第42話ー母のカケラー
神瑠に導かれるままに椅子に腰掛けるシンシア。
彼はそのまま本棚へ向かい、何冊か見繕って彼女の手前の机にトサっと並べていく。
「これらは桜様、…貴女のお母上の愛読されていた書だったそうだ」
「…っ、お母様が?!」
“ 母 ”という言葉に、シンシアはピクッと反応する。
「貴女のお母上も、貴女と同じく読書が好きだったと聞いている。私の父上…、現公王陛下とも、よくここで一緒に読書を楽しまれていたとか」
神瑠の言葉に、シンシアは本の表紙を優しく撫でる。
神瑠はそっと、少女の隣に座った。
「…そしてこれが、貴女のお母上の写真だ」
「ぇ?」
神瑠がある本を開くと、栞のように挟まれたセピア色の小さな写真が一枚現れた。
「…この方が、お母様??」
「まだこちらにいらした時のものだから、相当年齢は幼いが…」
「…っ、」
そこにはクリミナードに嫁ぐ数年前のシンシアの母親の姿が映し出されていた。写真の中のその人は、現ジェヘラルト公王と楽しそうに笑い合っている。
「っ…」
シンシアは当てもなく懸命に探していた人にやっと出会えた感覚になり、不覚にも涙腺が緩む。
「そういえば、母は公王様ととても仲良しで、よくこのお城にも遊びにいらしてたって、昨日、着替えを手伝ってくださったメイドの方から聞きました」
「あぁ。私もある人に聞いただけだが、明るくて誰に対しても分け隔てなく、とてもお優しい方だったそうだよ」
神瑠の言葉に、シンシアはそっと一つ息をつく。
明るくて…、か。ホント、私とは真反対の人だったんだろうな。私は、誰ともうまく話すらできない…。
そんなことを思いながらどこか口惜しそうに目を伏せる。
「フフッ、目元なんてほら、今の貴女にそっくりだ」
「っ———」
神瑠は楽しそうに写真とシンシアとを交互に見ていると、
シンシアの目からポタリポタリとこぼれ落ちた雫が、次第に本の文字を滲ませていく。
「ぇ、シンシア、殿…??」
「…ぁ、ご、ごめんなさい、本が濡れちゃ———」
「そんなことは気にしないで、コレを」
神瑠はそっと彼女にハンカチを差し出してやるのだった。
「やはり、お母上の話はしない方が———」
「違っ…、」
渡されたそれで涙を拭うと、シンシアは首を横に振った。
「私、お母様のこと、本当に何も知らないから。…もっと知りたいです」
そんな言葉を言い放った彼女を、神瑠は真っ直ぐ見られないでいた。
「辛くはないのか?誰かの生き様を辿るというのは」
「ぇ…?」
「その人の面影を、ひたすらに追い続けるというのは…」
「神瑠、さま…?」
どこか苦しそうに言葉を紡ぐその人を、シンシアはそっと見つめる。
…どうしてそんなお顔?一体、誰のことを話されているのだろうか?
彼の言葉に別の意味を感じたシンシアは、彼を心配そうに見つめるしかできないでいた。
「一体、どうなされ———」
「いや、なんでもない。…実はこれは、貴女のお母様の日記なんだ」
シンシアの言葉を遮って、神瑠は何事もなかったように話し出す。
「父上やご家族のこと、日常の些細な出来事を、こと細やかに記されている。父上が大事にココに保管されていたんだ。娘の貴女なら、きっと読んでも大丈夫だろう」
神瑠の言葉を聞いて、少し躊躇いながらもそっとページをめくっていくシンシア。
「これがお母様の字、なのですね…」
そう言った彼女の顔は、涙も止まり穏やかなものになっていた。
とても繊細な、丁寧で綺麗な字だ。きっとジェヘラルトだけで使っている文字。だめだ、私じゃ読めない…。
少し寂しそうに本の中身をボーッと眺めるしかできないシンシア。
「…書いてあること、わかるか?」
伺うように零された言葉に、シンシアは困ったように笑って首を横に振る。
恥ずかしながら、私はまだジェヘラルトの文字を勉強中でして…と力なく笑うシンシアに、
神瑠は内心ドキッとしながら、それなら、と、頭の中に思いついた言葉をゆっくりと言葉にしていく。
神瑠は少し震える声で、
「…わ、私が、読もう、か?」
と、精一杯、シンシアに言葉を紡ぐのだった。
「よろしいのですか?ご迷惑では?」
「まさか!…貴女が、嫌じゃ、なければ」
「っ…、で、では、よろしくお願いします」
いつのまにかお互いの頬はほんのり赤く染まっていた。
そんな2人の耳には、雨が窓と屋根を優しく打ちつける音だけが心地よく響いていた。
神瑠はシンシアから母親の日記をそっと受け取ると、シンシアが裏表紙だと思っていた方からページをめくりだす。
その行為を不思議そうに見やる彼女に、
「この国の書物は縦に、右から左へ読むんだ」
と補足してやるのだった。
「…っ、そんな読み方ができるのですか?!」
シンシアは思わず目を丸くする。
文字を縦に読むだなんて、そんな発想、今までなかった…と、神瑠の次の行為を心待ちにするのだった。
———国が違うだけで、こんなにも違うなんて…。まぁ、西と東、違って当然だろうけど。お母様はそんな数多くの違いをも乗り越えて、クリミナードに嫁いで来たんだ…。
シンシアは静かに、一重に母の多大なる努力や覚悟に思いを馳せ、その偉大さに感服していた。
それから、神瑠の隣で、不思議そうに暗号のように並べられた、見慣れない文字を眺めるのだった。
日記には、この城で過ごした数多くの日々の記録が記されていた。現公王のこと、彼が妃を娶り、子を成したこと。子どもたちをその腕に抱いた時、クリミナードに嫁ぐ決心がついたこと。それから、のちの夫となる、シンシアの父、クリミナード公子、現公王のこと…。それらに関する繊細な胸の内までもが記されていた。
「…私から言い出しておいてなんだが、これはあまり口に出して読まない方がいいかもしれない」
神瑠は先に内容にサラッと目を通してポツリと呟いた。
さすがに悪い気がしてきた。他人の恋心を声に出して読み上げるなんて…。読んでるこっちもなんか恥ずかしいし…。
神瑠は気まずそうに日記を閉じようとした。
しかし、
「っ、聞かせてください。お母様がお父様のこと、どう思っていたのか、知りたい、です」
シンシアの意外と積極的な言葉に押されて、
…っ、わ、わかった。と、神瑠は再び書を開くのだった。
神瑠の声で読み解かれていく母の心。
シンシアは一つ一つを丁寧に拾い上げては、自分の胸の内に落とし込むのだった。
「…そして明日、私はジェヘラルトからクリミナードへ発つ。
私は風波 桜から、キルシュ・ラミ・クリミナードとなるのだ。
初恋だったあの人の元へ、ラント・ウォルン・ルシャナ・クリミナードの元へ、やっと行くことができる。
誰かに聞こえてしまうほどに高鳴る鼓動を、私は抑えるすべがわからない。明日からの輝かしい日々を思うと、頬が緩んで仕方がない。
今の私を見たら、彼はなんと言うだろうか。どんな表情を浮かべるだろうか。彼の心も私と同じであることを願うばかりだ。
いつか私たちも、
男の子、女の子、…元気に生まれてきてくれるならどちらでも良い。
嗚呼、早く会いたい。
早く私たちに会いにきてくれますように…。
ユエ・ラ・シュェンテ。
…これで終わりだ」
神瑠は静かに日記を閉じた。
「…っ。」
シンシアの目からは再び涙が溢れ落ちていた。
「———貴女は愛されてはいけない人間だと、そう言っていたな?」
「…ぇ、」
シンシアは神瑠の言葉にそっと顔を上げる。
「すまない。盗み聞きするつもりはなかったんだが、昨日、貴女を部屋に迎えに行った時、従者と話しているのが、ちょっとばかし聞こえてしまって…」
「…っ、そ、そぅ、ですか」
シンシアは冷静に返しながらもその顔は途端に赤く染まっていく。
えぇ!?嘘っ、聞かれていたの??どうしよう、恥ずかし過ぎて死んじゃう…。
シンシアはサッと顔を手で覆う。
「少なくとも私は、貴女はそんな人間ではないと思う」
彼の意外な言葉に、シンシアは顔を見れないままピクッと反応だけ示す。
「さっきのお母上の日記にもあったろう?貴女はちゃんと祝福されながら生まれてきた…。貴女はちゃんと、愛されて———」
「それでは、いけないのです…」
「っ、シンシア殿?」
シンシアはゆっくりと顔を覆った手をどけて、俯いたまま、続ける。
「私が生まれたせいで、お母様は亡くなりました。
私と一緒にいたせいで、お婆様も亡くなりました。
私と関わった人たちは、みんないなくなってしまう…。
だから、そうなる前に私が———」
「いなくなった方が良いとでも言いたいのか?」
「…っ、」
まさか神瑠からそんな言葉が飛び出すとは思わなくて、シンシアはゆっくり顔を上げる。
「なんでそんな愚かな発想しかできない?」
神瑠は苦しそうな表情でシンシアを見た。
「これは貴女に聞くべきか迷った。私の予想が当たっていたらと思うと、恐ろしくて口にするのもはばかられたからだ。
けど———」
神瑠はそう言って一度口を閉じたが、躊躇いながらも再び重たい口を開く。
「答えてくれ、シンシア殿。昨夜、本当にアレを目にして、何も感じなかったか?」
その言葉に、…ぇ?と声を漏らすシンシア。
「貴女のことはよく知っていると言っただろう?他に類を見ない相当な魔力の持ち主だそうだな。そんな貴女だ。アレは、少なくとも良いものとは思わなかったんじゃないか?」
「…っ、」
シンシアは何も答えずにあからさまに神瑠から目を逸らす。
「なのになぜ触れた?アレに触れたらどうなるか、貴女にはわかっていたんじゃないのか?」
「何を言って———」
私に何を言わせたいの?と、シンシアは不安げな表情を浮かべた。だが、神瑠はそのまま続ける。
「あわよくば、自分が死ねると思ったんじゃないか?
望み通り、いなくなれると」
「っ———!?」
シンシアはパッと神瑠を見る。
「…貴女には決してわからないだろうな。急にいなくなられた者の気持ちなんて」
「…っ、」
神瑠、様…?とシンシアは目の前で苦しそうに俯く彼を、そっと伺い見る。
その言い方ではまるで、大切な誰かが急にいなくなったことがあるかのように聞こえてしまったのだ。
「なぁ、シンシア殿、頼むから違うと言ってくれ。
昨夜貴女はアレから私を庇ってくれたのだろう?自分がどうなろうとも構わずに。
あれは、貴女の過ぎた優しさだったのだろう?」
「…っ、」
神瑠に迫られ、下を向いて苦しそうにキュッと唇を一文字に閉じるシンシア。
それからそ一つ息をつくと、スッと顔を上げて口を開いた。
「———えぇ、違いますよ、神瑠様。まさか本気になさったんですか?
フフッ、全てあなたがおっしゃる通りです。あの時はとにかくあなたを守ることに必死で…、考えるよりも先に身体が動いてしまっていただけです。まさか、本当にあるんですね、そんなこと。本の中の世界だけかと思っていました」
「っ…、」
シンシアの言葉は、自分がそう話してほしいと思う内容だった。
だが、ふと、彼女の方を見ると。
———これで満足ですか?と付け足されてもおかしくない、まさに言わされてる感しかない、複雑な表情をしていた。
言わせたのは自分のはずなのに、神瑠は一瞬の内に後悔してしまった。ただ、居た堪れなくなっただけだったのだ。
なぜならその人は、第三者の目から見ればどこまでも穏やかな笑みを浮かべていたからだ。
それを今の自分から見れば、どこか恐ろしさすら感じてしまう。自分のことを全て受け入れてくれているようで、全てを拒絶されているような…。これ以上は余計なことを口にするな。私もここまで譲歩したのだから、いい加減お前も手を引け。そう言われているかのように思えてならないのだ。
「…悪かった、思ってもないことを言わせて。そんな顔をさせてしまって」
「っ…、」
その時だった。
「———っ!!」
「…ぇ、」
シンシアと神瑠との間に突然、とある人物が割って入ったのだった。
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