第37話ーきっと助けます!ー

「ぁ、アレは…、」


 シンシアはふと視界をよぎった小さな豆電球ほどの光を指差す。よくよく見ると、二人の周りをたくさんのそれが飛び交っているのだ。


 そうだ、あの光、確か、エリオット様と一緒にいた時に———。


 シンシアは今までのことを思い出すように、ぼんやりとそれを眺める。


 確か、エリオット様にダメだと止められて…。その後どうなったんだっけ?


 シンシアはそう思いながらそのヒカリに手を伸ばす。



「———ダメだよ、お嬢さん」



 突如その人に手を掴まれて、今度こそ阻まれてしまった。


「貴女は触れてはいけない。見た目は蛍のように美しいが、実のところ、とてもおどろおどろしいものだから」


「ホタル?」


 聞きなれない言葉にシンシアはその人を見上げる。


「…おや、君は蛍を知らないか。ジェへラルトでは真夏の水辺を、黄緑の光を放ちながらゆらゆらと漂う小さな昆虫がいるのだよ。とても美しくてね、夏の風物詩とされている。


 ———だが、アレは違う」


 その人の声は急に少し低いトーンに変わった。


「まるで火の玉のように青白い光を帯びているアレは玉響たまゆらと呼ばれる。貴女のような清らかなヒトが触れてしまうと、途端に “ コチラ側 ” に引き込まれてしまう。…今の貴女のようにね」


“ コチラ側 ” 、その言葉にシンシアは小さく反応を示す。


 なんとなくだが気づいていた。ここは、さっきまでエリオット様たちといた世界とは違う。異空間、とでも言うのだろうか…?


「貴女は “ 見える側 ” の人だから特に注意しなくては。蛍みたいに綺麗だからと無闇に手を伸ばし、触れた者を、アレは暗闇に捉えて、二度と還さない」


 掴みどころのない話が多くて戸惑うシンシアをよそに、その人はシンシアが触れようとしていたヒカリに自ら手を伸ばす。


「ちょっ、ダメです!」


 他人には触るなと言っておきながら自分はいいのか?とシンシアは慌ててその人を止めた。


 しかしながら彼はそこまま手の中にそれを収めると、


「こんな姿になってしまっては、もう誰がどうすることもできないんだ」


 そう言いながらギュッと握りつぶしてしまったのだ。


 その瞬間、その人の指の隙間からは、直視できないほどの眩しい光の筋が幾線もこぼれ出して消えていった…。


 それからその人は握っていた手を開くと、そこにはもうなにも残ってはいなかったのだった。


 それから周りを見渡すと、先ほどまで蛍のように飛び交っていたヒカリたちも、一緒に消えていたのだ。


「———殺したのですか?」


「天へ還った、と言うのが正しいかな。そもそも殺すも何も、アレは既に生きてはいない」


 少し困ったように力なく笑って見せたその人の言葉に、シンシアは先ほど聞いた子どもの声を思い出していた。


〈早く私たちを天界に帰して———〉


 確か、そう言っていた気がする…。


「あるべき場所へ還しただけだ。言ったろう?時間はかかっても、みんな助けるって」


 嘘はついていなさそうな言葉に、シンシアはコクリと一つ頷く。


 しかしながら、ふと、その人が手を開いた時に、ひどい火傷の痕が目に入った。


「っ…、どうしたんですか?コレ」


 と足を止めて慌てて問いかけるシンシアに、やはりその人はひどく落ち着いていて、


「ん?…あぁ、ただの火傷だ。大したことはことないよ」


 と、ケロッと微笑むものだから、


「ただの火傷って…、大したことあるじゃないですか!?」


 と思わずツッコんでしまうシンシア。


 その時ふと、


【別にこれくらい構わない。雨に濡れるなんて日常茶飯事だ】


 そう言って雨が降る中、自分の方へばかり傘を傾けてくれていたエリオットが脳裏をよぎった。


 この人、エリオット様とは別人にも思うけど、ちょっと似ている…。


 シンシアはその人を見ながらそんなことを思うのだった。


 それから、ちょっと待っててくださいと、シンシアは火傷を負ったその人の手を両の手に包み込むと、目を閉じて集中する。


 一体何をする気だろう?と、その人はただ黙ってシンシアの様子を見守っていると、彼女は風魔法の詠唱を始めたのだった。


 その様子を不思議そうに彼女を見やるその人。


 ———これは西の国の言葉か?魔法とやらの術式を口で唱えている?我が国で言う、法力を発動させるために唱える、“ 経 ” のようなものだろうか?


 その人はそんなことを思いながら、興味深そうにその行末を見守っていた。


 しかし…、


「…っ、あれ?」


 風が吹かない…と、シンシアは不思議そうに手のひらを眺める。彼女が言う通り、いくら待っても何も起こらないのだ。どうやら風の神イェティスの庇護の外にあるこの国では、風魔法がうまく発動しないようだ。


 どうしよう…。このままにしておくわけにはいかないし…。


 でも、風魔法が発動しないとなると、それの源となっているイェティスの風はココには届かないということだ。なら、コレはきっと使えない…。


 思い通りにいかないもどかしさやら焦りやらで、シンシアの顔の眉間にはだんだんシワが寄っていく。


 そんな彼女に、大丈夫、落ち着いて?と、やはりその人は穏やかに語りかける。


「何かしようとしてくれたのだろう?さっき唱えていたのは、風の術式か?」


「…っ、はい。“ 癒しの風 ” といって、風の力で傷を癒すことができるのです。けど、うまくいかないみたいで…。クリミナードでは、こんなことなかったのですが…」


 シンシアは残念そうに、そして申し訳なさそうに俯く。


 そんな彼女に、


「———君は “ 水の術式 ” は知っているだろうか?」


 その人はそう問いかけた。


 水…?と首をかしげる彼女。


「やはりよその国では、各々の国の守護神が持つ力の術式しか習わないのだろうか?」


 その人の言葉でシンシアは、あぁ、そういうことか!と、なにかピンときたようだった。


「水魔法ももちろん習います!学園では地水火風の魔法は一通り習うんです。あと、時の魔法も。まぁ、基礎中の基礎ばかりですが。そこから自分に合うもの、得意とするものを伸ばしていく、という感じです。とはいえ、クリミナードでは土地柄か、風以外の魔法は扱いが難しく、あまり使われてはいませんが」


「十分だ。試しに君が知っている水の魔法とやらを使ってごらん。ここはジェヘラルト。水の神ズィールォ…、よその国ではイクエス、か。それが守護する“ 水の国 ” だから。きっと、クリミナードにいた時よりもはるかに使いやすいはずだよ。水の神イクエスも君になら、力を貸してくれることだろう」


「っ、…やってみます!えぇっと、」


 シンシアは必死に以前習った水魔法の詠唱を思い出そうと努める。


 そこに、シンシアの左の耳飾りが一つ煌めいたかと思うと、


「———っ、」


 彼女の頭の中に詠唱が川のように流れ込んでくるのだった。


「…うまく思い出せるか?」


 なかなか動き出さないシンシアに、その人が詠唱の手助けをしようとしたその瞬間、彼女からとつとつと詠唱が唱えられ出したのを見て、その人はスッとフェードアウトするように動きを止めるのだった。


 一方、シンシアの耳飾りから聞こえてきたそれは、彼女が想像していたものとは少し違う気もしたが、今はそうも言っていられないと、彼女は必死になぞっていく。


 そんな彼女の様子を、その人は興味深そうに眺めていた。


 ———ほぅ、これまた古い術式を唱えるものだ。いくらこの国が水の術式が扱いやすいとはいえ、今この子が唱えているそれは、上級の術者がやっと扱えるほどのもの。この国でも使いこなせる者など、水の神ズィールォと契約している公王様を含めても、指折り数えるほど、いや、片手でも指が余ってしまうほどしかいないはず…。


 複雑だが緻密に編まれたそれを、よその国クリミナードでは基礎として教えているというのか?


 そんなバカな———と、その人は目を見張るばかりだ。


 そうしている間にも、火傷でひどく爛れた手を、どこからか生成された水が膜となり丁寧に包み込んでいく。そしてそれはまさに作り出しているのがシンシアなのだ。


 水が触れている箇所はジュッ!ジュッ!と音を立てながら白い煙のような蒸気をあげる。その度に、あんなにもヒリヒリと燃えたぎるほどの痛みを帯びていたのが、まるで氷水に浸したかのように熱も痛みもスーッと引いていく。


 これはたまげた。アレに触れた手だぞ?それを君は———?!


 水の膜はやがてその人の全身をも呑み込むようにして優しく包み込んでいく。


 それはとても柔く、優しくて…。全てが解けていくような、不思議な感覚だった。


 まるで愛しい人の御胸にそっと抱かれているかのような、なんとも満たされた、幸せな心地だった。


 桜、様———。


 不意に彼の口から溢れた言葉は、泡となって消えていく…。


 やがて彼の全身を覆っていた水が収まる頃には…、


「傷が、消えた———?」


 彼の手のひらに広がっていた火傷の跡は綺麗さっぱりなくなっていたのだった。まるで初めからなかったかのようだ。


 それを見て何かに気づいたその人は、スッとシンシアに背を向けて慌てて服の内側を覗き込むのだった。


 ———ない…。手のひらのものと同じ火傷が、全身にまで広がっていたのに…?全て浄化したというのか?こんな女の子が、たった一人で…?


 もう痛みさえ感じなくなったそれらを半信半疑に確認して、その人はそーっと服を元に整えると、


 なんて力だ…と、その人は恐る恐る彼女を振り返った。


「…よかったぁ、怪我、綺麗に治りましたね!」


 不思議そうにこちらを見つめるその人に、シンシアはホッと胸を撫で下ろすのだった。


 彼女を見て、なおもその人は舌を巻く。


 ———なぜそんなにも平気な顔で立っていられる?あれだけの穢れを祓ったんだぞ?それだけ魔力を消費したはずだ。なのに、なぜ?


「君は水の術式…、いや、えっと、まほー、だっけか?使ったのは初めてか?」


「…はい。こんなにちゃんと使ったのは初めてです」


「あの術式は君の国で教わったのか?」


「はい。…あ、いえ、あれは、」


 耳飾りこの子の囁きをそのままなぞっただけです、なんて言えない。変なヤツだと思われる…と、いつものネガティブな自分に押し負けて言葉を詰まらせるシンシア。


「あれは我が国のいにしえの術式のはずだ。ジェヘラルトの者でも扱える者は指折り数えるほどだろうに、まさかその中に異国人の君が入るなんて。


 ———っ、そうか、桜様だね?」


「え?」


 急に母の名前を出され、目を丸くするシンシア。


 なるほど、そういうことか…と一人うんうんと納得するその人に、シンシアはなんと声をかけていいのかわからなかった。


 お母様も、この魔法を使っていたのだろうか…?


“ 母と同じ ” 。それが彼女の心を柔らかく満たしていた。


「ありがとう。君のおかげでまた頑張れる」


 その人はまたそんな悠長なことを笑顔で言ってのけるのだ。


 アレに触れると、そうなってしまうのでしょう?


 きっと堪え難い痛みだったはずだ。あんなに皮膚が爛れていたのだから。


「あんな大火傷を負ってまで、どうして貴方は———」



「それが私にしかできないことなら、やらない理由はないだろう?」



 その目はとても澄んでいて、閃光のように真っ直ぐだった。シンシアは思わず息を呑む。


玉響アレは魂の残骸、怨念の塊。命尽きた者は皆、天へ還るが、アレはそれが叶わなくなったものたちだ。だから、帰り道を教え導く、しるべとなってやる者が、ココには必要なんだよ」


「…シルベ?」


 そのためにいつもあんな大火傷を負っているというの…?と、シンシアは首をかしげながらその人を見る。


「迷子の手を引いて親元まで帰してやる。これはとして生まれた者しかできないことだ」


「ヒカリの、みこ…?」


「すべてのものにとって闇は、程度は違えど、怖いものだろうからね」


 フワッと微笑むその顔は、まるで太陽のように眩しく、希望に光り輝いて、シンシアには見えたのだった。


 光の御子、まさにその名の通りの人だとシンシアは思う。


「お優しいのですね」


「…ただの義務だよ。私はただ、生まれ持った御役目を果たしているだけのこと」


 淡々と答えるその人に、シンシアは穏やかに言葉を紡ぐ。


「そうだとしても、あなたはとてもお優しい方だと思います。…だからどうか、無理だけはなさらないでください。



 例え全てが助かろうとも、助からなければ意味がありません」



「っ———、」


 その人はやっと彼女を見た。私も、助かる?と、その顔は少し驚いたように目を丸くしている。


「みんなが助かる引き換えにあなたが犠牲になるのなら、なんの意味もありませんから」


 当然でしょう?と言いたげにシンシアも彼を見ると、やはり不思議そうな表情を浮かべているのだった。


 それからしばらく沈黙が続き、不意に彼の足が止まった。



「———さて、私が導けるのはここまでだ」



 その人はそう言ってシンシアからスッと手を離すと、


「この先を真っ直ぐ行けば、君があるべき場所へ還れる」


 と、その先に広がる光が満ち溢れる世界を指差す。


「あなたは?」


「私はここで玉響(アレ)らを全て天に還さなくちゃだから」


「…お一人で、ですか?」


「他にできる者もいないからね」


「…っ、私にもなにかできることはありませんか?


 そうだ、私もここに残ってあなたの傷を癒します!」


 シンシアの言葉にやはりその人は驚きながらも、最後は困ったように笑いながら首を横に振った。


「ここは、あの世とこの世の境目とされる場所。現世(うつしよ)の魂が長居するのはよろしくない。まだ道がわかる内に、君を待っている者の元へ帰りなさい」


「っ、あなたは?あなたの帰る道は?」


「私は———、



 もぅ忘れてしまった」



 その人はなんとも明るく、そして、力なくフワッと笑うだけだった。


 そんな顔を見てしまったから、シンシアはその人から目が離せなくなった。


「ほら、まだ帰れる内に早くお帰り」


 大丈夫。貴女にはまだ帰りを待ち望んでいる者たちがいる。その者たちがいる限り、道は閉じない。と、その人は、固まっているシンシアの背中をポンっと押してやるのだった。


 それに弾かれるように、彼女は暗がりの世界から光の世界へと一線を越える。


 すると、


【お嬢様———】


 ふと、誰かが呼ぶ声が聞こえた気がして、そちらに一瞬気が取られてしまった瞬間だった。


「…っ、あの、やっぱりせめてお名前だけでも———、あれ?」


 シンシアが振り返ると、まるで別空間に放り出されたかのように、前も後ろも同じように光り輝く白い世界が続いていた。


 先ほどいた、星空輝く空も、彼の姿さえも、まるではじめからなかったかのように、なにも見えなくなっていた。


 そんな中シンシアは何もない、誰もいない後ろを振り向くと、


「私も助けます!


 あなたが私を助けてくださったように、私も、あなたをきっとあるべき場所へ帰します!


 だから、もう少しだけ、あと少しだけ待っていてください!」


 誰もいない遠く遠くへと、シンシアは叫んだ。


 そして、改めて前を向き、先程あの人が指し示してくれた方向へと駆け出すのだった。


 その姿を遠くの陰から見守るその人。


「まったく、君という人は…」


 その人は一つ息をつくと、手でそっと目を覆う。


 君はそんなことしなくていい———とその人は小さく笑う。


 …今は早く帰ることだけを考えて。そうして目が覚めれば、ココでのことは、私のことは、全て泡沫の夢となって綺麗さっぱり忘れることだろう。


 それでも———っ、


 その人の心の中では、先ほどのシンシアの言葉が響き渡っていた。



 ———ありがとう。



 桜様の忘形見、君にまた会うことができて、本当によかった———。



「大きくなったね、シーちゃん…」


 僕の小さな花嫁…と、眩い光の中へ消えていくシンシアの背中を、頬に一筋雫を伝わせながら見送るのだった。

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