第30話 贖いの果てに

 儀式の終焉とともに、贖罪の祭壇は静かに崩れ落ちた。まるでその役目を終えたことを悟ったかのように、石は音もなく砂へと還っていく。


 レオンとカレンはその場に膝をついていた。激闘と精神の極限に晒された身体は、重く、けれどどこか軽かった。


 クラウスの最期の言葉が、胸に深く残っている。


 ──お前たちが未来を生きろ。


 その命の価値と重みが、今もレオンの手のひらに残る温かさとなって、彼の胸を締めつけていた。


 ◆ ◆ ◆


 崩壊した祭壇の奥には、誰も知らなかった空間が広がっていた。カレンが震える指先で触れた瞬間、長い眠りから覚めたかのように淡い光が灯る。


「……ここが、“神々の眠る地”」


 そこは、神代の遺構――贖罪の祭壇の原初となった、古の神々が最後に降り立ったと言われる聖域だった。


 天井には星々を模した魔石の群れが輝き、地面には無数の碑文が刻まれていた。それは過去に罪を犯した者たちの名と、贖罪の記録。


「これは……」


 レオンが読み取ったのは、まぎれもなく彼のかつての名前だった。


 そして、その隣にはクラウスの名もあった。


 「この碑文……数百年前のものだ。どうして俺たちの名前が……?」


 カレンがそっと答える。


「これは、魂の記録。あなたやクラウスは、この世界に来る前からずっと、繰り返し罪を犯し、贖おうとしてきた存在だった……」


「転生……か」


 レオンは口元を歪めた。


「罪から逃れるために、何度も生まれ変わった? そんなのは……本当の贖罪じゃない」


「だから、ようやく“ここ”にたどり着けたのよ」


 カレンが微笑む。


「生きて、罪と向き合い、人を守り、愛し、そして誰かに未来を託す。その一つ一つが、ようやくあなた自身の意思になった」


 レオンは碑文に手を触れた。


 すると、不思議な温かさが彼の中に流れ込む。それは、過去の自分から、今の自分への贈り物のようだった。


 「……ありがとう、クラウス。ようやく、俺たちは罪に意味を与えられた」


 ◆ ◆ ◆


 数日後、レオンとカレンは旅の終着点である村へと戻っていた。


 道中、戦火で荒れた町は再生の兆しを見せ、人々は互いに手を取り合っていた。


「見て……」


 カレンが指差す先には、子供たちが花を手向けていた。かつての戦地だった場所に、小さな祈りの場が作られていたのだ。


 「“命の価値”を、もう誰も忘れないようにって……」


 その言葉に、レオンは黙って頷く。


 村の門をくぐったとき、懐かしい顔ぶれが彼らを迎えてくれた。オルド神父、ルナばあさん、そして元孤児院の仲間たち。


 「帰ってきた……な」


 レオンの声に、誰もが涙しながら笑った。


 ◆ ◆ ◆


 数年後――。


 陽だまりの中、木製の剣が空を切る音が響いていた。


 村の広場。そこでは、レオンが子供たちに剣術を教えていた。


「はい、そこ! 重心が甘い! 敵に押されるぞ!」


 「はーい、レオンせんせー!」


 無邪気な声に囲まれながら、彼は確かに“今”を生きていた。


 その傍らには、カレンが椅子に座って微笑んでいる。


 彼女の膝には、まだ幼い少女がすやすやと眠っていた。


 ──クラリス。レオンとカレンの、娘。


 レオンは剣を納め、少女の額に口づけた。


 「これでいいんだよな、クラウス」


 空を見上げると、穏やかな陽が降り注いでいた。


 もう、過去に囚われる必要はない。罪を知り、それでもなお人を信じて生きる。そこにしか、贖罪の果てはない。


 静かなる夜明けは終わり、世界は確かに新しい一日を迎えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る