第25話 第五書庫の扉
王都の東区――かつて栄華を誇った貴族たちの屋敷が並ぶ一角。今ではほとんどが廃墟と化し、盗賊や密売人たちの隠れ家となっていた。だが、その中にひとつだけ、異様な静けさを保ち続ける建物がある。
第五書庫。
名目上は王立図書館の別館として存在するが、実際にはその出入りを許される者などごくわずか。王族か、それに準ずる立場の者だけが知る、“秘密保管庫”だった。
そしてその日、まだ朝焼けの残る空の下、レオンとカレンはその鉄扉の前に立っていた。
「ここが……記憶の扉を開く場所」
カレンが小さく呟く。手の中には、前夜枕元に置かれていた黒い紙片。
それが導いた場所は、まさにこの第五書庫だった。
◆ ◆ ◆
扉には鍵穴がなく、取っ手すらなかった。ただ一枚の黒曜石の板のように、異様な存在感を放っていた。
「まるで生きているみたいだな……」
レオンが言ったとき、扉がひとりでに“音もなく”開いた。
内側からの風がふわりと吹き抜け、二人の頬をなでる。
だがその風は、生温かく、そしてどこか懐かしい匂いを含んでいた。
「……行こう」
カレンが一歩を踏み出す。レオンもそれに続いた。
◆ ◆ ◆
書庫の中は、想像以上に広大だった。
階層がいくつも分かれており、天井には星のように光る魔石が散りばめられていた。書架には魔術書や禁書、古代語で書かれた文書がぎっしりと詰まっている。
だが、彼らの目的はそれではなかった。
最深部へと続く、螺旋階段。
紙片に記されていたのは“第三層、祈りの間”。
降りるにつれ、空気は冷たくなり、空間が異様に静まり返っていった。まるで音そのものが吸い込まれていくような感覚。
「この感じ……魔術じゃない。もっと原始的な……“呪”だ」
レオンが低く唸った。
最深部に近づくほど、空間に漂う重苦しさは増していった。やがて、彼らは小さな扉の前にたどり着く。
「ここだ。“祈りの間”」
カレンの手が、震える。
その扉の向こうに、彼女の記憶が封じられている。
そして、それを見届けるために、レオンも扉に手を添えた。
──ギィィ……
扉が開いた瞬間、空間が“反転”した。
◆ ◆ ◆
光も、音も、匂いもすべてが歪んだ。
彼らが立っていたのは、今や別の時空。まるで記憶の中に飲み込まれたような世界。
「ここは……」
カレンの目が見開かれる。
広がっていたのは、あの“儀式”の空間だった。
巨大な円形の祭壇、銀の杯、仮面をかぶった集団。そしてその中心に、ひとりの少女がひざまずいていた。
「……私」
それは紛れもなく、過去のカレンだった。
誰にも助けを求められず、感情を閉ざし、ただ従順に祈りを捧げていた。
その光景を前にして、現在のカレンは足を震わせながらも立ち尽くしていた。
──そのとき。
「お前たちは、“見てはいけないもの”を覗いてしまったな」
低い、しかしよく通る声が背後から響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは白銀の髪を持つ男――クラウスだった。
「クラウス……」
レオンが低く唸る。
だが、彼の表情には迷いがあった。なぜなら、その姿はあまりにも“過去の自分”に似すぎていたからだ。
「久しぶりだな、弟よ」
その一言が、空気を変えた。
「やはり……本物か」
「俺はお前とは違う。“贖罪”などという幻想に縋って、己の罪を薄めようとする偽善者にはなりたくなかった」
クラウスの瞳は、どこまでも冷たい。
だが、その奥には――わずかな悲哀が宿っていた。
「お前は組織から逃げた。だがその代償に、何人が死んだと思っている」
レオンは言葉を返さなかった。
それは、まぎれもない事実だったからだ。
「俺はその“後始末”をしてきた。そのたびに、あの少女のような犠牲が増えた。……ならば、俺がここを支配するしかない。秩序のために」
「それが正義だとでも?」
カレンが叫んだ。
「犠牲を繰り返して得られる秩序なんて、偽物よ!」
その言葉に、クラウスの表情が一瞬だけ揺らいだ。
だが、次の瞬間、空間が再びねじれた。
仮面の者たちが動き出す。
幻影ではない。これは、“過去”ではなく、“記憶に潜む罠”。
「逃げろ、カレン!」
レオンが叫び、剣を構える。
だが彼の視線は、クラウスに向けられたままだった。
(兄さん……いや、“かつて兄だった男”よ。今度こそ、俺は……過去に決着をつける)
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