第32話ー十人十色とはよく言ったものだー

 それからまた、2人の間には気まずい間が訪れたが、今日は珍しくシンシアは頑張って口を開く。


「———そういえば、本当によろしかったのですか?誰一人護衛を付けなくて」


「別に…。貴女が私を殺しにかかるとは到底考えられないし。そんなことすれば、ココからクリミナードへ送っている水はたちまち止まり、あなた方の国の民に絶大な影響が出る。そんなこと、誰より物分かりがいいあなたにはきっとできまい」


「———っ、」


 自分の言葉の意図からあまりにも飛躍して返ってきた答えに、別にそういう意味で言ったわけではないのだが…と、シンシアはたじたじだ。


「フフッ、悪い、少しからかっただけだ。普段は姉たちにからかわれてばかりだから」


 と、エリオットは少し楽しそうに笑うのだった。


 そんな彼を見て、ご冗談が過ぎます…と、シンシアは小さく呟きながら、先程の食事の席でのエリオットと姉たちのやり取りを思い返していた。


「一国の王子がこんなに無防備で良いのかと心配してのことだろう?しかしそれは貴女も同じなのでは?…見たところあの従者とは、とても仲がいいみたいだったし」


「っ、そ、そんなこと…、」


 シンシアはどこか気まずくてエリオットから目を逸らした。その頬はどこか赤らんでいるようにも見える。


「心配せずとも私には、いや、私たちには加護がある。例え疑わしき者がこの城に入り込んでいたとしても、…フッ、この雷の加護で丸焦げになって即死だ」


「…っ、」


 まただ。この人は物騒なことを躊躇いもなく簡単に言ってのけてしまうので、少女はいちいち反応に困ってしまう。


 即死だなんて楽しそうに言わないでよ…。手紙では穏やかそうな口調だったのに、やっぱり実際にお話しするのとでは違う———。


 手紙と実物とのエリオットのギャップに、そんなことを思っていた。


「それに、貴女だって知らないわけでもないだろう?我が国ジェヘラルトは、陰の暗躍組織を世界中に配する、“ 陰の帝国 ”と呼ばれていることを。


 他国の刺客など、入り込める隙はどこにもない」


 エリオットの意味深な言葉に、シンシアは一つ生唾を呑み込む。


 ———聞いたことがある。


 ジェヘラルトは他の国のどこよりも、諜報員、いわゆるスパイを世界中に数多忍び込ませている国なのだと…。


 他国の機密情報の収集はもちろんのこと、場合によっては要人の暗殺も当たり前のように行なわれているのだとか。


 そんなスパイたちの腕を買って、他国の者たちが個人的にジェヘラルトの暗躍者を雇い、自分に都合の悪い者の始末などを任せている、なんて話もあるくらいだ。


 これはもはや世界中で有名な話だからそんなに驚くことではないのだろうけど、こんなにも開けっぴろげに言われると、逆に反応に困ってしまう…。


 シンシアはエリオットの発言に苦笑いしつつも、学園で習ったこと、本や新聞、テレビやラジオなどで知り得た知識をフル動員させていた。


「貴女のことも色々と調べさせてもらった。


 貴女が生まれ、お母上の桜様がお亡くなりになってから、どこでどうやって暮らして来たのかも、全て」


「———っ、」


 シンシアは一瞬耳を疑いながらもパッとエリオットを見た。


 全部調べたって、どういうこと??


 彼の言葉はにわかには信じがたい、いや、受け入れがたい言葉だった。


「第一公女の身でありながら随分と苦労されてきたようだな。本邸では特に、次の公爵夫人とその子供たち、使用人から冷遇され、肩身の狭い生活を強いられ、逃げるように学園へ———。


 その学園ではご学友など一切作らず、お一人で成績トップの座に必死に食らいついていらっしゃる、まさに努力の人だと」


 エリオットは調べ得た内容を惜しげもなく淡々と語っていく。そんな中、ただ俯いているシンシアを見ながら小さく息をつく。


 誰より孤独の中にいて、必死にこの理不尽な世界をもがき生きる、不器用でも健気で気高く、加えて心がお強い人。


 ———それが貴女なのだろう?シンシア・ロゼ・ル・クリミナード公女殿下。


 心の中でそう付け加えた言葉は、彼の中だけで消えていった。


 そのおり、シンシアは完璧に自分のことを調べ上げているエリオットに、ただ言葉をなくした。


 いやいやいや、ちょっと待って!そ、そんな、詳しく…?いや、手紙の意味———?!


 思わずツッコミたくなる要素が満載だが相手は友好関係国の公子殿下。そこはグッと堪える。


 彼女のことをなんでも知っていると豪語するエリオットだったが、一つ聞いていいか?と、口を開く。


「…なぜあの時、貴女は涙された?」


「え?」


 エリオットはずっと気になっていたのだ。先程食事のおりに、シンシアがなぜ涙を流したのか、その理由を。


 …が、改めて聞かれると途端に恥ずかしさMAXなシンシア。また石像のように固まってしまうのだった。


「…悪い、言いたくないなら、別に無理には———、」


 と、エリオットは慌てて謝るのだった。


 その言葉に、…あ、いぇ、すみません、話しますと、シンシアも慌てて首を横に振る。


 それから頭の中に並べた言葉を懸命に選んで摘み取っていく。


「私は恥ずかしながら “ 家族 ” というものを、よく知らなくて…。


 だから、私なんかをこんなにも歓迎していただけることが、


 あんなにも優しく、躊躇いもなく妹だなんて言っていただけたことが、…その、



 嬉しかったのかもしれません」



「…っ、嬉しい、か」


 恥ずかしそうにポツリと零すシンシアに、エリオットは意外そうな顔をした。


 ———なんだ、そうだったのか。あまりにも姉上や妹たちが馴れ馴れしいから、もう帰りたい、とか、そんな涙だったのかと。


 エリオットは安心したようにホッと息をつくのだった。


「っ、そうだ、末の妹の美神みかんのこと、礼を言う」


 エリオットから不意に零された言葉に、シンシアは首をかしげた。


「見てわかったと思うが、特に1番下の妹、美神は、まだまだ甘えん坊なんだ。そんなあの子を、実の姉の一神いちか元第一公女が特に可愛がっておられたんだが、その人が帝国の外れにある小国に取られてから、あの子からは笑顔が消えてしまった」


 エリオットの言葉に、取られた?と聞き返すシンシア。


 それに小さく頷いて、彼は続ける。


「半ば人質という名の政略結婚、というやつだ。私たち公族や王族、皇族の間では、珍しい話でもないだろう?


 ジェヘラルトは帝国の従属国である他の三国と違って衛星国家だと主張しているからな。


 当然ながらそれを良しとしない帝国からは、特に睨みを効かされている。


 だから、あくまで帝国のであることを、形だけでも示しておく必要があるのだ。我々は帝国の支配下にはあるのだと」


「形だけでも…」


 それぞれの国の内政事情はよくわからないし、他国の政治に口を挟むべきでもないので立ち入ったことは言えないしで、深くは聞けないシンシア。


「姫に生まれれば、いつかはこの城を出ていかなければならない。もちろん、二の姉様にも縁談の話は引っ切りなしに持ち上がっている。


 姉妹が次々にこの城を出て行ってしまうことを、家族が離れ離れになってしまうことを、まだ幼い妹たちはひどく恐れている」


 その言葉にも、だった。


 “ 家族 ” 、その言葉がシンシアの心の中にぽっかりと穴を開け、そこに空っ風が吹きぬけていくような感覚だ。


 家族と離れることが、怖い、か…。残念ながら、家族から一早く離れたくて仕方がなかった自分には、決して理解し得ない感情だ。


 シンシアは少し冷めた目でそんなことを思っていた。


 その時だった———。


【シーちゃん】


「っ?!」


 突然、頭の中である人の優しい声が聞こえた。


「…お婆、さま?」


 不意に口をついて出た言葉に、シンシア殿?と、エリオットは心配そうに首をかしげる。


 シンシアは慌てて笑顔を作って、何でもありません、と取り繕うのだった。


 わからないわけじゃない、か…。


 ただ、、なのかもしれない。


 そう思いながら心の中で冷たく笑った。


 そんな彼女の心情など知らずに、エリオットは続ける。


「———まぁ、そんなこともあって、姉上たちもついついあのチビ2人を、特に美神を甘やかしてしまいがちなんだ。


 だから私だけでもと厳しく接していたんだが、きっとそれはあの子をただ追い詰めるだけになっていたのだろう。あの子はますます自信をなくして、下を向いて縮こまるばかりだ…」


 どうしたものかと、エリオットは宙を仰ぐ。


 そんな彼の話を聞いて、やはりシンシアは美神に昔の自分を重ねてしまう。


「あの子もいずれ、王家の女として生まれた以上、どこかしらの国に嫁ぐ身だ。今のうちに礼儀作法とかを教え込まないといけないんだが…」


 エリオットはもどかしそうに溜息をつく。


「一の姉様は、一体どうやってあの子の心を推し量り、心を開かせたのだろうか。一の姉様と話す時だけは、あの子はとても楽しそうだったんだ」


 困ったように笑うその人に、


 ではどうか、全てを許して差し上げてくださいと、シンシアはポツリと言葉を紡いだ。


 許す?と首をかしげるエリオットに、


「ただ安心させてあげたらよいかと。六の姫君は、ここにいてもいいのだと」


 穏やかな口調でそう続けた。


「おい、待て、ここにいてもいいかだなんて、そんな当たり前のこと、わざわざ口に出さずとも———」


「そんな当たり前のことでさえ、わからなくなってしまうのです。いつも頭ごなしに怒られ、否定されていては、己の存在価値さえも見出せなくなってしまうものなのです」


 シンシアの言葉に、エリオットは押し黙る。


「ここに居ていいんだよって、誰かが言ってあげないと、不安で不安で仕方がなくなってしまうのです…」


 そう続けた彼女の声は、とてもか細く、弱々しくエリオットの耳をくすぐった。


 ———まるで、あたかも自分がそうだったと言いたいような口ぶりだな。


 目の前の少女を見つめながら、そんなことを思った。


「それだけ繊細なお方なんだと思います。六の姫君は、他の姫君たちとは違って———」


「おい、待て、何が違う?!あの子だって我々と同じこのジェヘラルトで生まれ、陛下の血を引いた、由緒正しきすめらぎの子だぞ?!」


「っ———、も、申し訳ございません!」


 思わず声を荒らげてしまうエリオットに、シンシアは簡単に押し負けて縮こまってしまった。そういう意味で言ったわけではないのだが…と言い返せれば良いのだが、彼女にはそれができない。


 そんな彼女を見て、———嗚呼、きっとこういうところかと、エリオットはスッと我に帰った。


 美神もいつもそうだ。私がいつもあの子の言葉を最後まで聞かずに遮ってしまうから、あの子は話すのをやめて、ただただ縮こまってしまうのだ。


 ———そうか。貴女はどこか美神あの子と似ている。だから貴女は、あの子の気持ちを理解できるのかもしれないな。


 そんなことを思いながら、エリオットの脳裏にふと、ある人の言葉が蘇る。



【貴方はもっと、世界というものを知りなさい】



【貴方には見えていないものが多過ぎる。己が目に映るものだけが全てだとは限らないのですよ】



「姉様…、」


 ポツリと声を零していた。


 今はもう他所へ嫁いでしまった第一公女、一神いちかが昔彼にかけた言葉だ。


 エリオット、様…?と首をかしげるシンシアに、ハッと我に帰ったエリオットは、なんでもない…と、頭を左右に振るのだった。


 ———誇り高きジェヘラルトの、皇一族がそんなことではいけないと、私が背負ってきた期待を無理やり美神あの子にも押し付けているだけだったのか…。


 あの子は私じゃない。あの子にはあの子なりの考えがある。それなのに私は———。



「全く、兄貴失格だな…」



 エリオットはフッと息をつくと、十人十色とはよく言ったものだと、ボソッと零した。


「じゅーにー、と、ろ…??」


 初めて聞く言葉を前に、首をかしげるシンシアを微笑ましく見つめながら、


「フフッ、じゅ・う・に・ん・と・い・ろ。


 10人いれば10人それぞれ違った考えや個性があるという、我が国の古くからの言葉、教えだ」


 エリオットは説明してやると、


「なるほど、誰一人として全く同じ人間などいない、だから面白い、ということですね」


 シンシアはそう言って一つ頷いた。


 クリミナードの言葉ではシャクーヌ、人それぞれ、という言葉に似ている。


 また一つ勉強になりましたと、すっと小さく会釈するのだった。


「自分が見えているものだけで全て知った気になるな。世界は、人の数だけ存在するのだから」


 エリオットからポツリと零れ落ちた言葉に、シンシアはふと、彼を見た。


「一の姉様がよく私に言い聞かせていた言葉だ。


 私には、まだまだ知り得ない世界がたくさんあるということだ。貴女から改めて学べた」


「そんな、私から学ぶだなんて、滅相もございません…」


「なぁ、シンシア殿、どうかこれからも私を手を貸してくれないか?」


「手伝う…と、は?」


 シンシアは言葉の意味が解せず首をかしげる。


「私はまだまだ美神の心がわからない。だから、もっと教えてほしい。あの子が何を思っているのか。どうなふうに世界を見ているのか。貴女にはあの子と同じ世界が見えているようだから」


 と、力なく話すエリオットに、


 …私でよければ、もちろんです、と、シンシアはホッとした笑顔で頷くのだった。


 そうか。この人は別に今の状況を良しとはしていない。少なからず六の姫君に歩み寄りたいと思っていらっしゃるんだ。


 彼の真意がわかって、まるで自分のことのように嬉しく思うのだった。

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