第19話 遺された檻と開かれた扉

 帝都から東へ五十里、霧深い山間に、古びた研究施設の跡地が眠っていた。


 地図には載っていない場所。かつて帝国軍が極秘裏に建てた、覚醒者の研究所──「第七観測所」。


 そこには、未だ解き放たれていない“檻”があった。


 ◆ ◆ ◆


 レオンたちは要請に応じ、王国の調査隊と合流して現地に赴いた。


 かつて帝国が覚醒者の制御実験を行っていた場所は、朽ちかけた石造りの構造の中に、異様な静けさを残していた。


「……この空気、嫌な感じがするな」


 イグナスが眉をひそめる。彼の感覚は、いつも正しかった。


「内部に残留している魔力の質が……異常です」


 エリナが結界石をかざし、眉をひそめた。


 魔力反応は弱いながらも、深部に向かうにつれ、濃密になっていく。まるで“何か”が、今もこの場所で息づいているような気配。


 レオンは剣を抜いた。もはやためらいはない。必要ならば、この手で扉を開き、終わらせる。


 ◆ ◆ ◆


 観測所の地下第三層。


 そこには“生きている部屋”があった。


 壁一面に刻まれた魔法陣。中央には、水晶管に包まれた何かが浮かんでいた。


 ──それは、少女だった。


 年端もいかない、十歳にも満たぬほどの姿。だが、彼女の中に封じられた魔力は、レオンすら怯むほどに異常だった。


「……眠らされているのか?」


 カイルが低く呟いた。


 調査員の一人が記録を確認し、顔を青ざめさせる。


「……“被験体000”。実験初期段階で暴走し、施設ごと封印された個体……そのまま、放置されていたようです」


「放置だと?」


 ガロンが怒りに拳を握る。


 だが、レオンは少女をじっと見つめていた。その顔には、どこか“マリア”に似た面影があった。


「……名前は、ないのか?」


 「000」とだけ記されたプレート。それが彼女のすべてだった。


 ──だが、それでいいはずがない。


「解放するわけにはいきません!」


 調査隊の指揮官が制止した。


「この魔力量……もし制御できなければ、周囲数十里が消し飛ぶ危険がある。王国としても、このまま封印を強化する方針です」


 エリナも顔を曇らせる。


「確かに……この状態では、ただ目覚めさせるのは危険です。でも……」


 誰もが悩んでいた。


 過去の罪が生んだ“檻”。それを開けるということは、再び多くの命を危険に晒すことになる。


 だが──レオンは一歩踏み出した。


「……俺がやる。俺が、この子と向き合う」


「正気か!?」


「正気だ。俺は、かつて多くの命を奪ってきた。その罪は消えない。けど……だからこそ、この子に“選ばせる”責任がある」


 レオンは水晶管に手をかざした。


 魔力の奔流が皮膚を切り裂くように痛い。だが、その中に、確かにあった。


 ──“助けて”という、かすかな声が。


「名を、つけよう。このまま“番号”で終わらせるなんて、もうごめんだ」


 レオンの口から、自然に名が出た。


「──ルミア。君の名前は、ルミアだ」


 ◆ ◆ ◆


 封印は、緩やかに解かれた。


 施設全体に響いた震動。そして──少女の瞼が、ゆっくりと開かれた。


 黄金の瞳が、レオンをまっすぐに見つめる。


「……あなた、が……名を……?」


「ああ。ルミア。君は、生きてる。自由に、なれる」


 少女の瞳に涙が浮かんだ。


 それは、痛みではなく、解放の涙だった。


 だがその瞬間、地下施設全体が警告音を鳴らした。


「魔力暴走反応!? 内部から過負荷が──」


「ダメだ、封印装置が……崩壊する!」


 ルミアの魔力が、抑圧を失って拡散を始めていた。自我は戻ったが、制御が追いつかない。


 このままでは、彼女ごと、全員が吹き飛ぶ。


「レオン!」


 エリナが叫ぶ。


 だが、レオンは微笑んだ。


「大丈夫だ。信じてる」


 ルミアに手を伸ばす。


「──選ぶんだ。君自身の力で。生きたいか、壊したいか」


 少女の瞳に揺れる光。


 そして──


「……生きたい……!」


 その叫びとともに、魔力の奔流が凪いだ。


 暴風が消え、震動が止まる。


 少女の足元にそっと降り立ったレオンは、彼女の身体を支えながら静かに言った。


「ようこそ、世界へ」


 ◆ ◆ ◆


 観測所の封鎖は解かれ、遺構は完全に解体されることになった。


 ルミアは、王国の保護の下で静養することとなる。今の彼女は、まだ全てを理解してはいない。


 だが、確かに“扉”は開かれた。


 そしてそれは、レオンにとってもまた、新たな始まりを告げるものだった。


「……ありがとう、レオン」


 帰路、エリナがぽつりと呟いた。


「あなたがいなければ、私たちはまた“恐れ”を選んでいたかもしれない」


 レオンは微笑みながら言う。


「選ぶのは怖い。でも、それでも選ばなきゃ、未来には進めない。たとえ間違っても……その責任を引き受ける覚悟があるなら、俺は、何度だって選ぶ」


 風が吹いた。柔らかく、暖かい春の風だった。

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