第48話ー初めてのお出かけー

 翌日、エリオットはシンシアに外套を着せて、2人で街へ繰り出そうとしていた。


「護衛を付けないだと?!」


 おいおい、またかよ…と、フィーゼが思わず声を上げる。無理もない。当然自分も同行すると思っていたのだから。


「おじょ———、主?公子殿下と2人きりの時、貴女がどんな目にあったのか、まさかもう忘れたとか言わないよな?」


「っ、大丈夫だよ、フィーゼ。少しだけだから」


 シンシアの言葉に、立場上グッと色々な言葉を呑み込まざるを得ないフィーゼ。


「心配するな。何かあったら私が必ずシンシア殿をお守りする」


 すかさずフォローを入れるエリオットに、その言葉が一番信用できねぇんだよと険しい顔で目を逸らす従者。


「前科があるクセによくもぬけぬけと———」


 聞こえるか聞こえないかの声でボソッとぼやく彼を、ちょっと、とシンシアは慌てて制する。


「少しの間だけ。すぐ戻ってくるから。オミヤゲ?買ってくるからいい子で待ってて?」


 少し困ったように笑いながらも、覚えたての言葉をさりげなく使ってみせるその人に、いい子でってなんだよ、と口を尖らせるフィーゼ。


 楽しそうな顔しやがって。どうせ貴女は王都の街の様子が見たいだけ、だろ?それなら俺がいくらでも一緒に周ってやるのに…。


 どこか悔しそうに、フィーゼはその言葉を胸の内に仕方なく閉じ込めると、


「…なら、これを」


「っ?」


 きっと何かの役に立つだろうからと、自分の耳飾りを取って、シンシアに付けてやるのだった。


 その行為に、一緒に見送りに来ていた姉姫たちはキャッと一瞬声を上げて、そのままコショコショと小声で話し合う。


「引き止められないからって、アレ、お守りってことかしら?」


「あぁ見えてホント可愛いわね、従者くん。街で女の子たちがよく言ってる、ツンデレってやつ?」


「健気だわ。モノだけでも主のそばにいたいのね」


「神威も頑張らなくちゃ。本当に公女殿下を取られちゃう———」


 と、楽しそうにはしゃぐ彼女たちだったが、いい加減のところで、


「姉様方は少しお黙りください!」


 辟易とした表情でエリオットが言い放ち、彼女たちはクスクス微笑みながらも、は〜い、と、やっと口を閉じるのだった。


「いいの?フィーゼが付けてなくて」


だけだ。…だから必ず、貴女の手で俺にこれを返して。いいな?」


「…っ、」


 シンシアは少し心配そうに囁く従者に、ただコクリと頷く。その頬はほんわりと赤くなっていた。


 そんな2人のやり取りに、


「なんだか2人を見てると今生の別れみたいで可愛い〜。ただ街にデートに行くだけなのに」


「ダメよ、神矢、聞こえちゃう。今いいところなんだから」


 どうしても言葉が出てしまう姉姫たち。


 シンシアとフィーゼはお互い照れくさそうに慌てて顔を逸らし合い、ぎこちなく咳払いをする。


「今度はなくさないようにな?」


 コソッと耳元で囁いたフィーゼの言葉に、


「っ、うん、大丈夫。今度は溶けてなくならないように必ず肌身離さず持ってるね!」


 シンシアはそう言って微笑むのだった。


 そんな2人の会話が聞こえていたかのように、エリオットは気まずそうに肩をすくめると、


「そろそろ行こう、シンシア殿」


 そう言って先を歩き出すのだった。


 その後を慌ててシンシアも続く。


「ぁ、コラ、神威!ちゃんとエスコートして差し上げなさい!」


「ここでさり気なく手を繋ぐのが胸キュンポイントなのに。ホント照れ屋さんなんだから〜」


女人にょにんには三歩後ろを歩かせろっていうのは、もう時代遅れも甚だしいって、あれほど言って聞かせたのに、あの子ったら…」


 姉姫たちは口々にそう言いながら、フィーゼと一緒に二人の後ろ姿を見守るのだった。


 水路に浮かぶゴンドラに先に乗り込んでいたエリオットは、シンシアに手を差し伸べて、…足元、気をつけて、と、彼女を支えてやりながらゴンドラへと導く。


 ありがとうございます、と照れくさそうに小さく頭を下げるシンシア。


 さり気ないエリオットの優しさは、ちゃんと彼女には届いているようだった。


 そしてエリオットは船頭に合図を出し、2人は街へと向かったのだった。


 ゴンドラが王宮からトンネルを抜けて出ると、その先の光景にシンシアは思わず目を奪われる。


 暗闇が開けた先には沢山の露店が水路に沿って所狭しと並んでいる光景が広がっていた。


 二人の他にも何艘ものゴンドラが店の方に乗り付けて商品を売り買いしているのだ。


 シンシアは初めて見る景色に思わず、うわぁ…と声を漏らすのだった。


「ここの区域は果物や野菜、魚といった食べ物を多く売っている。奥に行くと、陸へ上がれる所があるから、少し歩きながら店を見て回ろう」


「…はい」


 エリオットの言葉に、先頭は路肩にゴンドラを付けて2人は陸地に上がった。


「ここまでご苦労だった。また同じ場所に迎えに来てくれ」


「かしこまりました、殿下」


 船頭はエリオットの言葉に深々と頭を下げて元来た水路を引き返していくのだった。


「…ふぅ。これでやっとだ」


「エリオット、様…?」


 エリオットは開放感に満ち溢れたように、ぐーっと伸びをする。


 とはいえ、騒ぎになるのを避けるため、外套を羽織り、フードは目ぶかに被る。


「シンシア殿…、」


「はい、エリオット様」


「ここからは、…その、2人っきりだし、“ あの名前 ” でいい」


「———っ、はい、“ 神瑠 ” 様」


 シンシアに名前を呼ばれて、エリオット改め、神瑠はどこか照れくさそうに、だがとても満足そうに、小さく笑ったように見えた。


「貴女のことも、ジェヘラルトこちらでの呼び方の方が、違和感なくて良いかも…」


「こちらでの呼び方、ですか?」


「例えば、…フォン、とか」


「ふ、ふぉ…?」


 一生懸命聞き取った発音を繰り返すシンシア。


「フフッ、フォ、ン。貴女の国では…、そう、風を指す言葉だ。クリミナードの守護神、イェティスは風の神だろう?」


 その言葉に、何秒か考えて、


「き、却下、です…」


 と遠慮がちに言葉にするシンシア。


「ぇ、却下?」


 なんで?と理解不能な顔を浮かべる神瑠。


「そんな大層な名前、おこがましいです!私なんかがイェティス様の名前を語るなんて」


「何を言う…。貴女は風の国のれっきとした姫君ではないか?」


 そんなことを気にするなんて…。むしろ誇るべきことでは?と、神瑠は複雑そうに彼女を見る。


「あの…、ユエ・ラ・シャンテ…って、」


 あれはどういう意味ですか?と、シンシアはふと、いつも彼からの手紙の最初と最後に必ずつく文言を思い出していた。


 ———嗚呼、そのことかと、神瑠は少し気まずそうに顔を背ける。心なしか、頬が赤く染まっていたように見えた。


「お城でお会いした時も、一番初めにそう言って声をかけてくださいましたよね?


 それに、手紙にもいつも書いてくださいますよね。文頭や、文末に付いてるので、挨拶の言葉とお見受けしていたのですが…。


 ジェヘラルトこちらの言葉、だけではないですよね?」


 と首をかしげるその人。


 ———だけではない?と、神瑠が聞き返すと、


「シャンテとは、クリミナードの言葉なので」


 と、シンシアは補足するのだった。


 その意味は、歌や、輝かしいものをいう時もあれば、大切なものや愛しいものも指す。


 そしてユエは、この国の言葉で “ 月 ” を指す言葉だということは調べ済みだ。


 つまり、


 ユエ・ラ・シャンテとは、


 ———我が愛しき白月よ———


 そういったことを意味するのでは?とシンシアは推察していたのだ。


「貴女が言うように、それは我が国、ジェヘラルトの言葉と、貴女の国、クリミナードの言葉を織り交ぜた造語だ」


 と、どこか遠い目をしながら答えた。


 そして、シャンテのシャは、詳しく言えばシュェという言葉の発音を潜ませている。


 わかるものにだけ伝わるように作った言葉。


 貴女の夫となるはずだったその人が、心より大切な人へ作った言葉だ。


 神瑠はフッと息だけ漏らした。


「———もしかして、神瑠様がお作りに?」


 と伺うように見てくる少女に、神瑠は、…んなわけっ、と小さく笑いながら手をクイクイと振る。


「私はそんなセンスに優れたわけではないよ。それは私のよく知るその人が、遠いクリミナードの地で咲く桜を形容した言葉だ」


「…クリミナードの、桜?」


 クリミナードに、桜の花はありませんが…と、シンシアは目を瞬かせる。


 その言葉に神瑠は、あぁ、そうだったな、と苦笑いで答えるだけだった。


「ユエは、我が国で言う月。月明かりに舞う桜は、まるで雪のように美しい…のだとか。桜吹雪という言葉もあるくらいだ」


 と言っても、我が国では雪は降らないのだが…と困ったように笑うその人。


「雪…」


 シンシアはそう口にしながら、ある人の面影を思い出していた。


「そしてラ・シャンテは、」


「我が国で、美しいものを指す言葉です」


「———そう。だからつまり、…そういうことだ」


 あやふやに言葉を紡ぐその人の頬は、やはりどこか赤らんでいた。


 つまりは、シンシアが思っていた訳し方で合っているということなのだろう。


 クリミナードとジェヘラルト、二つの国に通ずる者でないと、意味は図りかねる、そういうことだった。


「…では、ユエ、にするか?」


「あの、神瑠様、この国で “ 雪 ” とは、どう発音するのですか?」


 シンシアのまさかの発言に、神瑠は、えっ?と驚いた顔を見せたが、スッとまた平静に戻って答える。


「…シュェ、だが?」


「シュェ…。さっきの、ユエに似ているのですね」


「まぁ、少し、な」


「…私、シュェの方がいいです!」


 シンシアは笑顔でそう答えた。


 その名前でいたら、よりフィーゼが自分の近くで守ってくれている気になれる。そう思ってのことだった。


「っ、わかった。貴女がそれでいいなら、そうしよう」


 シンシアの言葉の意味がよくわからず神瑠はぶっきらぼうに頷く。


 互いの呼び方が決まったところで、二人は人が多く行き交う王都の街の中へと足を踏み入れるのだった。


「神瑠様、神瑠様、あれはなんですか?」


「あれは履き物屋だな」


 彼の服の裾をクイクイ引っ張って指差す、シンシアに、神瑠はどこか妹を思い出し、微笑ましく見つめる。


「あれは?」


「あれは反物屋。衣装を仕立てるんだ。後で立ち寄ってみるか」


「はい!———じゃあこれは?」


「…それはただの子犬だ。少し落ち着け」


 見るもの全てが真新しくて、あまりに子どものようにはしゃぐ彼女に、妹たちの顔が浮かぶ神瑠。


「じゃあじゃあ、あちらに見える大きくそびえ立つ建物は?」


 シンシアが指差したのは少し遠くに立つ五重塔で、てっぺんの相輪がちょこんと顔を覗かせている。


「あれは、寺、だな。あそこには確か、薬師如来様が祀ってあったはずだ」


「てら?…や…、にゃらい?」


「フフッ…、やくしにょらい。病気平癒や健康増進、幸福の実現を叶える仏様。…まぁ簡単に言えば病を治してくださる神様といったところか」


「…っ、クリミナードのイェティス風の神様のような神様が、ジェヘラルトにもいるのですか?」


 シンシアは目を輝かせながら神瑠を見上げると、彼はスッと目を逸らし、どこか複雑そうな表情で一つ頷く。


 そんな彼を気遣ってか、シンシアはさりげなく話題を変えるように、


「———これは、なんですか?」


 と、また別のものを指差して尋ねるのだった。


「あれは…、かんざし、というものだ。女子おなごが髪を整えるのに使う」


「カンザシ…??ヘアピンみたいなもの、でしょうか?」


 シンシアは自分の前髪に付けていたピンを取って神瑠に見せる。


クリミナード向こうにはこんな髪留めがあるのか…」


 神瑠は物珍しそうにそれを眺めると、少し寄ってみようか、と2人で出店に足を進めるのだった。


「それにしてもこのカンザシ?片方の端っこに小さなボールみたいなものが付いていて可愛らしいですね。そこに描かれた模様も…。これはお花?」


「蜻蛉玉だろう。…ぁ、これ、“ 桜 ”だ」


「え…?」


 神瑠が手に取ったのは薄桃色の蜻蛉玉に桜の花が描かれたかんざしだった。


「貴女のお母上の名前にもなっている花だ」


「うわぁ、綺麗…。先日姫君たちからいただいた折り紙?と同じですね」


 シンシアは神瑠からかんざしを渡されると、改めて繊細に描かれた桜をどこか愛おしそうによくよく見るのだった。


「…どうですかい? “ 奥様 ” にお一つ」


「っ———!?」


 店主の言葉に神瑠を振り返ったシンシアは慌てて、私たちはまだそんな関係では———!と口にしていた。


 その顔は一気に真っ赤に染まり上がっていくのが見えた神瑠は、彼女の “ まだ ”、という言葉が柔く引っかかるのだった。


「…そうだな。この店は “ 婚約者殿 ” の好みが数多揃っているようだ。いただこう」


 と店主に申し出た。


 あと、これと、そこのと、アレも良いな…、と、並んでいる商品のあれこれを次々に指差して伝えると、サクサクとお会計まですませてしまった。


「まいどあり〜」


 神瑠は店主から商品を受け取るやいなや何も言わずにそそくさと店を出て行ってしまう。


「あ、あの、ちょっ、神瑠様??」


 何が何だか頭の処理が追いつかないままにシンシアも店主に軽く一礼して慌てて彼を追いかけるのだった。…しかし、


「…あ、あれ?」


 往来は人、人、人で、入り乱れており、必死に神瑠について来ていただけのシンシアは自分がどっちの方向から来たのかわからなくなっていた。その上頼みの綱の神瑠も今や人混みに紛れ、もはやどこにいるのかさえわからないときた。


「神瑠、様…?」


 キョロキョロと辺りを見渡すがそれらしい人は見当たらない。


 ダメだ、完全に見失っちゃった…。どうしよう、このまま会えなかったら…、このまま宮殿に帰れなかったら…。


 フィーゼ———、


 シンシアは襲い来る不安の中で心の中で咄嗟に彼の名前を呼ぶのだった。



 ♢



 ———その頃宮殿では、妹姫たちの遊び相手になってやっていたフィーゼは、中庭で蹴鞠を習っている最中だった。



「———っ、お嬢?」



 どこかから名前を呼ばれた気がして突如動きを止めたその瞬間、神奈が蹴り上げた鞠が虚しくフィーゼの横をストンっと落ちて転がっていくのだった。


「あ、落っこっちゃった…。ちょっとお兄ちゃん、蹴鞠なんだから蹴り返さないと。さっきまであんなに上手だったのに」


「…お兄ちゃん、どうかしたの?」


 頬を膨らます神奈と、心配そうにフィーゼを見上げる美神。


「…っ、ぁ、いや、なんでもありません」


 妹姫たちに呼ばれて、ハッと現実に戻されるフィーゼは、なんだ?さっきの、と、ザワザワする胸の辺りに触れる。


 急にお嬢に呼ばれた気がしたが…。


 悪いことがなきゃいいが。あの公子殿下、お嬢に何かあったら今度こそ、ぶっ殺…、、ただじゃおかねーぞ?


 フィーゼはそんなことを思いながら、胸騒ぎを必死にやり過ごすことしかできなかったのだった。


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