第50話ー母が残したものー
———2人は一通り食べ終わって、お茶を飲んで一息ついているところに、…あの、と神瑠は躊躇いがちに口を開いた。
「今日貴女を街に連れ出したのは、ジェヘラルトを案内する目的とは別に、一緒に来てほしいところがあったんだ」
その言葉に、どこだろう?とただ首をかしげるシンシア。
「桜様…、貴女のお母上がお眠りになっている場所だ」
「お眠りに———っ、お墓のことをおっしゃっておいででしたら、クリミナードにありますが…?」
一体何を言いたいのだろう?と、神瑠の言葉の意味が読み取れず、シンシアは迷宮入りしてしまう。
「桜様は公王様のはとこであり、ユァンルー地方の姫君でもあったから、
「っ、そうだったのですね」
「桜様は国の内外問わずたくさんの功績を残されたお方だ。一番は…、そう、契約した精霊の加護?とやらで “
「…っ。すみません、ゴー…なんとか、とは?」
「あぁ、えっと、確か
シンシアは何か思い当たる節があったのか、パッと神瑠を見る。
———昔、お婆さまが話してくれていた。お母様がジェヘラルトから嫁いで来られる際、とても良い香りがする棒?を持って来られたのだとか。それを、クリミナード人に合うように、キャンドルにアレンジしたものを、アロマと呼ぶようになったのだとか。
クリミナードの民たちもお母様が作ったアロマをとてもよく気に入り、よく使っていた…。その香りと炎のゆらめきが人々の心をたちまち癒してしまうから、と。
今ではその技術は国の方々に広がり、お母さまが亡き後も、クリミナードでは変わらず優しい香りが民の心を癒し続けている…。
「あの、降魔…とは、妖怪?を退治するためのもの、でしょうか?」
シンシアの問いに神瑠は一つ頷く。
「
「…っ、」
その問いには、シンシアはそっと目を伏せる。
彼女は生まれてこの方、“ 妖魔 ” という類には遭遇したことがなかったのだ。もちろん全く存在しないわけではないので、その類の話は聞きこそすれ、それだけだった。
実はクリミナードでは、癒しや浄化の力に優れた
———シンシアの煮え切らない反応に少し首をかしげた神瑠だったが、そのまま話を続けた。
「クリミナードではどうかは知らないが、この国にはまだまだ妖魔が根強く生息していてね。
貴女が触れてしまったアレは、それの初期の姿だ」
さり気なくサラッとぶっ込まれた事実に、シンシアはその言葉に小さく一つ息を呑む。
あんなに綺麗なものが、実はそんな恐ろしいものの根源の姿だったとは、想像もつかなかったのだ。
「その妖魔退治に一躍買っているのが桜様のお香だ。私たち人間にはとても良い香りだが、妖魔にはキツいらしく、香を焚いていると妖魔はそこへは近づけない」
「…そうなのですか」
シンシアは目をしばたかせる。
自分たちクリミナードの民は今まで香りを楽しむだけだったが、それに秘められた、本来の使い方をしていなかったのだと改めて気付かされるのだった。
「貴女は妖魔がどうやって生まれるか、その仕組みをご存知か?」
その問いにシンシアは首を横に振る。
「この世に存在する、または存在した全ての、
憎しみの念だ———」
神瑠がそう言って力なく笑う顔から、シンシアは目を離せなかった。
「妖魔はそれの寄せ集め、いわば怨念というヤツが形を成したもの。
情けない話だが、そのツケが妖魔と化して、今、こうして人々を苦しめている」
その言葉に、シンシアはそっと目を伏せる。
それはつまり、今の
そしてその犠牲を、この国は今この時も世界中のどこかしらで現在進行形で増やし続けている…。
【陰の帝国】という二つ名を持つこの国は、世界中に諜報員や刺客を配しており、他国の情報収集はもとより、大小問わず様々な汚れ仕事を一身に担ってきた。
敵味方関係なく、世界中の要人が、地位や権力欲しさにジェヘラルトのそれらを使う。もちろん帝国への忠義も欠かさず、そちらにも適切に尻尾を振っている。
そんな、世界中のありとあらゆる機密情報の宝庫とも言えるこの国には、もはや誰も逆らえない域にまで達しようとしていた。
いずれは帝国をも内側から喰い潰して掌握してしまうのであろうと、各国から密かに囁かれている———。
「特に怖いのが目に見えない存在の憎しみだ。
ことの発端は1000年ほど前に起きた、“ 精霊狩りの悲劇 ” 。
帝国が中心となって犯した愚行だが、あれに一番加担したのは他でもない、ジェヘラルトだ」
「そんな———っ、」
ハッとシンシアが顔を上げるのと同時に、その耳に付けている耳飾りもキラリと煌めく。
「精霊たちの怨念はヒトのそれよりさらに厄介でな。貴女も知っての通り、ヤツらは少なからず加護を持っているから、なかなか手強い。
人間なんかが決して踏み込んではいけない領域まで支配しようとするから、こんなことになる…」
「…っ、」
苦笑いの神瑠の顔を、シンシアは心苦しく見つめていた。
クリミナードの歴史書には精霊狩りについてそれほど大きくは取り沙汰されてはいない。
ただ、【精霊狩りで精霊は滅んだ】、そう記されているだけだ。
我が国ではあまり触れることがないからなのか、それとも———。
シンシアは胸元の笛がある辺りをそっと握る。その手は若干震えていた。
「先の王たちが犯した過ちは、決して、なかったことにはできない。———そして今は、当時大量虐殺され怨霊と化した精霊たち、我々は妖魔と呼んでいるが、それらから、桜様のお香がこの国の民を守っている。
もともと
「公王様が、お母さまの後を…」
そう呟きながら、シンシアはどこか口角が上がっていた。
母が人々を日々救っているのだと思うと、とても誇らしく感じるのだった。
二人はそんな話をしながら、次の目的地へ向かうため店を出たのだった。
♢
「桜様のお墓がある場所なんだが、先ほど言っていたあの寺の敷地内で…」
と、神瑠は薬師如来が祀ってあるという寺院の方を指差す。
「…っ、」
それを聞いて、シンシアはハッとあることが頭の中をよぎった。
先ほど人混みから連れ出してくれたレイはあの寺院に身を寄せていると言っていたのだ。
もう一度会えるだろうか———?
シンシアは不安半分期待半分で神瑠についていくのだった。
「寺院とは一体どういう所なのでしょうか?」
「神に祈りを捧げる場だよ。立派な仏像がいらっしゃって、それに向かって手を合わせて深々とお辞儀を———。そうだな、貴女方には、教会、とか、礼拝堂、と言った方がわかるのだろうか?」
「…あぁ!なるほど。なんとなく理解しました!」
やっと腑に落ちたのか、シンシアは神瑠の言葉にうんうん頷く。
「そういえば、ジェヘラルトには
「…考え方や文化の違いだろう。ジェヘラルトは
「やお、よろず…?」
初めて聞く言葉にシンシアは首をかしげると、数えきれないほどたくさん、という意味だと神瑠はそっと補足してやる。
つまり、地水火風の神以外に数多存在する精霊たちも、この国では余すことなく全て神とされているということだ。
「特に自然災害や不漁不作とか、流行病といった、この世に起きうる、人間の力ではどうにもならない悪しきもろもろは全て、目に見えないモノの、つまりは神の御業だと、この国ではそういうことにしている」
と、どこか嘲るように、ハッと吐き捨てる神瑠をそっと見上げるシンシア。
「公女殿下という立場におられる貴女なら、私が言わんとしていることは、何となく察しはつくだろう?」
その言葉に、シンシアはなんとも複雑な表情を浮かべた。
つまりはこういうことだ。
そうでもしないと民たちの怒りや苦しみ、悲しみ、不満をぶつける矛先が “ 自分たち ” 、つまりは皇家や王家、公爵家といった国を納める側の者たちに向けられることとなる、そう言っているのだろう。
だが、だからこそ、“ 自分たち ” の血筋は、代々神々より “ 魔力 ” を平民よりも多く与えられているのも確かだ。
それによって神や精霊と契約が可能となり、それらの力を借りて国を納める手助けをしてもらっているのだから。
“ 祝福や加護を正しく使うこと ”
それが、力を多く授かった者たちの務め。
神や、目に見えないモノたちとの “ 約束 ” 、なのだと。
「人はどうにもならないことを、心の安定を図るためにも、“ 誰かのせい ” にしたがるものだ。
そのためにも、神とはなんとも都合がいい存在だ」
「…都合が、いい?」
「己が願いが叶えば御の字。叶わなくとも、全ては神を言い訳にできるからな
ほんと、勝手だろう?人間ってやつは」
そうやってやり過ごすしかないんだと、どこか呆れたように話す神瑠に、シンシアはふと思ったことがあった。
———そうか、この人も、
人間のことが嫌いなんだ…。
ボーッと彼を見ながら、心の中でそう呟いていた。
そうこう話している間に、二人は薬師如来が祀られる大きな寺院に辿り着いたのだった。
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