第34話ーんで、いつ目覚める?ー
フィーゼがシンシアを連れ帰った羅神の部屋では、事情を聞いてすぐ、第三公女の神矢が城に在中する医官を呼び寄せ、シンシアの治療に当たらせていた。
それから少し場が落ち着いたところで、
「…従者殿、少し宜しいですか?」
と、フィーゼは医師に部屋の外へ連れ出されていた。
「おじょ———、我が主は大丈夫なのか?!」
「えぇ。致命傷のような傷は一切負っておられませんので、命に別状はありません」
そう答える医官の言葉に…はぁ〜、そうか、とフィーゼは心臓の辺りを抑えながら、やっと深い息をついた。あ〜良かったぁ。と強張っていた表情も少し緩んでいく。
「えと、…あー、か、感謝、いたします。主を助けてくれて…、いや、く、くださって」
まだ気が動転しているのか、ぶっきらぼうに敬語をカタコトに並べて、治療にあたった医官に深々と頭を下げるのだった。
こんなとこ見られたら、きっと師匠にいびられるだろう。もっとエレガントに、スマートに!とかって。
そんな思いが頭をよぎり苦笑いのフィーゼ。ココが師匠、ダルクの前でなくて本当によかったと心底胸を撫で下ろす。
———嗚呼、お嬢ならきっともっとうまい言葉で返すんだろうな…。はぁ、こういう時なんて言えばいいのか聞いておくべきだった…。
沢山の言葉をいつも巧みに使い分けるシンシアを思い返しながら、従者は苦笑いを浮かべるのだった。
「しかしながら、一つ、従者殿に聞きたいことがあるのです」
改めて向き直る医師に、首をかしげながらも耳を傾ける。
「公女殿下に、なにか強い結界を張っておられましたか?防護結界のような」
「ぅえ?」
寝耳に水状態の言葉に思わず間の抜けた声が出るフィーゼ。
「その様子じゃ、違うようですな。では一体誰が…?」
うーんと頭を悩ます医官に、なぜ、そんなことを?とフィーゼは首をかしげる。
「いやぁ、その、先ほども申し上げましたが、公女殿下は傷を一切負っておられないご様子。刺客に襲われたと伺いましたので———、んぐっ、」
突然医官は口籠る。それもそのはず。言い終わるよりも先に、目の前のその人にグイッと胸ぐらを掴まれていたのだから。その手は恐ろしいほどに冷気を帯びており、医官の首元を一瞬で凍り付かせる勢いだ。
表情を歪ます医官を見て、フィーゼはふと我に帰る。
———嗚呼、いけない。考えるより先に手が出てしまった。
そんなことを思いつつ、スッとその手を離すと、ケホ、コホ…と喉元を押さえながらむせ返る老人の医官。彼の話は自分も気になっていたことなので、フィーゼは詳しく聞いてみることにした。
「怪我も何もしてないってどういうことだよ?じゃあなぜ我が主は目覚めない?」
「も、申し訳ございません、それは私にもわからぬのです」
懸命に語気を抑えつつも、やはり目の前の氷鬼の冷徹な声と顔までは内に隠せていないようで、医官は恐怖のあまり身体を震え上がらせる。
「…襲われたことに心を痛められ、気を失っておられるだけかもしれません」
「いつ目覚める?」
「そこまでは…、」
「国随一の名医でもわからないと言いたいのか?!」
「た、ただ、お命に別状はございません。何が公女殿下をお守りしたのかはわかりませんが、それだけは確かです、はい…」
「…っ、」
その言い方ではなんとももどかしくて、従者の頭に余計に血を昇らせる。
———何もなかったわけがない。きっと何かあったはずだ。じゃなきゃ、俺があの時感じた悪寒はどう説明する?
あれは一体なんだったんだ?
なぜ無傷なのにあの子は目覚めない?
どこにもぶつけることができない沸々と湧き上がってくるモヤモヤを、フィーゼは深いため息という形で、何とかやり過ごそうと努める。
「わかった、もう下がっていい」
まだ何もわかっていない頭で頷いて、手をヒラヒラさせながら医官を下がらせたのだった。
それから羅神の部屋へ戻ると、シンシアが横たわるベッド脇で、彼女の手を握るエリオットの姿があった。
不意に目が合った2人に、少しの沈黙が生まれたが、先に口を開いたのはエリオットの方だった。
「そなたは、シンシア殿の従者———」
「主から離れろ!」
開口一番、フィーゼが言い放った言葉はそれだった。
突然のことでエリオットは目を丸くしてフィーゼをまっすぐ見つめたまま動けないでいる。
その時の従者には、主にあれほどきつく言われていた、目上の者への礼儀のことなど、一切頭になかった。
「この城には結界が張り巡らされているから従者を付けなくても問題ない。…そう言ってたのはどこのどいつだ?」
食事の間を出た時に、エリオットがフィーゼに告げた言葉を、彼は蒸し返す。
この子に一体何をしたかわかってんのか?と、フィーゼはずんずんとベッドに近づいていく。
そんな彼の眉間には次第に皺が深く刻まれていくのだった。
と、その時だった。
「ダメっ!それ以上兄様に近づかないで!!」
「っ…?!」
「神奈、やめろ!」
第六公女の神奈は、咄嗟にエリオットとフィーゼの間に割って入ったのだった。
それくらい、今の彼からは尋常じゃない殺気を神奈は感じていたのだ。
———なんだ?このクソガキ。
思わず足を止めざるをえないフィーゼ。
彼女は大きく両手を広げて、フィーゼの前に立ちはだかる。そしてもう1人、フィーゼの動きを制していた者がいた。
「っ?!」
…早い。気配も何も感じなかった。ってか、そもそもどこにいた??
気づけば何者かに背後を取られ、腕を後ろに固定されている。喉元には小刀が突き立てられていたのだ。
その姿を見兼ねてか、
「光影、刀を下ろせ」
とエリオットはフィーゼの後ろにいる人影に言葉を投げかけていた。
「っ、しかし、」
「早くしろ。姉妹たちもいる前で物騒な物をさらすな」
「———失礼いたしました」
光影と呼ばれるその人はフィーゼの喉元に突き立てていた小刀を渋々下げるのだった。
「そなたもだ、シンシア殿の従者よ。妹たちが怯えている。直ちにその殺気を治めろ」
「は?」
まさか自分のことを言われるとは思わず、そんな声しか出ない。
コイツ、今そんなこと言える立場か?
フィーゼは懸命に余計な言葉が出ないようにグッと奥歯を噛み締める。
「気づいていないなら、そこの鏡をとくと見てみるがいい。貴様が今、一体どんな顔をしているのか」
「っ、」
フィーゼはエリオットに指し示された先にある鏡台に映し出された自分の姿を見て、吸い込まれるように目を奪われた。
———これが、俺??
鏡の中には、まるで氷鬼のように恐ろしい形相の精霊が一匹写っていたのだ。
その悍ましい姿に慌てて目を背ける。そして、今はシンシアが見ていないところで良かったと、それだけには素直にホッと胸を撫で下ろすのだった。
「———ねぇ、神威兄様、みつ…って??」
神奈は聞き慣れない名前に首をかしげる。
「っ、そうだ、シンシア殿の従者、お前にも紹介しておく。
その者は我が従者、
「…。」
光影と呼ばれるその人は、黙ってフィーゼに一礼する。
…ほぅ?コイツが件の雷の加護を持つって言う、従者か?
雷…、ということは、さっきここで姫さんたちと聞いた雷鳴は、もしかしてコイツが?
それに、…そうか、雷っつったら “ 光 ” だから、光線のごとく音も立てずに瞬時に動けたってか?
つまりは、光の速さで誰よりも先に主の元へ駆けつけ、雷を落とせたと———?
フィーゼは小刀を突きつけられていたそこをスリスリ撫でながら、姉妹たちと話している時に聞いた大きな雷の音や、目にも止まらぬ彼の動きを懸命に分析するのだった。
まだあまり言葉を発していない物静かな光影は、身長はフィーゼよりも小柄な150cmほどで、シンシアと同じか、それより少し低いくらいだ。
端正な顔立ちに淡い黄色の目をしており、腰の上あたりまで伸びた長い黄色の髪を、後ろの高い位置で一本に結い上げていた。
「ねぇ、神威兄様、その、みつ…ってだぁれ?」
神奈の言葉にフィーゼをはじめ、そこにいた姫たちは目を一瞬動きを止める。
ハッと我に帰った第二公女の羅神が
「———神奈、こっちへ」
と、慌てて神奈の手を引っ張り、自分の方へ引き寄せたのだった。
「羅神姉様、みつって誰なの?」
「み・つ・か・げ。…神威の従者よ」
「神威兄様に従者がいるの?!」
「しーっ。大きい声出さない。公女殿下がゆっくり休めないでしょう?」
興奮気味の妹を慌てて諭す羅神。
姉の言葉に神奈は慌てて両の手を自分の口の前に押し当てる。そしてそのまま、
「でも、“ 姿が見えない ” のはなんで?」
と、もごもごと小さい声で問うのだった。
その言葉でフィーゼは、神奈は “ 見えない側 ” の人間であることを静かに悟るのだった。
「普段は姿を見せないだけ。見えない所から、神威を見守っているの。———さ、私たちはもう行きましょう」
そう言って、姉たちは2人に気を利かせてか、そそくさと部屋を出て行ったのだった。
「羅神姉様、どうしたの?どうして部屋を出るの?」
「私たちまでいては、神威が恥ずかしがって従者さんとお話しできないからよ」
妹の素朴な疑問にそうやってクスッと返してやる羅神。
「ダメだよ!あの従者のお兄ちゃん、神威兄様にすっごく怒ってたもん。神威兄様、殺されちゃうかも…」
「っ、何言ってるの、神奈。あなたの大好きな神威兄様なら大丈夫。…ほら、もう寝る時間よ。美神と一緒にお部屋へ帰りましょうね」
「…でも、」
まだ納得いかない神奈だったが、美神とともに仕方なく姉に手を引かれ、自分の部屋へ帰るのだった。
♢
———その頃、羅神の部屋に残された3人は、一定の距離を置いて座っていた。エリオットのそばでは光影がバチバチとフィーゼに睨みを効かせている。
「そろそろ教えてください。おじょ———、我が主はなぜこうなった?まさかおま…、貴方がやったわけじゃねーだろーなぁ?」
思わず凄むフィーゼを見据えて、ただ息を一つつくだけのエリオット。
「おいおいだんまりってことは肯定とみなしていいんだな?———ハッ、さすがジェヘラルト。暗殺に長けた国だとは聞いていたが…。
まさか本当に東の公子殿下御自ら両国の友好にヒビを入れにきたってか?残念だったな、仕留め損ねて———」
「それ以上はやめろ!全く、よく吼える狗だ。躾もなにもなってない」
フィーゼの暴言を遮りながら、そう言って吐き捨てる光影に、
「っ、んだと?グォラ!!」
と、思わず飛びかかりそうな勢いのフィーゼ。
そんな二人に
「いい加減黙れ!」
と、一言声を荒らげるエリオット。
上官の叱責に、その場は一瞬にして静まり返るのだった。
まさに瞬殺とはこのことである。
「従者、お前も少し落ち着け。これじゃ話の一つもできない」
「っ、どっからどう見ても俺は落ち着いて———」
「落ち着いている者は、そうやっていちいち声を荒らげたりはしない」
その言葉に、フィーゼはハッと息を吐き捨てて、悔しそうに押し黙った。確かに今の自分が冷静ではないということは少しは理解しているようだ。
「従者、主を思うお前の気持ちもわからなくもないが、これだけは言っておく。お前の主に手をかけたのは私ではない」
「…っ」
エリオットの静かで穏やかな口調に、何も言えないフィーゼは、むぅ、と閉じている口を尖らせる。
目の前の公子殿下は、いまだ目覚めない主をやるせなく見つめながら、その頭を優しく撫でている。その行為にフィーゼはグッと奥歯を噛み締める。
本来ならこの自分が、今彼のポジションにいるものを…。
主を介抱するのは従者である自分の仕事であるのに、それが叶わないもどかしさを、必死にやり過ごしていた。
そんな中、
「…申し訳なかった」
エリオットは改めてフィーゼに向き直り、床に手をついて深々と頭を下げた。その様子に、フィーゼはおろか、おやめください、若っ!と声を上げながら光影も目を丸くする。
「全て私のせいだ。私がそばにいながら、お前の大切なモノを護りきれなかった」
「…っ、ワケを話してください。一体、何があったのか」
目の前の彼の言動に、フィーゼはやっと少し落ち着きを取り戻しながらその言葉を発したのだった。
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