第3話 過去からの影
ミレナ村の朝は早い。太陽が地平線をのぼる前から、雄鶏の声が空気を震わせ、村人たちは一斉に動き出す。
レオンも例外ではなかった。
「おい、レオン。こっちの桶も頼む!」
「了解……!」
水場からの帰り道、片手に重たい桶を抱えながらレオンは息をついた。体が少しずつ慣れてきたとはいえ、元は裕福でもなく、訓練された肉体でもない。転生者であるという事実が、筋力に特別な補正をかけてくれるわけでもないのだ。
その日も午前中は水運びと草刈り、午後は畑での土起こし。夕方になるころには、手も足も泥と汗にまみれていた。
「よくやったな、レオン。休め」
ガロンの温かい声が響く。思わずレオンは、肩で息をしながらも小さく笑った。
「こんな生活が……意外と悪くねぇとはな」
だが、そんな日常に少しずつ、陰が差し始めていた。
◆ ◆ ◆
ある晩、ガロンの家での夕食中のことだった。
「なあ、マーシャ。最近、旅の商人が妙なことを言ってたぞ」
ガロンの一言に、レオンは箸を止めた。
「妙なこと?」
「西の街、バルネラでな。どうも『記憶喪失の子供』が増えてるらしい。しかも、何人かは前科者っぽい言動をしてるってさ」
その言葉が胸に突き刺さる。
(まさか、俺だけじゃない……?)
転生。それも、過去に何かしらの罪を抱えた人間が、この世界に再び“子供”として現れる──そんな現象が、他にも起きている可能性があることを示唆していた。
「なんでも、その中の一人が暴れて村を焼いたらしい。まだ捕まってねぇってよ」
「……そんな」
マーシャが震える声を漏らした。
レオンは無意識に拳を握りしめていた。
(やっぱり……この転生には“選別”がある。全員が俺みたいに、贖罪しようとしてるわけじゃない)
◆ ◆ ◆
その夜、レオンは眠れなかった。
ガロンたちの寝息を聞きながら、レオンは焚き火の前に座り込み、じっと闇を見つめていた。
「……こっちの世界でも、また悪人が暴れてる」
自分は、本当に違うのか。
ただ居場所が欲しいだけで、人の役に立っているつもりになっているだけではないのか。
ふと、背後に気配を感じた。
「……またお前か、カイル」
「うん。なんか、君のことが気になってさ」
カイルは隣に座り、火の明かりを見つめた。
「レオンって、何かに追われてるみたいに見える時がある」
その言葉に、レオンの胸が締め付けられる。
「俺は……昔、ひどいことをたくさんした。こっちに来る前に」
「……転生前の話?」
カイルの問いに、レオンは目を見開いた。
「知ってたのか?」
カイルは小さく笑った。
「なんとなく、だけどね。だって君、時々この世界の常識から外れたことを言うし、目が……子供のそれじゃない」
「……」
「でもさ、それがどうしたの? 君が今、誰かのために動いてる。それで十分じゃない?」
その言葉に、レオンは視線を落とす。
「そう思いたい。でも──俺の中にはまだ、あのときの“俺”がいる。殺しても消えない。たまに、そいつが囁くんだ……。もう一度、力を手に入れろって」
カイルは真剣な顔になった。
「……それでも、君は踏みとどまってる。それがどれだけすごいことか、君は分かってる?」
レオンは何も答えられなかった。ただ、心のどこかで、誰かに許してほしかっただけなのかもしれない。
◆ ◆ ◆
翌日、事件は起きた。
村の入口近くにある小屋が燃えていた。
「火事だ! 水を持ってこい!」
「中に誰かいるぞ!」
レオンは真っ先に駆けつけた。体が勝手に動いていた。
「レオン、待て! 危険だ!」
ガロンの声も届かず、炎の中へ飛び込む。
中には幼い子供がひとり、怯えて泣いていた。
「……大丈夫だ、俺が助ける」
そう言って子供を抱きかかえると、レオンは炎の中を突っ切った。
その瞬間、彼の脳裏に過去の記憶がよぎる──
かつて、自分が放火して逃げた民家。
中に人がいたと知りながら、無視した。
(違う、今はもう違う……!)
ようやく小屋を脱出したとき、周囲から歓声が上がった。
「助かったぞ!」
「レオンが……子供を!」
レオンは膝をついた。息が荒い。
「……俺は、変われるのか……?」
その問いに、答えはまだなかった。
だが、村人の瞳には確かに、彼が“ヒーロー”として映っていた。
そして、誰にも知られていないところで──
炎の向こう側に、ひとつの影があった。
黒いローブをまとい、レオンを見つめていた。
「……見つけたぞ、“元殺し屋”」
それは、レオンの過去と地続きの“何か”が、彼を再び試すために現れたことを告げていた。
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