第16話 「刃に映る過去

 帝都の夜明けは、どこか静かだった。


 前夜の混乱が嘘のように、空には青の気配が広がりつつある。だが、心の中の嵐は、まだ収まってはいなかった。


 レオンは城壁の上に立ち、遠くを見つめていた。


 過去を忘れたわけではない。むしろ、思い出すことに怯えていた。


 だが──今は違う。


 真実を知る時が来たと、自分に言い聞かせていた。


 ◆ ◆ ◆


 その夜、レオンは一人、帝都の古い地下礼拝堂へと足を運んだ。


 そこはかつて〈黒影〉の一派が使っていた隠れ家のひとつで、今は朽ちた石造りの祭壇が寂しげに残っているだけだった。


 足音を忍ばせて進むと、そこに一人の老人が座っていた。


 ──クラウス。


 かつて〈黒影〉の教育係として、レオンに“殺しの術”を叩き込んだ張本人である。


「お前が来るとはな……随分と、変わった顔つきになった」


「……全部、話してもらう。あの組織の本当の目的。そして、俺が“最初に殺した人間”のことも」


 クラウスは目を細めた。


「それを知って、どうする? 過去を悔やんで、また剣を捨てるのか?」


「違う。……それでも俺は、過去を背負って生きるって決めた」


「ほう……ならば、語るとしよう」


 ◆ ◆ ◆


 クラウスの語る〈黒影〉の始まりは、意外なものだった。


 元は帝国直属の“特殊任務部隊”として設立された軍事組織だった。表には出せない暗殺や外交工作を請け負い、長く帝国を裏から支えていた。


 だがある時、帝国上層部が彼らを切り捨て、部隊は地下に潜った。


「……表向きには“粛清”。だが、実際は我々の知りすぎた情報を恐れた結果だった」


 生き残った者たちは、自分たちの存在価値を証明するために独自に動き始めた。それが、現在の〈黒影〉へと繋がっていった。


「お前が拾われたのは、ちょうどその転換期だ。……“感情を殺せ、名を捨てろ”と言われて育ったろう?」


「……ああ」


 レオンの胸の奥で、古い傷が疼いた。


 名前を呼ばれることも、誰かを信じることも、すべてを否定された日々。


「だが、お前には一つだけ──“選ばれた理由”がある」


「理由……?」


 クラウスは懐から、古びた銀のロケットを取り出した。


 開いた中には、一枚の絵が挟まれていた。


 そこに写っていたのは、若き日のレオンと──幼い少女。


「……これは……」


「お前が“最初に殺した人間”だ」


 時間が止まった。


 喉の奥が焼けるように熱く、息が詰まりそうだった。


 レオンの記憶には、彼女の姿が断片的にしか残っていない。けれど、その笑顔だけは──今も鮮明だった。


「本当はな、あの子は“標的”じゃなかった。巻き添えだった。……だが、それでもお前は手を下した」


「……なぜ、俺に見せる?」


「お前がその罪を“他人のせい”にしなくなったと、思ったからだ。ようやく、語る資格ができたと」


 レオンは膝をつき、地面に両手をついた。


 震える肩。こみ上げる嗚咽。


 ──あれほど避けてきた記憶。その中心に、彼女がいた。


「……償えない……こんな過去……どうやって生きればいいんだ……」


 クラウスは、ただ静かに言った。


「それでも生きろ。“その痛み”と共に。お前には、それができる」


 レオンは顔を上げた。涙に濡れた瞳の奥に、かすかな光があった。


「……俺はもう逃げない。すべて背負って、最後まで戦う。自分の命が尽きるその時まで──」


「それでいい。……お前はもう、“化け物”じゃない。人間だ」


 ◆ ◆ ◆


 地上に戻ると、空はすっかり明るくなっていた。


 エリナが待っていた。何も聞かずに、ただそばに立つ。


 レオンは小さく笑った。


「全部、思い出した。……俺が、誰を殺したのかも」


「……怖くない?」


「怖いさ。でも、もう誤魔化すことはしない」


 エリナはそっと手を伸ばし、彼の手を握った。


「なら、一緒に行きましょう。……最後まで、どんな過去も、私が受け止める」


 レオンはその手の温もりに、はじめて“救い”の感触を覚えた。


 ──過去は消せない。


 けれど、未来は選べる。


 そしてそれは、自分だけでなく、誰かと共に歩むこともできる。


 ◆ ◆ ◆


 その頃、ノワールの動きも加速していた。


 各地で暴動と同時に、“覚醒者”と呼ばれる異能持ちの者たちが暴れ出していた。


 彼らは皆、〈黒影〉によって改造され、記憶と感情を奪われた存在。


 ──まさに、かつてのレオンそのものだった。


「次は、お前たちの番だ……この世界に真の“裁き”を与える」


 ノワールの野望は、いよいよ現実味を帯び始めていた。

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