第46話ー楽しすぎた晩餐ー

 罪を解かれたその足で、フィーゼが真っ先に向かったのはシンシアの部屋だった。


「お嬢、入るぞ〜」


「ぇ、フィーゼ?!」


 扉が開かれた瞬間、シンシアは戸惑いながらもパッと立ち上がり、そこにいる彼にそのまま駆け寄ろうとしたが、


「ちょっ!!待て待て待てお嬢、一旦落ち着け、な?」


 と、今回のこともあって、フィーゼは両手を前に、懸命にシンシアを止めるのだった。


「あんま俺には無闇に近づかない方がいい。また勘違いされたら堪ったもんじゃないだろう?」


「…っ、ごめんなさい、私、」


「あ、いや、元はといえば俺が酒に酔ってたのが悪いんだ。本当に、も、申し訳ございませんでした!」


「…ちょっ、フィーゼ、何して?!」


 フィーゼは先ほどのエリオットの時と同じように膝と両手を床につき深々とひれ伏したのだった。


「や、やめて、私にはそんなことしなくていい」


「いや、よくないだろ…。従者として職務怠慢だ。めっちゃ心配かけたし———」


「それなら私だって!フィーゼにいっぱい心配かけたもの。おあいこだよ」


 その言葉に、フィーゼはむずかゆそうに目を逸らす。


「———ったく、貴女はいつもそうやって俺を甘やかす」


「それもおあいこだよ」


「…っ、俺は別に、」


 はぁ、減らず口が上手くなりやがって、とため息混じりに再びフィーゼ。一体誰に似たんだか、とシンシアを見ると、彼女とばっちり目が合った。


 そのまま彼女がフワッと笑うものだから、つられて頬が緩んでしまう。


 それからフィーゼはシンシアの左耳に耳飾りがないことを改めて確認する。


「フィーゼ?」


 その視線に気づいたシンシアは首をかしげた。


「あ、いや、耳飾り、なくしたらしいな。殿から聞いたよ…」


「そ、そうだったの?!本当にごめんなさい…、私、なんとお詫びしたらよいか…、」


 シンシアは申し訳なさそうにフィーゼに深々と頭を下げる。


「よせって。俺なんかにいちいち頭を下げるなって、いつも言ってるだろう?


 それより、お嬢はいいことをしたんだろう?公子殿下、とても喜んでらした。久々にちゃんと妹と話せたって。妹の声が、はっきり聞こえたって」


「…でも、耳飾り、溶けてなくなっちゃったの。せっかくフィーゼが作ってくれたのに」


「気にすんな。妹と話せてよかった、なんて言われたら、もぅなんも言えんよ」


 そう言ってどこか遠い目をした彼からシンシアは目が離せなかった。


「魔力がない者が身に付けたからそうなっちまったってだけのこと。まさかお嬢以外のヤツがつける日がくるとは思わなかったから、俺はそれに驚いてるだけ」


「ごめんなさい。嫌だった、よね…?」


「まぁ、半分は———」


 シンシアは何か含みのあるフィーゼの言い方に、チクッと胸を痛めながら、そっと彼を見て、


「もう半分は…?」


 と恐る恐る尋ねるのだった。


 当の彼は少し間を開けて、



「———フッ、少し笑えた…」



 と、笑みを見せたのだった。


 言葉の意味を測りかねたその人は目をパチクリしている。


「いや、そんなこともあるんだな〜と思って…。


 お嬢は今まで自分から誰とも関わろうとしなかったから。


 相手が未来の旦那だからか?」


 フィーゼの言葉に、シンシアは、そ、そんなんじゃ…とパッと顔を背けるのだった。


 ただ、なんとかしてあげたいって思っただけ、とポツリと零す少女に、さすが慈悲の心をお持ちだ!とパチパチと手を叩く。


「ちょっ、馬鹿にしてる?」


「いんや?———俺が作ったものが誰かの役に立ったんならよかったよ」


「うん。ありがとう、フィーゼ。…そ、それで、ね、耳飾りなんだけど、また作れる?」


「こればっかりは俺にもわからん」


 シンシアはフィーゼの回答に、ぇ?!と彼を振り返る。


「そりゃ、作ることはできる。でも、あの耳飾りの力が再びそこに宿るかどうかは俺にはわからない」


 その言葉に、そっか…と俯く少女。


 あの耳飾りには、人間に聞こえるモノ以外も聞き取ることができる特別な力があった。それを可能にする音の精霊さんが、そこに宿った説が濃厚だっただけに、残念な思いが隠し切れない。


 目の前で俯く少女を見て、


 ———嗚呼、もぅ、そんな顔するなよ。


 と、先ほどの彼女のように、なんとかしてやりたい思いは溢れ出るものの、コレばっかりはどうにもできず、もどかしそうに前髪をギュッと握るフィーゼ。


「耳飾りの中にいた精霊さんは、もうどこかへ行ってしまったのかな?」


「さぁ。…でも、案外まだお嬢のすぐ近くにいたりしてな。アイツ、お嬢の言うことだけはちゃんと聞いてたから。気に入られてたみたいだし」


「本当?!まだそばにいてくれてるかな?」


 シンシアはハッと顔を上げて微かな希望を抱きながら周りをキョロキョロと見渡す。


「お嬢は魔力の塊みたいなもんだからな。いい意味でも悪い意味でも、色んなモンが寄ってくる。風の神に、その音の精霊だってそうだ」


「…フフッ、冬の精霊さんは?」


 シンシアは悪戯っ子の顔でニヤッと、いつもそばにいてくれる従者に問う。


「っ、あぁ、そうだよ、“ ソイツも ” だ」


 フィーゼはどこか悔しそうに口を尖らせる。


 ああ、もぅ、いちいち楽しそうに言うな。可愛いじゃねーか!このヤロウ。


 フィーゼは耳を赤く染めてシンシアから照れ臭そうに目を背けるのだった。


「———ま、とにかく、耳飾りは俺じゃない他のヤツからもらいな」


 その含みのある言い方に、他の誰かって?と少女は首をかしげる。


「…さぁ、明日にゃわかるだろ」


「明日?…なんで明日??」


 シンシアが問いただすものの、当のフィーゼは、さぁね〜、と、少しやるせなくはぐらかしながら、なかなか真意は答えず、いつしかシンシアは諦めてしまったのだった。



 ♢



 ———そして、本日催されるはずだったエリオットの誕生祭はやはり中止となり、食事はそれぞれの部屋でとることとなった。


 そのため女官たちがシンシアの部屋を訪れて、一通りの食事の準備をして去っていき、シンシアは席につくのだった。


「驚いた、食事までも別々とは。こちとら要人だぞ?この日のためにはるか世界のま反対から招かれたんだぞ?!」


 組んだ腕に指をトントンつきながら明らかに不機嫌な表情の従者に、


 ほらほら、怒らない、と、苦笑いの主。


「エリオット様、きっと気を利かせてくださったんだよ。私がちょっとでも緊張せず、安心して食べられるように」


 そんな彼女の言葉に、


 …気を利かせた、ねぇ?そんなことできるタマか?あの坊ちゃん、と、フィーゼはいまだ納得はしていないようだった。


「ほら、食べよ———、あれ?」


 突如シンシアがふと動きを止めるものだから、どうした?と従者は振り返る。



「フィーゼの分が、ない…」



 シンシアの目の前に用意されたテーブルには、明らかに一人では食べきれないほどに様々な料理が乗ったお皿が数多も用意されているものの、箸は一膳のみなのだ。


 その様子に動けなくなっているその人に、従者は一つ息をつきながら、そりゃ当然———と言いかけたその時、


「まさか、さっきのメイドさんたちにはフィーゼの姿が見えてな———」


 そんなこと言い出すものだから、ちょっ、落ち着いて?と慌ててその続きを遮った。


「大丈夫だ。魔力がない公子殿下にだって俺が見えてる。みんな見えてるよ。


 ただ、従者は普通、主と食事を共にしない。


 それだけだ」


「でも———」


 それでもまだ何か言いたげなシンシアを、俺のことは気にせず食べな?とフィーゼはゆっくり宥める。


「私、言ってくる。フィーゼの分も用意してくださいって。要人の従者に食事も出せないの?って」


 珍しく強気な発言なシンシアはサッと席を立つとそのまま部屋の入り口へと歩き出す姿に、おぃ待て待て!と従者はその服の裾を慌てて掴む。


「そんなこと言い出したら、またお嬢が変な目で見られるだろう?俺は気にしないから少し落ち着け」


 と制するのだった。


 他人ヒトに怒るなと言っておきながら、貴女はいいのか?


 そう思いながら、困ったように力なく笑う。だが、その顔は、なにか抗えないものに諦めたというよりも、どこかホッと柔らかいものだった。


「ほら、せっかくの飯が冷めちまう。俺のことは気にせず食べて?」


 シンシアは渋々頷いて再び席につき、ようやっと食事に手をつけ始めたのだった。


 うまいか?と、急須から湯呑みにお茶を注ぎながら尋ねるフィーゼに、


 …フィーゼのが美味しい。とボソッと答えるシンシア。


「っ、ハハッ、そりゃどうも」


 フィーゼは最高の殺し文句に思わず緩む頬を慌てて元に戻すのだった。


 よかった、今日はちゃんと食べてくれてる。昨日はなかなか手が動いてなかったから、ジェヘラルトこっちの食事は口に合わないんじゃないかと心配だったけど…。きっと、相当緊張してたんだろうな。今日のこれは、それを見てた公子殿下のご配慮、ってことにしておいてやるか。


 シンシアがいつものように食事を自分のペースで安心して食べ進める姿を見て、フィーゼはホッとしたように息をつくとともに、


「良いとこあんじゃん、アイツも…」


 ポツリとそう溢したのだった。


「そういや、ジェヘラルトこっちは生の魚を食べるんだな」


「うん。サシーミ?って言うらしいよ?


 …はい」


「は…?」


 シンシアは箸でマグロの刺身を取り、フィーゼの口の方に持っていくが、何をしてるんだ?と彼は目をパチクリさせている。


「食べたいんじゃないの?」


「んなっ?!」


 その行為にフィーゼは思わずたじろぐ。


「ほら、口開けて?」


 主の言葉に、目を泳がせながら静止してしまう従者。


 ぇ、え??こ、これって、人間たちで言う、“ あ〜んっ ” てヤツじゃ…。


 そう思った瞬間、心臓は途端に鼓動のスピードを上げていく。


 いや、待て待て待て待て、それがダメなんだって!ほんっと学習ってもんを知らんのか?この人は。


 って言っても絶対この人には伝わらないんだろう。彼女にとっては、食事の用意がない従者に分けてやってるって感覚しかないんだろうし…。


 あ〜、ここがジェヘラルトじゃなけりゃ———、、


 フィーゼは素直に主の厚意を受けることが許されない自分自身に苦悶していた。


「お、お嬢、い、いい加減に———」


 裏返る声など気づかないフリをして懸命に言葉を紡ぐフィーゼの前で、シンシアはそのまま刺身をパクっと自分の口に入れてしまった。


「ぇ…」


「ん〜、美味しい!!」


 目の前の主は、幸せそうにこの上ない微笑みを浮かべながら、ほっぺが落ちないように抑えている。その様子を口をぽかんと開けて眺める従者。


 ほんっと、幸せそうに食べるな〜、この人。マジでクソカワイ…、っ、じゃなく———、


 あー、クソっ!!ワザと?ワザとだろう?こんチクショウめ!!


 思わず目の前の可愛い生き物に見惚れてしまう自分を、頭を左右にブンブン振って慌てて現実に引き戻すフィーゼ。


「フフッ、“ あ〜ん ” ってしてもらえると思ったでしょう」


 シンシアのしてやったりの笑みに、コイツ〜!と、フィーゼの眉尻はピクピク動く。


「…あぁ、思ったよ。笑いたきゃ笑え」


 悔しそうに、そして恥ずかしそうに零す従者。


 ———てか何だ?その満足気な顔は。


 嗚呼、数秒前のちょっと期待したアホウを殴り飛ばしてやりたい…。


 フィーゼは恥ずかしそうにシンシアから顔を背けて、小さく背中の壁をガンッと殴り、やり場のないこの思いを逃そうと足掻くのだった。


「フフッ、一回やってみたかったんだよね、こういうの。あ〜んするとみせかせて、自分が食べるの!フフッ、見事に引っかかった!」


「ったく、笑い過ぎ!ガキかよ。仮にも貴女は公女殿下なんだぞ?こんなとこ公子殿下に見られたらどうすんだ?お下品な」


「アハハっ、いつもお下品な口調のフィーゼに怒られた!」


「あのなぁ…、」


「フフッ、今はクリミナードの外だから、別にいいの〜」


「いや外だからこそよろしくないだろ。クリミナード背負しょって立ってる立場の人間が何言って…」


「だって、ココにはフィーゼしかいない。だからいいのー!」


「それはそれは…」


 とため息混じりに相槌を打ちつつ、


 俺はお目付け役の数にも入ってないんかい!と思わず心の中でツッコむ従者。


 …にしても随分楽しそうだな〜。腹立つくらいに。しかもこれでシラフだなんて…。いつもこれくらいでいてくれると、俺も安心なんだが。いや、こんなに明るいと逆に心配か。


 久々に見た、子供みたいにはしゃぐ主を、従者はただただ可愛らしく眺めるのだった。


「…あぁ、ほら、付いてる」


「ふぇ??」


 ふと見たシンシアの口元にご飯粒が付いており、フィーゼはそっと指を伸ばして取ってやる。


「…っ、」


 それをジーッと見つめてきたシンシアに、フィーゼは首をかしげたが、フッと不的な笑みを浮かべてそのまま見せつけるようにご飯粒を食べた。


 その瞬間、彼女はスッと目を伏せたのだった。その頬は赤く染まっている。


 その様子を見てフィーゼはあることに気がついた。


 え、待って…、ついいつもの癖で———。


 っ!?…これじゃ俺の方が学習能力ゼロじゃねーか!


 フィーゼはふと我に帰り、心の中でそう叫ぶとともに、1人静かに激しく頭を抱えるのだった。

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