第4話 仮面の追跡者
火災から数日が経った。
ミレナ村は以前と変わらぬ穏やかな日常を取り戻したかに見えたが、レオンの胸中は静かにざわついていた。
──あの影はたしかに自分のことを見ていた。いったい、誰だったのか。
──自分の過去を、あの男は知っているのか。
日々の農作業や手伝いの合間にも、その疑問が頭を離れることはなかった。
◆ ◆ ◆
「なあ、レオン。最近、夜中に起きて外に出てるだろ?」
カイルが問いかけてきたのは、ある雨上がりの昼下がりだった。
「……見てたのか」
「うん。でも、別に責めるつもりじゃない。ただ……心配なんだよ。前より顔色が悪いし」
レオンは苦笑した。自分の変化に気づく人がいるということが、少しだけ嬉しかった。
「ありがとう、カイル。でも大丈夫だ。ただ……ちょっと、昔の知り合いに似た人を見かけてさ」
「昔の?」
レオンはうなずく。転生前の世界で、殺しを請け負っていた頃の“仲間”――いや、“同業者”と呼ぶべき存在。あの男の背格好と気配は、どうしてもあの世界を思い起こさせる。
(ここまで追って来るなんてあり得るのか……? それとも、こっちの世界にいる“別の転生者”か?)
真相は不明だった。ただ、ひとつだけ確かなことがある
あの男はレオンに明確な敵意を持っているということだ。
◆ ◆ ◆
その夜。
レオンは人気のない森の奥へ足を運んでいた。
理由は単純だった。そこに、あの男が立っていた痕跡があったからだ。土にわずかに残る足跡、木の幹に残された細かな傷。
「……来るなら、今夜だな」
そう呟いた瞬間、風が止まった。木々がざわめきもせず、空気が張りつめる。
気配が動く。背後から。
瞬時に身体をひねると、レオンの首をかすめて黒い刃が風を裂いた。
「やはり、昔の勘は鈍っていないな」
仮面の男だった。漆黒のローブ、顔を覆う白磁の仮面。その背丈と声音は、レオンの記憶のどこにも属さない。だが、目だけは知っていた。
「お前……“ウルス”か」
「ははっ、覚えていたか。さすがは『処刑人レオン』だな」
ウルス──かつてレオンが所属していた暗殺組織の中でも、特に冷酷で知られていた男。殺しを芸術とし、感情を殺すことを信条としていた。
「そうだ。おれは、人殺しを生業にしたきた。しかし、なぜ、おまえがここに?」
「君を迎えに来たのさ。組織は再編された。そして君のような“逸材”を欲している」
レオンは吐き捨てるように言った。
「冗談じゃない。俺はもう、そんな世界に戻るつもりはない」
ウルスは軽く肩をすくめた。
「それならば……おまえにもう用はないな」
そう言うなり、ウルスは姿を消した。
(速い──!)
気配だけを頼りにレオンは地面に身を投げ出す。直後、頭上で刃が空を裂く音がした。転がりながら距離をとると、すぐさま小石を掴み、ウルスの方へ投げつけた。
それが囮だと察したのか、ウルスは躱す。そしてそのわずかな隙を突いてレオンは、近くの枝を杖代わりに拾い上げる。
「お前も……転生者か?」
その問いにウルスは笑った。
「さて、どうだろうな。ただ……俺たちの“仕事”はまだ終わっていない。お前がどれだけ足掻こうと、血は逃れられない」
再び斬撃が飛ぶ。枝で受け止めるも、弾かれた衝撃でレオンは膝をついた。
(……やっぱり、強い。だが──負けられない)
◆ ◆ ◆
「レオン!!」
叫び声が木々の間を駆け抜けた。カイルだった。
その声に一瞬、ウルスの動きが止まる。
(甘いな──!)
その隙を逃さず、レオンは地面の泥をウルスの目に向かって蹴り上げた。
「チッ!」
目を覆ったウルスが数歩後退する。
「覚えておけ、レオン。お前は“裏切った”。それ相応の報いを受けることになる」
そう言い残すと、ウルスの姿は闇に溶けて消えた。
「レオン、大丈夫か!?」
駆けつけたカイルが肩を貸してくる。レオンは軽くうなずいた。
「……助かった。お前の声がなかったら、今頃やられてた」
「でも……あの人は?」
「たぶん、俺と同じ。過去を持ったまま、こっちの世界に来たやつだ」
レオンの言葉に、カイルは複雑な表情を浮かべる。
「じゃあ……これからも襲ってくるかもしれない?」
「ああ。だが、俺は逃げない。過去に縛られたままじゃ、贖罪なんてできないからな」
闇の中、ふたりの影が寄り添うように歩き出す。
その背中に、確かに新たな決意が灯っていた。
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