欠陥品の玩具だ。


 世界に、彼を求める声はない。

 吸血鬼にも人にも、そして世界にとっても、彼は不要な存在でしかなかった。


 だから――この世界の誰とも縁を作れなかった惨めな男は、この世界以外に捨てられた。

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