第20話 罪と赦しの境界線

 その日、王都は異様な静けさに包まれていた。


 騎士団本部の大広間には、重苦しい空気が漂っている。上座に並ぶのは、王国の中枢を担う高官たち。そして、その中央には、かつてレオンに剣を向けられた者──リシア・フェルブラン卿が座していた。


 彼女の冷たい視線が、入ってきたレオンを射抜く。


「……まさか、自ら出頭してくるとはね。貴方らしくもない」


 レオンは剣を持たず、ただ静かに頭を下げた。


「あなたに償いを伝えるなら、正面からでなければならないと、そう思いました」


 罪を犯した者が、赦しを求めるというのは、決して簡単な話ではない。


 まして、彼が過去に命を奪った者の中に、リシアの兄──アルド・フェルブランがいた。


 ◆ ◆ ◆


「……兄上が亡くなったのは、貴方の手によって。しかも命乞いすらできぬ一撃で」


 リシアの声は抑えられていたが、その奥には怒りと深い悲しみが滲んでいた。


「正当な報復を望む者も多い。あなたがどれだけ行いを改め、誰かを救ったとしても……人の命は戻らない」


「……ええ、その通りです」


 レオンは真っすぐ彼女を見つめて頷いた。


「俺がしたことは、決して許されることではない。今も、眠れぬ夜があります。奪った命の重みが、背中から離れたことは一度もありません」


 場内は静まり返る。


「けれど、それでも俺は、生きることを選びました。誰かを守るために。誰かの未来を、失わせないために」


 その言葉に、エリナやカイル、ガロン、イグナス──これまで彼を支えてきた仲間たちが沈黙の中で見守っていた。


 彼はもう一人ではない。


「この場に立つことで、報いになるとは思っていません。けれど、貴女にだけは、向き合っておきたかった。貴女の言葉が、俺の剣よりも重いと分かっているから」


 そのとき、リシアの指が震えた。


 剣を抜こうと、何度も思った。自らの手で仇を討つことが、兄の名誉を守る道だと信じていた。


 だが、レオンの目は揺らがなかった。まるで、何百もの後悔と血の記憶を背負って、それでも尚、立ち上がっている者の目だった。


 ◆ ◆ ◆


 その沈黙を破ったのは、王城の裁定官だった。


「フェルブラン卿。復讐ではなく、裁きのもとに判断を委ねるというお考えに、変わりはありませんか?」


 リシアはゆっくり立ち上がり、深く息を吸った。


「……兄の仇を討ちたいと思わなかった日は、ありません。けれど、それで兄が戻ることもないとも、理解しています」


 レオンの眉がわずかに動く。


 リシアは拳を握りしめていた。


「それでも、赦したわけではありません。ただ、私は、兄が命を懸けて守ろうとした“人の未来”を信じます」


 視線がレオンに向く。


「……だから貴方には、もっと生きて贖ってほしい。何千、何万と苦しむ人のために、剣を振るうことで」


「……それが、俺にできる“償い”なら」


 レオンは膝をつき、静かに頭を垂れた。


 赦されたわけではない。それでも、彼は“赦しへの道”に足を踏み出したのだ。


 ◆ ◆ ◆


 王都の夕陽は、赤く燃えていた。


 裁定の結果、レオンは「無罪放免」ではなく「監視下における特任行動許可」を受ける形で王国に留まることとなった。


 それはつまり──レオンが王国の剣として活動を続けることを意味する。


「これで……いいのか?」


 ガロンがぽつりと呟いた。


 カイルは小さく笑う。


「まぁ、あいつらしいだろ。全部を背負って、それでも前を向くなんてさ」


 エリナは黙っていた。


 だが、レオンの背中を見つめるその目は、どこか安堵に満ちていた。


 リシアは、王城の高台からその光景を見下ろしていた。


 風に揺れる長い金髪。彼女の横顔には、複雑な感情が交錯していた。


「兄上……私は、間違っていないでしょうか」


 答える者はいない。


 だが、遠ざかるレオンの姿が、どこか兄の面影と重なった気がした。


(……ならば、せめて)


(今度こそ、この剣は、人を守るために)


 ◆ ◆ ◆


 その夜、レオンは静かな庭園に一人立っていた。


 月光が照らす中、剣を静かに鞘に収める。


 彼の道はまだ続く。


 贖罪とは、終わりのない旅なのかもしれない。


 それでも、誰かに手を差し伸べられる自分であれば──その道を進む意味がある。


「俺は……赦されなくていい。けど、“誰かを赦せる人間”にはなりたい」


 その言葉は、風に溶けて消えていった。


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