第29話 命の価値

 贖罪の祭壇──それは、かつて神々と人とが契約を交わしたという伝説の地。薄明かりのなか、重厚な石造りの構造物が静かに佇んでいた。


 レオンたちはその中心に立っていた。全ての道がここに通じていた。過去の罪も、現在の苦悩も、未来の選択も。


 そしてそこに現れたのは、クラウスだった。


「来たか、レオン。……ようやくだな」


 彼の姿は変わらない。しかし、その瞳にはかつての冷徹さではなく、ある種の悲哀が宿っていた。


「この場所は、お前にふさわしい最期の地だ」


「終わらせに来たんだ。俺たちの因縁も、お前の歪んだ贖罪も」


 両者の間に風が吹き抜ける。その瞬間、剣が交差した。


 ◆ ◆ ◆


 剣戟は激しく、美しく、そしてどこか哀しかった。クラウスの技は鋭く、迷いがない。だが、レオンもまた、これまでの旅路で得た「守る力」と「赦しの意志」で応える。


 その戦いは、単なる肉体の衝突ではなかった。信念と信念、贖罪と復讐、生と死の選択が刃の一振りごとに現れていた。


「お前は変わったな、レオン。……昔のように、人を捨て駒として見ることはもうできないのか」


「違う。俺が変わったんじゃない。俺が“見ようとした”だけだ。人の命の重さを、痛みを、選択の意味を」


 クラウスは一瞬だけ目を伏せた。


「それが赦しだというのか? 贖罪だと?」


 だがレオンは、首を横に振る。


「分からない。ただ……誰かを守るために戦う。その先にしか、贖いはない」


 ◆ ◆ ◆


 戦いの果て、クラウスは膝をついた。


 傷だらけの彼は、それでも誇り高く、穏やかな声で言った。


「……カレン。お前だけは、償いの意味を見つけてくれ」


 その言葉にカレンは震えながら歩み寄った。


 彼女は、贖罪の祭壇の儀式を知っていた。


 “贖いの祈り”──それは過去を浄化し、新たな契約を世界に刻む儀式。しかしその発動には、等価の代償が必要だった。


「この儀式は……誰かひとりの命を供物にしなければならない」


 カレンは震える声で告げる。


「私の命で、儀式を完成させる。それが私の……贖い」


「待て、カレン」


 レオンが手を伸ばす。


「もう、十分だ。お前はもう、贖ってきた。俺の命でいい。俺が、その代償になる」


「だめよ、あなたは──」


「俺はずっと、人を傷つけ、奪ってきた。命を“数”として扱ってきた。だが今、ようやく知った。命の価値は、誰かの未来を繋ぐことだ」


 彼は一歩前へ進む。


「お前の命が消えるなら、この贖罪に意味はない。俺が贖いたい。生きて、ではなく、今度は“命そのもの”で贖いたい」


 カレンは叫んだ。「お願い、死なないで! 贖いは“生きて”果たすものだと、あなたが教えてくれたじゃない!」


 だがその瞬間、祭壇が光に包まれる。


 クラウスが、最後の力を使って祭壇の魔力を引き受けていたのだ。


「……お前たちが未来を生きろ。俺の命で償いは果たされる」


 微笑むクラウスの姿が、光の中に溶けていく。


 ◆ ◆ ◆


 儀式が終わった後、祭壇は崩れ、静寂が世界を包んだ。


 カレンはレオンの手を握り、涙を流していた。


「……私は間違えてばかり。けれど、それでも生きて、あなたと贖いたい」


 レオンは頷いた。


「命の価値は、誰かに繋がれること。その未来を、俺たちが選ぶ」


 朝日が、崩れた祭壇の上に差し込んだ。


 その光は、確かに新たな始まりを告げていた。

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