第38話ーおかえりなさいー

【お嬢様、お嬢様…?そろそろお目覚めください】


 微睡の中、誰かがシンシアを呼ぶ声が聞こえる。なかなか起きない彼女を心配して、部屋までお越しに来てくれたようだ。


 わかってる。今すぐ起きるから、そんな哀しそうな声で呼ばないで…?


 心の中で訴えるが、今の自分は目も開かなければ声も出ない。それだけ疲れているのだろうか。こんなこと本当に珍しいことだ。


【まだ眠いですか?昨日は本当に大変でしたものね】


 優しい声。他の何よりも安心できる。心なしか、頭を撫でられている気がする。


 ———そうだよ?ボク、いっぱいいっぱい頑張ったんだから。少しは褒めてくれるかな?


 声が出ないこの状況で、心の中で問いかけてみる。


【もちろんです!貴女様がいつも懸命にご自分を奮い立たせて、果敢に立ち向かわれていること、貴女の一番近くにいる僕が誰よりも知っています】


 そんな返事が聞こえてきて、なぜだろう?小さく笑みが溢れた。


【だからお嬢様、早く起きてください?早く貴女様を抱きしめさせてください】


 その言葉の後に、シンシアは目を閉じていながらも外の眩しさを感じていた。


【ほら、わかりますか?朝日です。皆が貴女様のお目覚めを待っていますよ】



“ 朝日が昇る ”



 その言葉は今でもあまり好きじゃない言葉だ。



 朝日はあの人を連れて行ってしまうから…。



【…ょう様、…さま———】


 その声は自分に語りかけるごとに、だんだんと遠のいていくのもわかっていた。


 嗚呼、まただ。また、あなたは朝日とともに———。



 っ、待って、今起きるから、だから…、



“ 行かないで ” ———!!



 シンシアは必死に叫んでいた。


「待って、キ———、」


 気付けばシンシアはパッと目を開けて天井に向かって懸命に手を伸ばしていた。


 荒い呼吸を必死に整えようと努める。


 ———あれ、私、誰の名前を呼ぼうとしていたんだろう?


 シンシアは乱れた呼吸を必死に整えながら、虚しく宙を彷徨う手を、力なく下ろしてゆっくりと上半身を起こすのだった。


 とても大切な人の名前なのは確かなのに、うまく言葉にできない…。


 その頬には汗なのかなんなのか、一筋の温かいものが伝っている。


 気がつくと、まだ薄暗い部屋の窓からは木漏れ日が差し込んでおり、朝が来たことを音もなく告げていた。


 その後、…んん、、と、シンシアの方に身体を預けて眠っていたフィーゼが目をこすりながらムクッと起き上がった。


「お嬢…?」


「———っ、フィ、ーゼ…?」


 それは一瞬だった。


 シンシアは今はもうフィーゼの腕の中にキュッと収まっていた。


【———早く起きて?早く貴女様を抱きしめさせてください】


 まるでさっきの声の通りだ。あの声がフィーゼでないことは確かなのだが…。


 ふと彼を見ると、その耳にはターコイズブルーの耳飾りが煌めいていた。


 …そうか。あの世界からココまでの道を繋いでくれていたのは、“アナタ”だったの。


 ありがとう。おかげで迷わず帰って来られたよ。


 シンシアの心の声に呼応するように、彼女のベッドの傍に置かれていた、コバルトブルーの方の耳飾りも一つ煌めくのだった。


「おはよう、フィーゼ」


「…っ、いつまで寝てんだよ、バカ」


 シンシアはごめんごめんと、彼の背中にぽんぽん、と優しく手を添える。


 どうやら自分にとっても、彼にとっても、長い長い夜となってしまったようだ。


 そういえば、昨夜は食事のあと、エリオット様と夜の庭を散策していたはずだが、どうしてベッドに横たわって———?


 記憶を巡らせてみるが、途切れ途切れではっきりとはよく思い出せない。


 とても長い夢を見ていた気がする。その内容はよく覚えていないが…。


 とりあえず、何かあったことだけは確かなのだろう。彼がこんなふうになっているのがその証拠だ。


「フィーゼ…?」


 そろそろ放してほしいのだけど…、とも思ったが、心配かけたしな…と、彼の好きにさせてやることにした。


 とはいえ、身体の寒気はウソのようになくなったことにホッと息をつく。


 そしてふと、頭の中に声がぎる



【君を待つ人の元へ帰りなさい】



 ———私は、ココだったんだね、フィーゼ。あなたがいてくれるから、私は迷わず還ってこられたよ。


 ただいま、フィーゼ。


 今となってはもはや誰がそんな言葉をかけたのかもわからなくなってしまったが、シンシアはその声に、耳飾りに、そして心配性が過ぎる従者にそっと感謝するのだった。


「———もぅ、大丈夫、…な、わけないよな」


 ごめん、とフィーゼは呟くと、そっと身体を離した。


「ううん、もう大丈———」


「本当にごめん!俺、また何もできなくて、」


 フィーゼは口惜しそうに深々と頭を下げる。


 ———また、まただ。俺はまた貴女を命の危険に晒してしまった。こんな立て続けに二度までも。マジで何やってんだ、俺…!


 そう思いながら握りしめる拳からは密かに赤いものが滲み出ている。


【全く、なにが冬の精霊アウスジェルダ最強だ?聞いて呆れる】


【それでもこの子の従者か?!】



【———お前、一体何がしたいんだ?】



 頭の中で鳴り響く、自分を攻め立てる容赦のない言葉たちに、フィーゼはただうなだれるだけで動けないでいた。


「あの時無理矢理にでも姫さんたちを振り切って、貴女について行くべきだった」


「フィーゼ、あのね、」


「全部俺のせいだ!ごめん、本当に、ごめんなさ———」


「フィーゼ!」


「…っ、」


 シンシアの呼びかけに、矢継ぎ早に放たれるばかりだったフィーゼの言葉がやっと止まった。


「…お願い、こっちを見て?」


 その言葉にやっとのことで顔を上げた従者の顔は、とても見るに耐えない顔をしていた。


 よほど心配をかけたことが伺えた。


「大丈夫だから、少し落ち着いて?」


 シンシアの穏やかで柔らかい口調は、フィーゼをゆっくりと我に帰らせていく。


「…ごめんね、フィーゼ。また怖い思い、させちゃったね」


 シンシアは言葉をかけながらゆっくりと彼の顔に手を伸ばす。


「お嬢…?」


「フフッ、やっぱりついてた」


 主人の小さい手はそのまま自分の右耳の耳飾りを触れていた。


のおかげで、私は迷わず帰ってこられたよ」


「っ?!」


 その言葉とともに、主と従者のそれぞれの耳飾りはひとつ煌めいた。



「ありがとう、フィーゼ。道をつないでくれて」



「———当然だろう?俺はあなたの従者なのだから」


 皮肉で言ったつもりの言葉だったが、フフッ、そうだね、と涼しい顔で交わされてしまった。…いや、きっと、皮肉ということにもこの人は気づいていない、のだろうと思う。


「…なぁ、お嬢?」


 突然呼ばれて、ん?と首をかしげるシンシア。


「…れ、ても、いい?」


「ぇ…?」


 今にも消え入りそうなか細い声が、シンシアの鼓膜を震わせる。


「貴女、に…、触れても、いい?」


 躊躇いがちに放たれた弱々しい言葉がスーッと空気に溶けていく。


 シンシアは一つ息をついた。


 なんでわざわざ聞くかな。ってか、さっき思いっきり抱きしめて———、まぁ、それはひとまず置いておくにしても、そもそも普段そんなこと絶対言わないくせに…。


 いつもと勝手が違う彼に、反応に戸惑ってしまう。


 ———どうやら、皮肉よりも素直な方が、彼女には一番伝わりやすいようだ。


 だが、彼女もここ数ヶ月で、一筋縄ではいかないくらいまでには成長していたようで…。



「…公子殿下には、触れるなって、言ったのに?」



 そう言っていたずらっ子のように笑うのだった。従者は初めこそビクッと一つ反応するも、目の前の可愛いらしい顔に、思わず惹きつけられてしまう。


 だが、彼女が口走ったセリフを聞き逃さなかったわけじゃない。


「なんで、貴女がそのことを———」


 眠っていたはずだろう?と、首をかしげる従者に、


「それものおかげ、かな」


 と、右耳のそれを指でなでながら、なおも笑顔で答えるその人。


「ったく、厄介なモンこさえちまったもんだ」


 従者は永く深い息を吐きながらその言葉を吐き捨てたのだった。だが、さすがにもう壊すとは言わない。


 そんな時だった。


「———おいで?」


 意を決したシンシアは、フィーゼに向かって両手を広げて見せた。もちろん冷静に考えたらこんな小っ恥ずかしいこと、とてもじゃないができやしない。だが、今は———、そんな自分がいてもいいと思ったのだ。


 この人の心を護ることも、わたしの役目だと。


 フィーゼは何も言わずに、シンシアの腕の中にスッポリと収まる。こういう時ばっかりは素直に従ってくるこの人はなんか可愛い。


「…お嬢、あったかぃ」


「…っ、」


 ポツリとそんなフィーゼの声が聞こえた気がして、一瞬止まるシンシア。


 彼の声はどこか嬉しそうで、どこか満足そうだ。


 主にその身を全て委ねきった精霊は、騎士なら絶対当てはまってはいけない、無防備そのものだった。


 シンシアはガードを解いた従者の頭に手を伸ばそうとすると、待って、と阻止される。


「…貴女は、聞かねぇの?」


 フィーゼはそっと目線だけを上げて目の前のシンシアを見据えた。


「貴女は俺に触れていいのか、聞かねぇの?


 …俺は、聞いた、のに」


「っ———、」


 腕の中にすっぽりおさまる彼の言葉に思わず耳を疑うシンシア。


 え?ちょっと待って。ちょっと前まで “ こんな国潰せる ” …的なことを平然とのたまわっていた人だよね?この人。


 心を落ち着けるため、大きく深呼吸をしたシンシアは、少し間を置いてからそっと口を開いた。


「…いいの、私は聞かなくて」



「なんで?」



「だって、フィーゼは、でしょ?」



「っ———?!」


 シンシアが照れ臭そうに零したその一言は、フィーゼにとっても予想以上の破壊力だったらしく、


 思わずほうける彼に、


「———あ、いや、違う、私の従者だからって意味だから!」


 と慌てて付け加えるのだった。


 それでも、いてもたってもいられなくなったフィーゼが改めて見たその人は、顔から火が出そうな程に真っ赤になっていた。そんな顔を見てしまったものだから、


 か、かわいぃ———。


 という心の声が思わず口からこぼれ落ちないようにフィーゼは必死に耐え忍ぶのだった。


 そんな何も言わない従者に、


「っ…、だ、だから、触ってもいいの?いいよね?嫌だって言っても触っちゃうからね?!」


 もぅ、知らないんだから!と、シンシアは半ばヤケクソに、フィーゼの答えも聞かずに彼の頭をワシャワシャと撫で回すのだった。


「ちょっ、コラ、まだ何も言ってないのに…、フフッ、お嬢ってば、やめろって、」


 半ば強引に髪の毛をかき乱され初めは少し抵抗していた従者だったが、いつしかそれもやめてしまった。


 ———嗚呼、フフッ、なんだろう、この暖かくて、どこかくすぐったいような気持ちは。


 優しい主の手に、目を細める従者。



「ダメだ俺、今めっちゃ幸せ過ぎる…」



 思わず言葉が彼の意思とは関係なく、口からこぼれ落ちていた。


 従者は慌てて口を手で抑える。


 主を何度も死なせかけといて、従者の自分がこんなこと思ってはいけないのに———。


 その時だった。


「フィーゼ…??」


 今まで懸命に抑えていたものがぶわっと込み上げてくるフィーゼは、咄嗟にシンシアから顔を隠すように俯いた。


 そんな彼の膝にポタッ、ポタッと水溜りができていく。


 小さく鼻をすする音がシンシアの耳を掠めた。


 朝日は昇ったとはいえ、そこはジェヘラルト。空は雲が覆い、相変わらず雨が降り注ぐこの国。屋根や窓を打ちつける音だけが今の2人を包み込んでいた。


「フィー、ゼ…?」


 シンシアは不安そうに彼の様子を伺う。その姿にフィーゼは慌てて顔を背け、懸命に服の裾で目元をゴシゴシと擦り出した。


「よかった、目覚めてくれて。



 ———おかえりなさい、お嬢」



「…っ、うん」


 懸命に言葉を紡ぐその人に、少女はそっと頷くのだった。


 そんな彼女の腕の中で、従者は小さく息をつく。


 ———そうだ、俺、嬉しかったんだ。お嬢がこうして生きていてくれて。


 …神頼みってのも、時には悪くない、のかもな。まぁ、今回がたまたまいい結果だったからだが。


 フィーゼは心の中で呟きながら、その時ばかりは心の底からというやつに感謝するのだった。


 そんな折に、


「…っ、それより、エリオット様は?


 私、確か昨日食事の後一緒にいたと思うんだけど」


 やっと思い出したように話すシンシアに、部屋にお帰りになったよと、どこかつまらなそうに言い放つフィーゼ。


 その一言で、シンシアの身体の片隅にあった緊張はフッと緩むのだった。


 やっと安心できたような主の声に、従者はまた一つ息をついた。


 こんな時までウチの主は自分より他人の心配か…。


 シンシアの無鉄砲な優しさに、フィーゼはどこかもどかしそうに顔を逸らす。


 貴女には何に対しても執着というものがなさ過ぎる、と、やるせなく息を吐くのだった。


 ことの顛末は一通り公子殿下から聞いている。蛍とかいう綺麗な昆虫に紛れて、精霊の怨念が貴女をそうさせてしまったと。


「安心しろ、殿下は無事だ。その殿下から聞いた。に触れたんだろう?なぜそんなこと?」


 従者の言葉に、あぁ、そうだった、と当時のことを思い出す少女。


「アレがエリオット様の肩に乗ろうとしてたから、払って差し上げようと思ったの。そしたら、」


「だからなぜそんなこと———」


 虫とか、貴女は得意じゃないだろう?と首をかしげる従者。


「何でかな?アレを、エリオット様には近づけちゃいけないって、思ったの」


「っ…、」


 ポツリポツリと零すシンシア。


 なんだか、“ 嫌な感じがした ” から、と付け足すのだった。


「だからって、自分がその後どうなるとか考えなかったのか?」


「それよりもまず、エリオット様になにかあったら大変でしょう?あの方はこの国の未来を担う大切なお方なのだから…」


 その言葉に弾かれるようにフィーゼはパッとシンシアを見る。


「おぃ、わかってんのか?貴女は一歩間違えばそのまま目覚めなかったかもしれないんだぞ?!」


「そんな大袈裟———」


「大袈裟なんかじゃねぇ!!」


 突然の大きな声に、シンシアはビクッと反応し、…悪い、とフィーゼは気まずそうに目を逸らす。


「けど、いい加減わかってくれ。もう何度も伝えてるはずだ。俺にとって貴女がどれほど大切か」


「…っ、」


 フィーゼの雪色の瞳とシンシアのターコイズブルーの瞳が静かに交差する。



「言っとくけどこれは、



 貴女が主だからとか、俺が従者だからとか関係ないからな」



「フィ———」



「お嬢のバカ!」



 突然のことにシンシアは、ぇ?と聞き返すまでもなく、


「バカバカバカバカ…、大馬鹿野郎!!」


 と、彼女の腕の中でポカポカと力なく暴れるフィーゼ。


「あはは、痛い痛い…。ごめんね、ほんと、バカなことしたよね、私」


 シンシアは力なく従者に謝る。


 自分のこともままならないのに、そんなヤツがおこがましくも誰かを助けるだなんて。


 ———っ、誰かを、助ける?


 シンシアは何かを思い出すように遠くを見つめる。


「…お嬢?ごめん、痛かった?」


「っ、ううん、大丈夫」


「なら、いいけど…」


 フィーゼはそう言ってまたシンシアの腕の中に顔をうずめる。その様子にシンシアは戸惑いながらも彼の雪色の髪を撫でるのだった。


 さっきからずっと思ってたことだが、いつもここまでじゃなかった気が———。


 と、いつもとまるで雰囲気が違う従者の立ち居振る舞いに、シンシアは戸惑うばかりだった。そして、ある答えに辿り着く。


「…もしかしてフィーゼ、お酒、飲んだ?」


 ———そう。さっきから少し気になってはいたのだ。目が少しトロンとしてるし、なんだか酒臭い感じも否めなかったのだ。


「ん〜?酒なんて飲んれねーよ。姫さんたちに勧められらのは、ただの水〜」


 あ〜、なるほど、お水、ねぇ。と言いながら、徐々にたどたどしくなっていくフィーゼの言葉に、シンシアは苦笑いしながら納得する。


 ダメだ、フィーゼの呂律が回らなくなってきてる…。きっと、私が無事って安心して、張り詰めていたものが一気に緩んだんだ。…でも、緩み過ぎでは?


 水って言ってるくらいだから、きっと透明な、さっぱりしたお酒だったんだ。

 ジェヘラルト(こっち)の特産品の醸造酒、かな。帝国にもよく献上されてるっていう…。


 そっか〜、飲んじゃったか。並大抵のお酒じゃ効かないこの人が、こんなになっちゃうくらいだもんな。相当強いお酒だったんだろうな。


 そう思いながら、一つ息をついたシンシアは、


「ってことは、酔っていらっしゃると…」


 そう言って困ったように笑って見せた。


「バカヤロウ!酔ってれぇよ。


 フフッ、だって俺は、お嬢を守る雪の騎士様だも〜ん。仕事中に酔ってられっかってんら」


「ハハハ…、そ、そうだね〜。さすがは雪の騎士様。よく公私をわきまえていらっしゃることで」


 ご立派、ご立派と乾いた笑みで棒読みで返すシンシア。


 だも〜んって…。もぅこれ完全にキャラが崩壊していらっしゃるだが、と、呆れながらポカンと口を開けていた。


 彼女の目の前にいる、雪のNightは、いまやへべれけ状態でふにゃっと笑っている。


 いやいや、ちょっと待って。フィーゼがこんなベロンベロンに酔っぱらってるの初めて見た…。どんなに強いお酒でも絶対に酔わない人だと思ってたのに。


 そっかぁ、フィーゼって酔ったらこんな風になっちゃうんだ。


 急に涙脆くなったり、こうしてふにゃふにゃになったり、フフッ、忙しい人。


 目の前の百面相を微笑ましく見守るシンシア。


「…なんか可愛いかも」


 普段は滅多に見ることができない従者の姿に、彼女はどこか嬉しそうだ。


「…食事が終わってお嬢が殿下と出て行ってから、姫さんたちに囲まれっちってよぉ。この部屋まで連れて来られて、少しは緊張を緩めろ〜っつって、この水でも飲めって飲まされたわけ」


「…あぁ、なるほど」


 唐突にフィーゼの口から、食事の間を出てからのことを話し出される。


「でも、ここの水、なんか口当たりがと〜ってもよくてさ。俺も若干緊張してたのもあったから喉乾いてて、グビグビいっちまったわけよ。


 …確か、水のクセに名前があったな。なんてったっけ。


 シャーワールーシュー?とか言ってたかな」


「っ、まさか、ジャォワンウー酒のこと?!って…、えぇ?!」


 シンシアは酒の名前を聞いて声を上げておったまげる。


 確か、本で読んだことがあった。ジェヘラルト公国のお酒で特に度数が高いそれは、無色透明で口当たりも良く、見た目はフィーゼが言うように、まんまお水のようなお酒で、後からじわじわ効いてくることで有名なんだそう。

 口当たりがいいから調子に乗ってどんどんと飲み進めるほどに、後々大変なことになるんだとか…。


 そうか。ここで効いてきちゃったか〜。これは二日酔い決定だな?


 シンシアは苦笑いを浮かべながら、普段雪のように色白なその素肌を、今やほんのり赤く染めているその人に声をかけた。



「フィーゼ、お水をもらってきなさい」



「ふぇ…、なんれ?」


 ふと上目遣いで呂律が回っていないフィーゼと目があったシンシア。


 へへッとふにゃ〜っと可愛らしく笑うその人に、思わずキュンっとさせられる。


 だが、ここまで腑抜けになってしまっていては一人で出歩かせるのが途端に不安にってもくる。


「…はぁ、仕方ない、私がもらってくるからちょっと待ってて」


「ら〜め!お嬢は怪我してるんだから、ちゃんと寝てるの〜」


「寝てるの〜って…。ちょっ、フィーゼ、放して、」


「や〜」


「や、じゃな…うぎゃっ!?」


「うぉ?!」


 シンシアがフィーゼを押し除けようと懸命に力を加えると、酔って力もまともに入っていないフィーゼはいとも簡単にぐらっと重心が床に向かって傾き、咄嗟に何かに捕まろうと選んだのがシンシアの腕だったのだ。


 そして、


 ドサッ!


 と、大きい音を立てながら、シンシアを巻き込んで床に倒れ込んでしまったのだった。


 ぃって〜…、と頭を押さえつつやっと正気に戻ったのだった。


「おぃ、大丈夫か?おじょ———、」


「…っ、」


 2人の今の体制に、フィーゼ、特にシンシアの方が思わず固まってしまう。



「…うわぁ、良い眺め」



 フィーゼは下から見上げるシンシアにゾクっとして、思わずゴクリと一つ唾を飲む。


「もぅ、言ってる場合?!…さっさと手を離して!!」


 呑気なことを言ってるフィーゼに思わずシンシアがツッコむ。


 …と、そこに、



「今の音は何事か?!」



 と、朝になって様子を見にきたのであろうエリオットが、先ほどの大きな音を聞きつけて、光影を連れてシンシアたちがいる部屋に駆けつけてきたのだった。

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