第35話ー成れの果てー

「アレに、どうしても気づけなかった私の落ち度だ。全ての責任は私にある」


 目を伏せるエリオットに、だからアレって何なんだよ?!と、声を荒らげるフィーゼ。


「…私にもわからない」


 と、首を横に振られてしまうので、先ほど医官とのやり取りのデジャビュを見ているようで、フィーゼは思わず目の前の少年目掛けて拳を構えていた。


「動くな!」


「っ…、」


 今にもエリオットに飛びかかりそうな冬の精霊アウスジェルダに、光影は手を構えて抑止する。その周りにはバチッバチッとスパークが飛び散っていた。


 対するフィーゼの身体は、おびただしいほどの冷気を纏っていたのだった。


 お互い、いつでもやり合えるといった体制だ。


「若…、我が主に代わって私が説明する。



 …アレとは、だ」



「…っ、はぁ??」


 何だそのフワッとした回答は?と、フィーゼは全然説明になっていない説明に、あんぐりと口を開けた。


 刺客かその類を期待したのだが、まさかの、


 人でもなく、そして精霊でもないモノだと?


 こればっかりは何と言っていいかわからなかった。


「そして、我が主は、その…、」


 言いにくそうにする光影に、エリオットは、かまわない、と一つ頷く。


「“ 見えない側 ” のお人だ。我々精霊をはじめ、目に見えない存在は、この方には見えない。だから、今回のことは———」


「なら、なぜお前の姿は見えている?」


 ズバッと矛盾を言い当てながら公子殿下を指差すフィーゼに、それは、その…、と言い淀む光影。それを見兼ねてか、ため息混じりに、人に指を差すなと吐き捨てて、次に口を開いたのはエリオットだった。


「この者の意思で、見える時と見えない時がある。普段は見えていない」


 ポツリと補足する彼に、なんじゃそりゃ?とフィーゼは怪訝そうに表情を歪める。


 王族のくせして見えないのか?マジかよ?とボソッと零すフィーゼに、チッと舌打ちしながら彼を睨みつける光影。


 とはいえ、精霊の都合で主の目に見えたり見えなかったりするとは、一体どんな契約したんだ?コイツら…、と、フィーゼは不思議そうに二人を見るのだった。


「…まぁいい、それは後だ。それで?その、お嬢を襲ったアレってのはどうなったんだ?」



「———私が斬り捨てた。



 お前も聞こえただろう?あの雷鳴が」


 淡々と話す光影に、フィーゼはハッと息を吐き捨てた。


「アレは光でなければ斬れない。簡単に言えば、精霊狩りで滅んだ者どもの、


“ 成れの果て ” だ」


「成れの果てって…。精霊狩りなんて、もう1000年も前の話だぞ?」


 んなもん聞いたことねーと、フィーゼは一瞬言葉を失う。


「ってことは何か?1000年前に人間どもに狩られた精霊の魂が怨念となり、お嬢を襲ったとでも言いたいのか?」


 腕組みして問うフィーゼに、


「正確には、だ」


 と、やるせなさそうにエリオットが答えた。


「理由はわからんが、ヤツらは昔から私を狙っている。大方、1000年前の復讐でもしたいのだろう。そもそも精霊狩りは帝国が率先して巻き起こしたことだが、ジェヘラルトも大きくそれに加担したからな」


 その言葉から、ジェヘラルトで指揮をとった者どもの末裔を狙ってのこと、か…?と、フィーゼは推測した。


「———じゃあ、そこまでわかっていてなぜ…、誰もそばに付けなかった?」


「っ…、」


 低い声を震わせながら、フィーゼはエリオットに一言だけ、苦しそうにそう詰め寄ったのだった。


「若を責めるな!私のせいだ。私が若も、お前の主も護りきれなかったんだ」


 何も返さない主の代わりに、光影は懸命に言葉を紡ぐ姿に、フィーゼは顔を逸らして悔しそうに小さく舌打ちする。


「———従者よ、お前はシンシア殿と契約している精霊、なのだろう?」


「それが何か?」


「…痛みか何か感じたか?聞いたところによると、眷属の精霊は、主が味わった感覚がそのまま共有されるらしいが」


「っ…、」


 エリオットの問いにフィーゼはゆっくりと目を伏せて、眷属紋がある左胸あたりをキュッと握る。


 あの一瞬で即死してもおかしくないほどの激痛。いや、痛いどころの騒ぎじゃなか、った…、あれ?痛い———?


 フィーゼは当時のことを思い出して、ん?と首をかしげた。


 アレは痛み、とはまた違うような———。


 あの一瞬、確かに味わった“ 違和感 ”。あの胸糞悪い感じは一体何だったんだ…? “ 寒気 ” にも似ていた気がする。


「ってか、何なんすか?さっきから。公子殿下だって雷のソイツと契約しているなら、それくらいわかっているはずでしょう?」


 フィーゼの言葉に、…いいや、私にはわからない、とエリオットはゆっくりと首を横に振った。


「わからない?…ハッ、“ あなたも ” 眷属コイツとの感覚共有を絶ってるってか?」


 フィーゼは光影を指差しながら吐き捨てる。


 自分も以前主からそうされていたので、その時のやるせなさが、ふと脳裏に過ぎる。


 ———だが、“ わからない ” と言っていたな。この人も無意識か。


 お互い主には苦労するな…と、そっと光影を見るフィーゼ。


「…とはいえ、命に関わる痛みなら、お互いが強制的に何かしらわかるはずだろ?だって眷属と主は眷属紋で繋がって———」



「残念ながら、私と光影は “ 契約していない ”」



 エリオットの一言に、フィーゼは…ぇ?と目を丸くし、光影は目を伏せる。


 一体どういうことだ?契約せずに加護を使うなんて聞いたこと———、いや、そうでもないか。


 ウチのお嬢がいい例か。


 あれはちぃとイレギュラーで本人もそれを確実に自覚しているわけではない。


 あの子は、———そう。契約しているからとかじゃなく、


 あの子だからこそ、


 目に見えない存在が“力を貸してやっている”、


 そんなふうに感じた。


 イェティスを呼ぶ笛がその証拠。あの子じゃないと、絶対に扱えないであろう代物だ。


 それこそ、あの子の “ 慈悲の心 ” がそうさせているような…。


 だがそれは異例中の異例。目の前の公子殿下と雷のアイツが契約せずにその力を使えているなんて、一体どういうことなのだろうか?


 ———いや、それよりも。光影アイツが言ってたあの言葉が気になる。


【我が主は“ 見えない側 ” のお人だ。我々精霊をはじめ、目に見えない存在は、この方には見えない】


 東の公子殿下は “ 見えない側 ”、つまり、魔力を持たざる人間。加護を使う云々以前の問題だ。


 一体どういうことなのかと、フィーゼは頭を捻るばかりだ。


「若…、主がおっしゃる通り、私は主と契約していないから、 “ 繋がり ” を持たない。ゆえに、若は私の痛みを感じ取ることはできない。逆も然りだ。私はお前のように若の痛みを感じ取ることはできない」


 目の前の彼らの言葉をちゃんと飲み込むのに、フィーゼはいくらか時間を要した。


「…じゃあ、とどのつまり、お前は———」


「だから、ヒトに向かって指を差すな!」


 フィーゼが光影を指差すのを、鬱陶しそうにツッコむ光影。


「光影は一の姉様、既にココを去った元第一公女、一神いちか様と契約している」


「…はぃ?」


 フィーゼはエリオットの言葉にやはり解せない顔をする。


 ———つまり、その元第一公女ってヤツが、自分が契約している精霊を、契約はそのままにココに置いていったというのか?


 契約者と精霊は常にそばにいるもだというフィーゼの固定概念が一気に崩されていくのだった。


「人間と目に見えない者たちとの契約に必要なのは他でもない、魔力だ。魔力供給が叶ってヤツらは初めて契約者に、主に、祝福や加護を与えることができるのだから」


 その言葉に、フィーゼと光影はなにも返さなかった。


 エリオットの言葉は、例え魔力を有していたとしても、なぜ皆が皆、精霊と契約しないのか、その意味を示していた。


 精霊は契約者の選択権こそ持ち合わせていないものの、加護を扱えるほどの魔力を持っていない人間とは、はなから契約はできないのだ。


 一度契約により “ 繋がり ” を持ってしまえば、精霊への魔力の供給は、契約している人間に限られてしまう。


 精霊が消費するのに見合うだけの魔力を持っていないと、契約者の人間は魔力の源となる生命力を奪い取られ過ぎて、途端に命が尽きることとなってしまうのだ。


 魔力をより濃く受け継いで生まれてくるのは、各国の皇族、公族、王族やその親族や血縁に当たる上流階層、いわば特権階級と呼ばれる者にどうしても限られる。ゆえに、精霊と契約できるのもその者たちに限られてしまうのだ。


 だからこそ、十分な魔力を持っていない人間は、己が持てる限りの知恵と魔力を使い、“ 魔法 ” というものを生み出した。それが長い年月を経て、各地に広まり、今では、多かれ少なかれ魔力を持つ者は、幼い頃から学舎まなびやに通い、そこで魔法を極めているのだ。


 そして今各国が躍起になって研究を進めているのが、人間自らが生み出した “ 人工精霊 ” なるものだった。その研究の成果が表に出てくるのは、まだもう少し先のお話…。


「…王位継承権第一位の私のこのありさまを憂いた第一公女は、光影に私を守るように命じ、コレを置いて城の外へと嫁いでいった。


 だからこの状況はいわば、光影の加護を私が無理矢理にだけ、ということだ」


「加護を借りるって…、そんなことが、できるのか?」


「現にこうしてできているのだから、できないわけではないのだろう。それにお前たち精霊は、“ 主の命令には絶対服従 ” 、なのだから」


「っ…、」


 フィーゼはその言葉に、複雑そうな表情でそっと眷属紋がある左胸に触れる。


「そりゃ、お前が言うように簡単ではなかったさ。加護だけでも使えるようになるために、コレにはそれなりのはちゃんと支払った」


「代償…?」


「それがお前たち、“ 目に見えないものとのやり取り ” 、だろう?」


 その言葉にフィーゼはパッとエリオットの方を見た。彼は相変わらず慣れた手つきでシンシアの額の汗をタオルで拭ってやっていた。


「それで?貴方は何を光影コイツに支払ったというんだ?」



「———



 エリオットはフィーゼを見ずにポツリと零す。


 そんな彼に、フィーゼは何も返せない代わりにひとつ息を呑んだ。


「安心しろ、。差し出したのは聴力の方だ」


 おどけたように言うエリオットに、全然笑えねーっすよ、と、フィーゼは、苦笑いを浮かべる。


「とはいえ、完全に取られたわけではない。ただ、小さい、細かい音はほぼ拾えなくなった。まぁ、そんなものと引き換えに雷を操れるなら、代償としては安いものだ」


 自嘲しながらも淡々と述べるエリオット。


「お前先程、なぜ私たちに護衛をつけなかったのかと問うたな?」


「…あぁ、はい」


「私には暗闇に利くがあるから、心配ないと判断したのだ」


 目…?と、フィーゼは首をかしげる。


「雷の加護の力で、私は暗闇でも真昼のように辺りが見える」


 その言葉に、やはりそうかとフィーゼはまた一つ腑に落ちる。


 食事の間までの道のりでシンシアとエリオットが話をしていた時、あんな灯り一つだけの暗い道のりで、彼は一番にシンシアの耳飾りが自分が贈ったものではないと見破っていた。暗闇では見分けることも難しい、夜空に似た紫藍石の色が、彼にだけはハッキリと見えていたのだ。


【我々は夜狩りをすることもあるからな。それに私は体質上、夜でもよく目が利くのだよ】


 先ほどエリオットが口にしていた言葉をそっと思い出すフィーゼ。


 ———ハッ、なにが体質上、だよ。おかしいと思った。人が成せるそれをも遥かに凌駕してやがるから。


 フィーゼはまた何度目かの苦笑いを浮かべるのだった。


「…ところで、シンシア殿と契約しているお前に今一度問う」


 エリオットは改めてフィーゼに向き直ると、彼もビクッと背筋を伸ばした。


「お前の主が味わった痛みとは、いかほどのものだった?」


「っ———、そりゃもう、胸の中をこねくり回されるような…、まぁ、うまくは言えませんが、二度とは味わいたくはないもんでした」


「そうか。本当に申し訳ないことをした。その痛みを受けるのは、私だったはずなのに———」


「…っ、」


 その人が言い終わる前にエリオットはガンッと床を殴った。


 本来ならばいますぐにでもその胸ぐらを掴み上げたいフィーゼだったが、主の手前、その衝動をグッと堪える他なかった。


「ハッ、そんな言葉はお控えください。そして2度と口になさらないでください。特に我が主の前では。


 身を挺して貴方をお守りした、我が主が浮かばれませんので」


 先ほどより低く冷たい声で部屋に響いたフィーゼの言葉に、エリオットは気まずそうに、すまなかった、と目を伏せた。


「もう夜も更けました。あとは俺がやります。殿下はお部屋へお戻りください」


「しかし———」


「これは提案ではなくお願いです!頼みますからどうか、…もうそれ以上、我が主に触れないでいただきたい!」


「———っ、」


 エリオットから目を合わせずに言うフィーゼに、エリオットはピタリと動きを止めた。


「我が主がこうなったのは貴方のせいじゃないことはわかってる。この怒りを貴方にぶつけるのは、見当違いだってことも。けど…、」


 フィーゼは、ギリっと奥歯を噛み締める。


 ———これ以上は抑えきれる自信がない…。


 先ほど床に突いた拳は小刻みに震えていた。


「どうか、聡明なその御心で、我が心中をお察しください」


 震える両拳を床につき、ゆっくりとエリオットに丁寧に頭を下げる。


 フィーゼの心中、それが一体何を意味しているものなのか。主を守り切れなかったことへの苛立ちか、はたまたそんな大事に、主の一番近くに寄り添っているのが自分ではないことへの不満なのか、エリオットは測りかねていた。


 しかし、例えそれが後者でも、そんなに感情を剥き出しにするようなことか?仮にも私はお前の主の婚約者だぞ?主と従者の仲が深いことは聞いていたが、まさか、な———?


 エリオットは頭によぎったある仮定を必死に否定しようとしていた。


「若、もぅ行きましょう」


 光影の言葉に、ハッと現実に引き戻されたエリオットは、そうだな、と頷き、その場を立ったものの、後ろ髪引かれる思いで、フィーゼだけを部屋に残して2人は静かにその場を去ったのだったのだった。



 ♢



 部屋を出ると足早に廊下を進む主に、


「若?…お待ちください、若!」


 従者は必死に呼びかけながら慌てて後をついていく。


「若…、大丈夫です、西の公女殿下ならきっと———」


「っ…、」


 自分の言葉がやっと届いたのかエリオットはやっと足を止めたので、光影はホッと息をついた。


「お前が一番よく知っているはずだろう?光影。の末路を」


「若…」


 額に手を添えてふらつくエリオットの身体を、光影はサッと前に出て支えてやる。


「バチが当たったのだ…。調子に乗るなと」


「何をおっしゃって…、」


 改めて彼の目に映った主は、もはや立っているのもやっとといった様子だ。


「お前には悪いことをしたな。お前だけじゃない、あの従者にも…。だから、今私がしてやれることは———」


「あの白い従者を主の側にいさせてやること、だと…?」


 光影の言葉にエリオットは顔を逸らすだけだった。


「あれは決してあなたのせいではありません」


「私のせいだ!お二人とも私のせいで…。私がいなければこんなことには———」


「若…、落ち着いてください。公女殿下はきっとお目覚めになられます。そして、いずれあの方だってきっと。だから大丈夫です。そんなにご自分を責めないでください」


 光影の穏やかな言葉に、エリオットはやるせなく目を伏せる。


「っ———、明麓めいろく殿へ行く。だからまだ、くれ」


 どこか縋るように小さく呟くその人の言葉に光影は小さく頷くと、主を支えながら指定された場所へと導いてやるのだった。

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