第33話ー青白いアレー
しばらくしてもうじき雨がやむかといったところで、そろそろ戻るか、とエリオットは呟く。
「はい———っ…、うわぁ!」
彼の言葉に頷いたシンシアだが、声を漏らしながらその後ろに目を奪われた。
うわぁ?と、エリオットは彼女の反応に不思議そうに零しながら、同じように背後を振り返る。…が、その束の間目にしたシンシアの目がキラキラと輝いていて、その美しさにエリオットは一瞬見惚れてしまう。
「エリオット様、あれはなんですか?」
「———アレ?」
視線をボーッと彷徨わせるエリオットに、シンシアは、ほら、あそこ、と指で差し示す。
「黄色?緑?…小さな光の粒が飛び交ってて、とっても綺麗です!」
「光の粒…?」
蛍のことか?とエリオットは目を細めながら手すりに手をかけつつ、若干身を乗り出しながらシンシアの指の先に懸命に視線を向ける。
対するシンシアは思ったような反応が得られず、…もしかして、エリオット様には見えていない…?と少し首をかしげるのだった。
そんな時だった。
「あれ?この子だけ、他の子とは色が違う…。青白い色をしてる」
「青白い…?」
「ぁ、エリオット様の肩に乗ろうとしてます…」
そう言いながら、導かれるようにそちらに手を差し伸べるシンシア。
エリオットはシンシアの言葉に何か思い当たる節があったのか、血相を変えて、
「ダメだ、それに触れるな!」
と、彼女に手を伸ばしながらそう叫んでいた。
ぇ?とシンシアが不思議そうに彼を見たのも束の間、その光はエリオットの肩ではなく、そのままスッとシンシアの指先に降り立ったのだった。
———その瞬間だった。
「っ———、」
シンシアの世界はまるで帷が下ろされたかのように一瞬のうちに光も届かない暗闇へと姿を変えてしまった…。
♢
「あれ、エリオット、様…?」
目を凝らして辺りを懸命に見渡しても、どこにもあれほどすぐそばにいたエリオットの姿はどこにも見当たらない。
そもそも、辺りは暗闇に閉ざされて黒以外の何も見えないのだ。
ここは一体———?
自分以外の気配がないこの空間で、シンシアは途方に暮れてしまうのだった。
♢
———一方フィーゼは、他の姉妹たちと一緒に第二公女、羅神の部屋で根掘り葉掘り自分と主の関係性について問いただされている最中だった。
「それでそれで?白い従者さんは主ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「は?!ど、どうっ、て?」
「正直なところどうなのよ?やっぱり好きなの?」
「は、はぁ?!何言っ…、なにをおっしゃて…、んなあり得ねぇ———、あるわけないじゃないっすか」
グイグイ質問され追い込まれた壁を背にタジタジのフィーゼ。
そんな時だった。
「———っ!?」
「…従者さん??」
彼の背筋にはゾクッと悪寒が駆け巡り、左胸の眷属紋にもただならぬ違和感が襲った。フィーゼは胸を押さえつつそのままガクッと膝をついてうずくまると、額からはみるみる脂汗が滲み出す。
「ちょっ、やだ、一体どうしたってのよ、急に…」
突然のフィーゼの姿に動揺する姉妹たち。
…と、次の瞬間、ピカッ!と窓の外から激しい閃光が差し込んできた。
何事か?とフィーゼは目を見張りながら慌てて部屋の外に目を向ける。
そして、光が止むと立て続けに、ガラガラガラ———!!!と激しい雷鳴が部屋中に鳴り響くのだった。
突然のことに第五公女の神奈と第六公女の美神は慌てて近くにいた姉たちにしがみつく。
「あら、こんなに激しい雷が鳴るなんて…」
この中では一番上の姉、羅神がポツリと呟きながら何か異変を感じたのか、窓の外を不安そうに眺める。
———だが、今はそれよりフィーゼだった。
「どうしたの?白い従者さん。お顔が真っ青よ?ただでさえ白いお顔だというのに」
扇子で口元を隠しながら冗談混じりの言葉でケタケタと笑う、からかい上手の第三公女、神音の言葉に何も返せないほどに彼の呼吸は乱れに乱れてしまっていた。
そんな尋常ではない姿を目の当たりにしてさすがにおかしいと思ったのか、
「っ、ちょっ、本当にどうしたの?まさか、食当たり??」
さっきまで笑っていた神音も途端に表情を歪めていく。
「従者のお兄ちゃん、大丈夫??」
羅神の部屋に集まっていた他の妹たちも戸惑いの顔を見せ始める。
だが、従者にとっては自分の心配をしている場合ではなかったのだ。
「…お嬢、」
不意にこぼれ落ちた言葉に、ぇ?と神奈は首をかしげた。
「あの…、我が主と、そっちの殿下は今どこに?」
苦し紛れに弱々しい声で尋ねてみると、
「言ったでしょう?いい機会だから2人きりにしてあげてほしいって」
そんな呑気な言葉が羅神から返ってきたものまから、
「っ、言ってる場合か?!お嬢が危ないんだ!!」
鬼気迫る表情でついつい声を荒らげてしまった。
だが、時すでに遅しだった。
突然の大きな声に、一番小さい姫さん、美神は、まるでシンシアのようにビクッと身体を震わせ、姉の神音の袖口にギュッとしがみ付いていた。
———嗚呼、やってしまった、とフィーゼは気まずそうに目を逸らす。
「大丈夫よ、美神。
…お嬢って、公女殿下のことよね?危ないってどういうこと?」
怯える妹を宥めながらの神矢に尋ねられ、
「いいから早く場所を教えてください!!」
そんな言葉しか今は返せなかった。
とにかく早く行かなくては———。急に襲って来た悪寒がそれだけを脳みそに訴えかけていた。
「…っ。きっと庭園にいるはずだわ。ここの部屋を出て奥に進んだ、少し外れの、大きな池があるところ。蓮の花がいっぱい咲いていて、とても綺麗なところよ」
何か鬼気迫るものを察してくれた羅漢が自分につられるように若干焦りながら答える。
その言葉を頼りに、大慌てで羅神の部屋を飛び出していた。そんな自分の様子に口々に姉妹たちの考察劇が幕を上げるのだった。
「公女様が危ないって、一体どうしたって言うの?まさか、
「心配し過ぎなのよ。主のことが大好き過ぎて仕方がないのだわ、きっと」
首をかしげる羅漢に、ニヤつく口元を袖口で隠しながら神矢は言う。
「自分以外の男に取られるのがそれほど嫌なんじゃない?」
「けど、相手は主の婚約者、しかも国の次期王よ?」
「いいじゃない!主と従者の身分違いの恋…。なんてロマンチックなの〜?」
「まぁ当の公女ちゃんの方は、従者くんの気持ちにはさほど気づいてはない感じだったけど」
「従者の片想いってヤツ?!なんていじらしい!」
当人たちは不在の中、女子たちの煌びやかな恋バナが花開く中、
「姉様、私もあんな従者ほしい!!」
幼い少女は出て行ったフィーゼにキラキラと憧れの眼差しを向ける。
「ん〜、神奈にはまだちょっと早いかな…」
「もう少し大きくなったら父上にお願いしてみましょうね」
姉たちは妹の頭を優しく微笑ましく撫でてやるのだった。
「とはいえあの慌てよう…、ちょっと異様じゃなかった?神威はきっと何もできないでしょうから、本当に何かあったんじゃ———」
「大丈夫よ。この城には結界が張ってある。万が一にでも何かあった場合、
「でも、もしその万が一があったのだとしたら…?」
「確かにさっきの雷は気になるわ。本当に神威たちに何かあったんじゃ———」
羅神の一言に、他の姫たちはそれぞれ顔を見合わせるのだった。
♢
その頃外の東家では、
「…どの、シンシア殿!!」
エリオットは自分の腕の中で苦しそうに息をするシンシアに必死に呼びかけていた。
———それはほんの数分前のこと。
光に触れて突如意識を手放したシンシアに、大方の事の顛末を瞬時に察したエリオット。
慌ててシンシアの両耳を自分の手で硬く塞ぐその人の目付きは、キッと鋭いものに変わっており、瞳は青白い光を帯びていた。
そして一言、
「殺せ、光影———!!」
そう叫んだ。
まさにその瞬間だった。
まだシンシアの周りにいた光の粒を目掛けて、天から一筋の激しい稲光が真っ直ぐに直撃していた。
爆音が半径数百メートルに及んで鳴り響き、その直後、その粒は即座に消え失せ、周りを漂っていた蛍たちも、どこかへ消えてしまったのだった。
「シンシア殿、…シンシア公女殿下っ!!」
エリオットが何度呼びかけてもその人の重く閉じられた瞼は一向に持ち上がる気配がない。
なぜだ?なぜ目を開けない?怪我は…、していないようだが。頼むから、目を開けてくれ!
エリオットはシンシアを抱き抱えながら、必死に揺さぶりかける。彼女を包むエリオットの腕は、小刻みに震えていた。
…と、そこに、
「お嬢っ!!」
「神威?!」
フィーゼと、無鉄砲に部屋を飛び出した彼を呼び止めてここまで案内して来た羅神が駆けつけた。
「姉、上…??」
「神威…、あなた、」
羅神が見た弟の姿は、取り返しのつかないことをしてしまったことへの罪悪感と絶望感からか、視点もうまく定まらず、放心状態となっていたのだった。
なんて顔してるの———?
そんな彼のありさまに思わず立ち竦んでしまっていた。
「お嬢、…おぃ、お嬢、目を開けろ、お嬢!!
…ちょ、どいてくれ!」
「ぁ…、」
フィーゼはスッと神威の腕の中からシンシアを奪い取り、彼女を揺すりながら懸命に呼びかける。
ボーッと力なく放心状態のエリオットの姿が不意に目に入ったフィーゼは、
「申し訳ございませんが、これ以上公子殿下のお手を煩わせるわけにはいきませんので」
と付け加えておいた。
「従者さん、先に私の部屋へ公女様を運んで差し上げてちょうだい。妹たちに医務官を呼ばせてすぐに治療を…。
私は弟と後で行きます。貴方だけでも早く行って、主を助けてあげなさい!」
「わ、わかった…、ました」
羅神の言葉に一つ頷くとシンシアを背中におぶる。そんな中ふと見えたエリオットの酷い顔つきに、
…お嬢はさておき、こっちの公子の方は、はたして大丈夫なのか??
フィーゼはそう思わざるをえなかった。
「ほら、早く行って!道はわかりますね?」
「はい、先に失礼します!」
フィーゼは羅神とエリオットを残し、大慌てで来た道を引き返していくのだった。
♢
フィーゼたちが去り、静かになった東家で残されたエリオットはただ姉に懸命に優しく、柔らかく宥められていた。
「神威…。神威?大丈夫?」
羅神は弟の前にしゃがみ込んで目線を合わせて、穏やかな口調で語りかけるのだった。
「…俺が見た限り、怪我はなかった。大丈夫なはずだ」
まだ半ばボーッとしながら、ポツリポツリと言葉を紡ぐエリオットに、羅神は小さく息をついて首を左右に振る。
「私が聞いているのは西の公女様もそうだけど、
貴方のことよ?神威」
「っ———、」
「ねぇ、神威、こっちを見て。お願いだからちゃんと姉上を見てちょうだい、神威!」
羅神は彼の肩を揺さぶりながら必死に弟に語りかける。
「お、俺、は、大丈夫だ。な、何とも、ない」
まだ目は合わないが、確かに聞こえたその言葉に、そう、よかった、と羅神はホッと胸を撫で下ろす。
「一体何があったの?あの大きな雷は、貴方が?」
「アレが、また…、今度は、公女殿下に———」
「アレ…?」
「姉上も、知っ、て…。アレに、触れた者が、どう、なって———」
途切れ途切れのたどたどしい言葉を羅神は丁寧に拾い上げながら、うん、うんと、一つずつゆっくり頷いていく。
「でも、俺は、気付けなくて…、一番、そばにいたのに、」
「仕方がないわ。私たちは一の姉様や美神と違って公妃様の血は引いていないのだもの。
それにあなたは雷の加護の影響で特に耳が弱いのも相まって気配を察するのも苦手だし———」
「あの時の俺と同じだ。あの時俺は、助けてもらえたけど、あの方は…、」
ガタガタと震えながら頭を抱えてうずくまるエリオットは、
「なにもかも俺のせいだ!全部、全部俺の…。俺はまた、あの時と同じ過ちを———」
そう言いながら力なく頭を左右に振る。
その後はまるでうわごとのように、俺のせいだ、俺のせいで———と、同じような言葉を繰り返す。
「神威———」
「その名で呼ぶな!!」
取り乱す弟に、切ない表情を浮かべながら押し黙る羅神。
どうかその名では呼ばないでくれと、彼は首を左右に振る。
「俺はその名で呼ばれていい人間じゃない。俺は、はなからそんなタマじゃない。
だって俺は———、
姉上だって、わかっているでしょう?」
「かむ———」
「俺だったら良かったのに…」
彼は聞こえるか聞こえないかの声でポツリと零す。
「アレに触れたのが俺だったら———、そうすれば全ては上手くいった…」
今にも消えてなくなってしまいそうなほどの弟の姿に、彼女はかける言葉がうまく見つけ出せずにいた。
「姉上もそうお思いでしょう?」
「っ、私は———」
「公妃様だってそうおっしゃっていた。なぜ “ お前だったのか ” 、と」
「っ———、」
羅神は苦しそうにエリオットをその腕の中にキュッと抱きしめるのだった。
「私はいまだにわからない。
あの時の選択が、果たして正しかったのか…。
あなたが “ 神威として生きること” が、本当に———。
だからそのことについては私からは何も言えない」
その言葉にエリオットは人知れず奥歯をグッと噛み締める。
「こんなにも大きなモノを貴方一人に背負わせてしまって、本当にごめんなさい。…けど、これだけは言えることがある」
そう言って羅神は改めてエリオットの顔をじっと見据えた。
「どんな形にせよ、貴方が生きていてくれてよかった」
「———っ、」
「他の誰が何と言おうと、姉上は、私は嬉しい」
「羅神、姉様…」
羅神が囁いた言葉を噛み締めるように、エリオットは顔を伏せてキュッと目を閉じたのだった。その目尻からは一筋の雫がこぼれ落ちていたことに、羅神は気づかないフリをした。
「さぁ、しっかりしなさい、
「っ———?!」
羅神はエリオットの両頬に手を当て、クッと彼女の方に強制的に向かせた。
「あなたはもう一度味わいたいの?あの忌々しい過去を、もう一度」
その言葉にエリオットは苦しそうにゆっくり首を横に振り、もう2度とごめんだ、と続けた。
「ならばしっかりしなさい!あなたはこの国の次の王となる人間、ジェヘラルト公国第一公子、皇 神威 なの!誰がなんと言おうとね」
「…姉上」
「だからココからは、もぅ“ 俺 ” なんて言ってはダメ。わかるわね?」
「…はぃ」
それから2人はシンシアを襲ったモノの残骸を確認する。
「何か見える?神威」
「…いいや、“ 何も残っていない ” 」
姉の問いにエリオットは首を横に振る。その彼の眼は闇夜に青白く光り輝いている。
「やはりね…。この国はもちろんだけど、城は特に公王様が強力な結界を張ってくださっている。警備だって抜かりない。刺客が入り込む隙なんてないはず。雷の加護で夜目がきく貴方でもなにも見えないってことは、公女ちゃんを襲ったのは———」
「あぁ。アレは “ヒト ” じゃない…。彼女は蛍だと言っていた」
「そんな美しいものに紛れているの?」
「とはいえ、公女殿下曰く、蛍とは違う、青白い色を放っていたそうだ」
二人がいるそこは、再び霧雨が降り出しており、頬を掠めていく風はじっとりと生温い湿気を帯びていた。
「シンシア殿は、大丈夫だろうか?」
「信じなさい。貴方の未来の花嫁になる子よ?そしてなにより、あの桜様のご息女なのだから」
「っ———、」
エリオットはぎこちなく頷くと、姉と共にシンシアが運ばれた彼女の部屋へと急ぐのだった。
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