第15話 夜明けの咆哮

 夜明けはまだ遠い。


 帝都は混乱の只中にあった。火は市街の南部から北へと広がり、避難を余儀なくされた市民たちの悲鳴が絶え間なく響いていた。


 その光景の中心で、レオンは剣を抜いていた。


 目の前には、〈黒影〉の新たな刺客──灰色のマントに包まれた女戦士。その動きには一分の無駄もない。


「……貴様が“レオン”か」


 女は名乗らなかった。ただ殺気だけが、彼女の存在を証明している。


「誰が送り込んだ?」


「問う資格はない。貴様は〈裏切り者〉。それだけで十分」


 その言葉に、レオンの奥歯が軋む。


「俺の過去は、もう血の海に沈んだ。今、ここにいるのは──村で生きた一人の人間だ」


「綺麗事だな。だが、そういう理想が、世界を腐らせる」


 剣が交差する。


 鋭い刃が幾度も火花を散らし、地を穿つ。レオンの動きは実直で、迷いがない。一方、女の剣は冷徹で機械的だった。


(こいつは……昔の俺だ)


 感情を捨て、命令に従うだけの殺し屋。その姿が、かつての自分を鮮明に思い出させる。


 ──だが今の自分には、失いたくないものがある。


「……負けるわけにはいかない」


 剣が彼女の防御を貫き、ついに地に膝をつかせた。


 それでも女は、涙も見せず、苦痛も吐かずにレオンを見上げた。


「なぜ……殺さぬ」


「俺の剣は、今は“誰かを守るため”にある。復讐のためじゃない」


「甘いな……だが、だからこそ、お前は俺たちを脅かすのかもしれん」


 女はそのまま気を失った。レオンは彼女の剣を拾い、地面に突き立てた。


 ──殺さず、終わらせる。


 それが、レオンが選んだ“償い”の形だった。


 ◆ ◆ ◆


 同じ頃、エリナは市街中心部に布陣していた。


 白の盾団の面々は、各区域で消火と避難誘導にあたっていたが、敵の潜伏は予想以上に深く、数も多かった。


 そこに現れたのは、帝国議会に属する宰相の側近、グレンである。


「この混乱……〈黒影〉の犯行と断定して良いのか?」


「火を放ち、市民を脅かし、正義の手を縛る者……他にいないでしょう」


 エリナの言葉に、グレンは不満げに唸る。


「だが帝国は証拠を求める。敵を叩くための“大義”が必要なのだ」


「……ならば、私がその証を手に入れます。レオンと共に、決着をつける」


 グレンは一瞬黙し、それから小さくうなずいた。


「ならば、白の盾に暫定的な“特別行動権”を与える。ただし──結果が全てだ」


 言外に「失敗は許されない」と言っている。だが、それでもエリナは迷わなかった。


(これは、帝国の未来だけじゃない。レオンの……罪に意味を与える戦いでもある)


 ◆ ◆ ◆


 一方、混乱の裏では、ノワールがまた新たな布石を打っていた。


 帝国東部の街・ブレインでは、〈黒影〉の残党とされる者たちが住民の中に紛れ、蜂起を始めていた。


「今こそ、腐った秩序を壊すとき。あの男が動いた今、俺たちも起て」


 ノワールの演説は激情に満ちていた。そこには冷静な計算だけではなく、何か焦燥のようなものがあった。


 ──彼もまた、世界を壊すことでしか救われないと思い込んでいる。


 その姿は、レオンが最も恐れていた「かつての自分」そのものだった。


 ◆ ◆ ◆


 夜が明けようとしていた。


 東の空にかすかな光が差し込む頃、レオンは市街地の丘に立っていた。


 背後には、避難を終えた人々と、それを守る白の盾の騎士たち。


 そして──その中心に、エリナがいた。


「……間に合ったか」


「ええ。市街地は鎮圧できました。あなたがあの女を殺さなかったと聞いて……本当に、変わったのね」


 レオンはわずかに苦笑する。


「変わったというより、変わろうとしてるだけだ。まだ……何も償えちゃいない」


 それでも、とエリナは微笑む。


「あなたの選んだ剣の道は、誰かを救う力になる。少なくとも、今日のこの街は、それで救われたわ」


 朝日が空を染める。


 炎と煙の向こうに、ほんのわずかな希望が差していた。


 レオンは剣を鞘に収め、深く息をついた。


「──次は、ノワールだ。あいつを止めないと、また同じ悲劇が繰り返される」


「ええ、行きましょう。“正義”とは何かを問いながらでも……私たちが信じる道を」


 二人は並び立ち、朝の光の中を歩き出す。


 それは贖罪の旅の続きではなく、新たな決意の始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る