紅環断ち切る咎の歌
あらまきさん
断罪の果てに、世界は彼を拒んだ(前編)
王は退屈していた。
孤独な城の奥で、玉座に肘を付きながら座って。
人間では決してあり得ない、美しい銀色の髪。
ルビーさえも色あせたと感じる程に美しい、蠱惑的な瞳。
そう――その男は恐ろしいと感じる程に美しかった。
退屈そうな顔立ちでさえ色気を放ち、その所作一つ一つに気品を持つ。
若き外見でありながら、玉座に座る事に何の違和感も感じ得ない。
そんな王に対峙する為、城の闇から現れたのは……惨めな亡者だった。
ボロボロの服、血の匂い、獣のような瞳。
その玉座に辿り着いた男は、何一つ持っていなかった。
それなのに――不思議と彼は王に似ていた。
だが、何もかもが足りていない。
似ているからこそ、酷く劣って見える。
かの王と比べたら月とすっぽんというべきだろう。
その『すっぽん』は、強い侮蔑的な笑みを浮かべながら『月』を見上げ、声をかけた。
「よぉ兄さん。いや、お兄ちゃん」
それは、明らかに馬鹿にした口調であった。
その直後に、ぴしりと音が鳴り壁に裂け目が生まれる。
王は先程までの退屈そうな表情の中に憎しみを強く混ぜ、殺意を男に叩きつけた。
「おーこわ」
おちょくる様に、男は体を竦ませる。
男――『ヨノカ』は王が『兄』と呼ぶ事を心の底から嫌がると知っていて、敢えてそう呼んでいた。
「貴様などが私を肉親などと呼ぶな。穢れた猿風情が」
対し王――『セネリオ』からの呼び名にヨノカはくっくっと笑みを見せる。
セネリオにとって猿風情、つまり人間扱いをするというのは最大限の罵倒のつもりらしいが、それはヨノカにしてみれば逆効果でしかなかった。
「嬉しい呼び方してくれるんだな。お兄ちゃん。どうやらあんたはあのゴミから悪口のセンスは受け継がなかったらしい」
再び、壁に亀裂が生じる。
理性的な表情を取り繕う事さえ忘れ、セネリオは顔を歪め憎しみを顕わにしていた。
「……貴様……今、誰を侮辱した?」
「俺達の父親だけど? なあ、兄さん? 末路は知っているか? なかなかに無惨な物だったぞ?」
他の罵倒や戯言は、まだ聞き流せる。
だが、父への暴言と兄と呼ぶ事、その二つだけは、セネリオは例え天地がひっくり返ったとしても、許すなど出来ない事であった。
家族を愛するセネリオにとって、その言葉はどちらも触れてはならぬ逆鱗であった。
「――猿の分際で我が父までも愚弄するか。口にするだけで忌々しいというのに……貴様は……貴様はっ!」
セネリオは怒りのまま玉座の手すりを握りつぶそた。
その様子が、その有様が、怒り狂った姿が心底ヨノカは心地良くて――嗤った。
セネリオがヨノカと憎むのと同様に、ヨノカもまたセネリオを心から憎んでいた。
彼らの関係は、家族というにはあまりにも歪な物であった。
その歪な物語の始まりを語るのならば、とある一人の男を語る必要があるだろう。
その男の名は――『アウグスト・ノスフェルム』。
『アウグスト・ノスフェルム』
偉大なる吸血鬼の王、その一人にして、人類にとって最も悍ましき吸血鬼であった者。
彼にとって人は『玩具』に過ぎず、ただ楽しむ為に絶望を振りまいてきた。
彼は、アウグストは人類への扱いが吸血鬼の中で最も苛烈であった。
母の目の前で子を殺し、夫婦の片方だけを弄び、その絶望に笑みを浮かべる――そんな男に、共感できる者は吸血鬼でさえも少なかった。
多くの吸血鬼が行う人間狩りとは色々な意味で一線を画す嗜好であった。
そんな彼の最終目標、夢の果ては全ての人間を家畜の様に管理する『人類牧場』の設立だった。
そんな悪夢の様な夢を持つアウグストを討った者こそがヨノカである。
今この場に対峙している『セネリオ』と『ヨノカ』の関係はどうなるのかと言えば、人間的に言えば他人となるが、吸血鬼的に言えば彼らは『兄弟』である。
両者共にその事実を大層不満に思っているが。
まず、セネリオはアウグストの正当な息子である。
純粋な吸血鬼であり、両親に深い愛情をもって育てられた。
アウグストの様に人間で遊ぶ趣味は持ち合わせていないが、尊敬する父同様セネリオも『人間牧場』の建築を目指している。
人間などという短絡的思考の持ち主が絶滅しない様管理し、同時にその血をより吸血鬼が好む物とする為に。
対しヨノカは何なのかと言えば――『玩具』と呼ぶのが最も近いだろう。
ある日、アウグストが特に意味もなく拉致してきた若い女達の中に、偶然妊婦が混じっていた。
それを見たアウグストは戯れに、妊婦の腹の中にいた赤子に、たった『一滴』の血を落とした。
それがどんな地獄を生むのか、見て観たい。
そんな、ただの気まぐれ、戯れ、実験。
そしてその地獄を背負い生まれたのが――『ヨノカ』であった。
彼は純粋たる人間の両親を持ちながら吸血鬼の血を継ぎし存在。
人間でもなければ、吸血鬼でもない。
この世界に居場所を持たない者として、ヨノカはこの世に生を受けた。
吸血鬼の特徴を僅かでも兼ね備え、その血が混じった彼を人間は受け入れる事はない。
彼は母が死んだその時から人類に命を狙われ続けた。
同時に、吸血鬼が彼を受け入れる事もない。
気高き吸血鬼達は、彼を同族であると決して受け入れなかった。
どこに行っても、ヨノカに向けられるのはただ一つ――嫌悪。
彼は人間にも吸血鬼にも拒絶された。
ただの『アウグストの玩具』として、吐き捨てられるように生きてきた。
アウグストが憎い。
吸血鬼が憎い。
だけど何より……この体に流れる化物の血が憎い。
ヨノカは誰よりも、自分の事が嫌いだった。
対しセネリオは、己を誇りに思い、父を愛し、そしてヨノカを心の底からから恨んでいた。
人間に対し好きでも嫌いでもなく無関心である彼だが、ヨノカだけは例外だった。
この穢れた紛い物の猿風情が、父の血を持つなどと――許せない。
恥ずべき屑が無礼にもその偉大なる父を殺し、父の夢を踏みにじった。
いや、父だけではない。
ノスフェルムの誇りも、全てがこの下劣な紛い物の手で汚されたのだ。
ノスフェルム派閥と言われる存在、人間牧場に関わる全てがこの猿風情に後れを取った。
残ったのは、もう自分だけ。
父を殺し、父の積み上げた者を壊す、血を分けた存在。
その高貴な血を僅かでも持つ癖に何も理解出来ぬヨノカに対し、誰よりもセネリオは憎悪を滾らせていた。
ヨノカとセネリオは互いに睨み合っていた。
憎しみが、怒りが、殺意が、怨嗟が。
無限とも言われる程に互いの事を想い合っていた。
こいつだけはこの手で殺さないと気が済まない。
こいつの存在だけは、この世界から抹消しなければならない。
お互いの体に流れる血が同じという事実が、彼らの憎悪をより激しくかき乱していた。
セネリオは静かに立ち上がり、マントを靡かせ宣言する。
「決闘などという名誉を貴様に与える気はない。これから始まるのは、ただの屠殺だ。さあ父より受け継し我が高貴なる血よ! 愚か者に断罪せん為に『目覚めよ』!」
深紅の血が弾けるように舞い、彼の身体を包み込む。
血は液体のままではなく、まるで意思を持つようにうねり、絡みつき、形を変えた
血液の覚醒と共に、体もその構成を変化させていく。
骨が軋み、皮膚を突き破るように外へとせり出す。
鋭く変形した肋骨が鎧のように胴を覆い、腕には凶悪な鉤爪が生えそろった。
そうして、彼は吸血鬼としての真の姿を顕わにした。
高質化し鋼の様な装甲を纏うそのいで立ちはまるで特撮ヒーローのよう――。
だが――その姿は決して、光を纏う英雄などではなかった。
むしろ、恐怖と死を象徴する『怪人』と呼ぶべきだろう。
黒のインナーに赤の外骨格。
化物姿だが、マントはそのまま。
王冠の様な頭部パーツ含め、体中の至る箇所に黄金の装飾が施される。
巨大な瞳は赤く大きく怪しく輝き、その上、口元には巨大な牙らしき部位が二本、露見している。
それでも、元の彼が知的だからだろうか、どこか理性的な面立ちの様にも見えた。
ヨノカは自らの指を噛み、人差し指に小さな傷を作った。
ぽたっと、血の一滴が床に堕ちる。
汚らわしい血が混じった鮮血を、ヨノカは吐き捨てる様に見つめた。
一つ、息を吐き、今度はベルトのバックルに人差し指を重ねる。
バックル部分にある蒼い宝石に自らの血を吸わせ、そして呟く。
「変身――」
バックルの宝玉は赤く輝き、光が血の球体に代わりヨノカを包む。
血の球体が裂け、滴る赤を振り払いながら現れたのは――異形の怪物。
セネリオと酷似しながらも、異なる外見をしていた。
鋼の様な装甲に、巨大な瞳と鋭い二本の牙。
だがセネリオと異なって装飾類は全くなく、どこかつるっとして地味な外装。
黒のインナーは灰色に近く、赤の外骨格も細く脆そう。
鍵爪もなければ牙も小さい。
王をイメージする金もなく、変身前同様どこかみずぼらしい。
それに、彼の瞳はセネリオ程輝いておらず昏い赤で今にも消えそうになっていた。
対峙する両者は確かに似ているが、決定的に違う。
例えるなら童話『幸福な王子』の物語前と後だろう。
王者と乞食と呼ぶ程に、その外見は異なっていた。
「所詮我が父の血を継ぎ、我らが秘宝を盗み使ったところでその程度か――惨めだな」
「その惨めなのにあんたのパパ様は滅ぼされたんだけど?」
ヨノカは肩をすくめ、ため息混じりに言い放った。
一から十まで挑発の意図しかない言葉。
それにセネリオは乗っかった。
もう、我慢をする事さえ考えたくなかった。
そして、戦いの火ぶたは切って落とされる。
向き出しの敵意のまま、二人の拳が閃光のように交錯する。
血の滾るような拳がぶつかり合い、空気が震える。
衝撃の余波は爆風のように広がり、瞬く間に瓦礫を積み重ていった。
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