第18章ー夢雨に抱かれてー

第31話ーアマカドリ…とは何ですか?ー

 ———晩餐会がお開きとなってから、月明かりの下、シンシアとエリオットは城の庭園を2人で散策していた。


「あ、雨…」


 シンシアの言葉に、エリオットは用意していた番傘を彼女に差し向けてやるのだった。


「っ、ありがとう、ございます…」


「ジェヘラルトは水の国。年がら年中雨が降っている。ジェへリッシュウェザーという名で、各国に知られているようだが」


「…っ、えぇ、そうみたいですね」


 シンシアはその言葉に頷きながら、フィーゼが言ってたヤツだ…。と、ここへ来るまでの、彼との会話を思い出していた。


 当のフィーゼはというと、食事の後エリオットの姉に部屋へ連れ去られてしまっていたのだった。


 そんなことを思っていると、2人の会話はそれだけで途切れていた。そのことにハッと気がついたシンシアは、


「———こ、こちらでは、こういう傘を使うのですね」


 初めて見る番傘を物珍しそうに見上げながら懸命に自分から言葉を紡ぐ。


 そんな彼女に、あぁ、とだけぶっきらぼうに返すエリオット。


 また二人の間には沈黙が包み込む。そこに、シンシアはあるものが目に入った。


「…あ、エリオット様、もう少しご自分の方に傘を。肩が濡れています」


 8割方シンシアに傘を傾けているおかげで、エリオットの肩は結構濡れていたのだった。


「別にこれくらい構わない。雨に濡れるなんて日常茶飯事———」


「構わなくないです!お風邪をめされては大変です!」


 意外にも前のめりに答えるシンシアに、わかったと頷きながら、


「少しあの東屋あずまやの下で雨宿りをしようか」


 と、エリオットは行く先を指差すのだった。


「は、はい…?」


 シンシアは頷いてはみるものの、


 アズマヤ、とは?それに、アマヤドリ…、とは何だろう??


 と、聞き慣れない言葉に終始彼の話は理解できてはいなかった。


 2人は東屋の下に移動して、そこでしばらく雨をやり過ごすことにした。


 ———これが、アズマヤ…?


 シンシアはキョロキョロと見渡す。


 そんな中、


 “ パチンっ ” と、エリオットが一つ指を鳴らすと、2人の頭上に野球玉ほどの球体の光の球が一つ現れた。


「うわぁ…、明るい」


「シャンディェン…、そちらで言う、“ 雷の加護 ”、というやつだ…」


「雷の、加護…」


 シンシアはその言葉にエリオットを見ると、


「っ、けっこう濡れてしまわれましたね。すみません、大分私の方に傘を傾けてくださってたから…」


 彼の濡れた服が嫌でも目に入ってしまっていた。


 大したことないと言ってのけるその人に、


「ちょっと失礼します…」


 と、シンシアは慌てて袖口からハンカチを取り出し、エリオットの肩を拭いてやるのだった。


「構わないと言ったはずだ。この国で雨に降られるなんていつものこと」


「構わなくはありません、と申し上げたはずです。お風邪を召されたら大変です。大事なお身体ですのに」


「———意外と強情なんだな」


「え?」


 ボソッと聞こえたその言葉に顔を上げると、その人は、小さく笑っている。


「貴女は他人に干渉しない人だと思っていたが、こんなふうにお節介なところもあるとは」


「っ、も、申し訳、ございません、私、出しゃばったマネを…」


 シンシアは、余計なことだったか、と、咄嗟にそんな言葉が口をついた。


「別に謝らなくていい。



 貴女が濡れなくて、なによりだ」



 目の前のその人はポツリポツリと、ぶっきらぼうに懸命に言葉を紡ぐ。そっぽを向いた彼の頬は、少し赤らんでいるように、シンシアには見えなくもなかった。


 やはり、気を遣ってくれていたんだ…。


 彼の不器用な優しさは、こわばっていたシンシアの頬を少し緩ませていた。


「それにしても、激しい雨ではなくてよかったです」


「あぁ。…これくらいの小雨なら、きっとすぐやむだろう」


 そう話しながら、二人で暗い空を見上げる。


 ———姉様め、これも見越してのことか…。一緒の傘に入れるように気を利かせたとでも?


 エリオットはどこか照れくさそうに小さく息をつくのだった。


 そう、食事の後、2人が夜の庭園を散歩するように促したのは、エリオットの姉たちだったりする。話し下手で女性が苦手な弟への、せめてもの気遣いといったところだ。


「…あの、」


 再び生まれた沈黙を破るように、また恐る恐る声をかけるシンシアに、ん?と、そっと顔を向けるエリオット。


「さっき仰っていた、アマカドリ?、とは、何ですか?」


「え?」


 意外なことを真顔で聞くその人に、目を丸くするエリオット。


「…、あぁ、雨宿り、な。今みたいに突然雨に降られて、どこかの軒下や、建物なんかに入ったりして雨をやり過ごすことを、我が国ではそのように言う。


 …貴女の国では、かような言葉はないのか?」


「っ…。そう、ですね。そもそもクリミナードは雨があまり降らない国ですから」


「…っ、何か、すまない」


「ぇ?…あ、いぇ、別に深い意味は全くありませんので…」


 シンシアは慌てて首を横に振る。


 ———嗚呼、また余計なことを…。きっと、嫌味に聞こえてしまったんだと、自己嫌悪で人知れずうなだれる。


「雨が少ない、か。…なら、逆に好都合だ。ここにいれば、おのずと雨の楽しみ方とやらを知ることになるだろうから」


 彼の意味することがよくわからなかったのか首をかしげるシンシアに、


「雨もそんなに悪いものではないということだ」


 エリオットはそう付け加えてやるのだった。


「…エリオット様は、雨がお好きなのですか?」


「まぁ、嫌いではない、かな。雨は、善も悪も関係なく、全てを隠してくれるから」


 エリオットはポツリと言葉を零した。


「…エリオット、様?」


 そう言った彼は屋根の外にそっと手を差し出すのだった。そんな彼が、どこか儚げに見えたシンシア。


「このエリオットと言う名には、 “ 梦雨ムンユー ” という意味がある」


「ムン、ユー…??」


 目を瞬かせ、カタコトなシンシアをエリオットは可愛らしく見る。


夢雨ゆめさめ。夢に降る雨のことだ。


どうやら、私は夢の中でも雨が降っているらしい」


「夢に降る雨…。なんだか素敵な名前ですね」


「え?」


 どこが?と自嘲するその人に、


「だってそれは、寝ても覚めても、雨を見ればエリオット様を思い出せるということでしょう?


 いずれこの国の王となられるお方には、とても相応しい名なのでは?」


 シンシアは穏やかな口調でそう言ってのけた。


「そうか、貴女が解釈をすると、そのような意味を成すのか」


 エリオットは驚きつつもボソッと呟くと、そっと張り詰めていた表情を少し緩める。


 ———私に相応しい名前、か。


 不思議だ。あれほど恐れ多い、私には分不相応だと思っていたこの名前が、こんな異国の女子おなごの言葉一つで、どこか良いもののように思えてくる。


 まるで噛み締めるように、エリオットは彼女にもらった言葉を、そっと胸の中にしまい込むのだった。


 そんな彼の表情が、ここへ来て初めて会った時よりも少し穏やかなものになっているように、シンシアには見えた。


「とはいえそれは、公王様に対する不忠罪となるだろうな」


「うぇ?!また私、なにか余計なことを…?も、申し訳ございません、どうかお許しを!」


 シンシアは慌てて必死に目の前のエリオットにぺこぺこ頭を下げる。


「アハハ、さすがに未来の妻をここで亡き者にはできないから、今のは私の心の中だけに留めておこう」


 まるでからかうように楽しそうに笑いながら言う彼の顔に、シンシアはスーッと吸い込まれる。


 ———よかった、笑ってくださった。別に怒ってない、んだよね?


 …でも、あれ、今サラッと、、っておっしゃらなかった?———っ、えぇ?!


 シンシアはエリオットの発言にホッとしたのも束の間、何とも気が早い発言に内心気が気ではなかった。


 そんな2人の周りを、雨の音だけが優しく包む。


「…そういえば、食事は口に合ったか?異国の料理で、味付けも何も全然違っただろう?」


 今度はエリオットが沈黙を破って口を開いた。


「はい、初めて口にする物ばかりでしたが、とても美味しくいただきました!


 ———フフッ、五の姫君や六の姫君が食べ方を丁寧に教えてくださいましたし。


 生のお魚には、おしょーゆー?という黒いソース?ドレッシング…?をつけて食べるのですね」


 シンシアは先ほどのことを思い出しながら楽しそうに話す。


「あぁ。基本はみんな醤油をつけるが、そういえば一の姉様だけは、そのまま食べていたな。ま、そこは好みだな」


「っ、そうなのですか。自分の好みで食べられるのはとてもいいですね」


「生魚は?嫌ではなかったか?来訪者の中には、匂いが気になると言って、好き嫌いが別れるんだが、」


「はい、生のお魚は初めて食べましたが、とても美味しかったです!」


「そうか、ならよかった」


 エリオットはそう言ってホッと息をつく。


「…何が一番美味しかった?」


「そ、そうですね、———あ、テップラ?という揚げ物も、とっても美味しかったです!スープに付けたり、ソルトを少しかけたり、色々な楽しみ方があるのですね!」


「フフッ、天ぷらな。あのスープは、天つゆと言う」


「テーツユ…??」


「あ…、まさか、飲み干したりしてない、よな?」


 一瞬、目の前の彼女ならやりかねない、と頭をよぎったエリオットは慌てて問いただす。


「あ、はい、ディップするためのものだから飲んではいけない、と、五の姫君から教わりました!」


「…そうか、神奈が」


 安心したようにホッと胸を撫で下ろすエリオット。


 天つゆはスープとして飲むには濃いので、もし飲み干しでもしたら後でとても喉が乾いてしまうのを心配してのことだった。


「貴女はどちらの食べ方が好きだった?」


「っ…、ぁ、えっと、」


 途端にシンシアの声は不安気に尻すぼみとなり失速していく。


「…シンシア、殿?」


 どうしたのだろうか?とエリオットは彼女を伺う。


「…ぇ、エリオット様は、どちらがお好きですか?」


「っ、いや、私は貴女の好みを聞いているんだが…?」


 突然聞き返されてしまい、戸惑ってしまうエリオット。


 だが当のシンシアはシンシアで、なかなか答えようとしないのだ。


 そんな、少しの気まずい沈黙の後、


「言えないということは、どれも気に入らなかったか?」


 やはり無理をさせてしまったかな?と、エリオットは困ったように笑うと、


「ち、違っ、そんなこと…、」


 相手の機嫌を損ねてしまったと、シンシアは慌てて取り繕う。


「どれもとても美味しかったです、本当、です…」


 若干震える声で懸命に言葉を紡ぐ。


 だが、エリオットの問いにはなかなか答えられないでいた。———恐ろしいのだ。を口にしてしまうのが。


 だんだんと乱れかける呼吸の中、必死に次の言葉を探すシンシア。


 そんな時、彼女の耳飾りが一つ揺れる。


【大丈夫、を伝えてください。きっとこの方には、ちゃんと伝わるはずだから】


 そんな声がシンシアの耳をそっと掠めた。


 その声はとても穏やかで、優しくて、シンシアの中で張り詰めたものをゆっくりと緩めていく…。


 それからシンシアは少し間を置いて、


「…特に、ソルトをかけて食べるのが、私は美味しかった、です」


 どこか伺うようにぎこちなく恐る恐る答えるシンシアに、


「———なんだ。私と同じだったか」


 エリオットはそれだけ言って、またフワッと微笑んで見せるのだった。


 そんな彼に、シンシアは胸の辺りをグッと締め付けていたものがフッと緩むのを感じていた。


 よかった…。もし、違う方だったら、嫌な思いさせるところだった。


 シンシアはそう思いながらも、誤解も何もなく“ちゃんと伝わった”ことに心底安心するのだった。


 それからまた沈黙が2人を包む中、東屋の屋根を打つ雨の音だけが優しく心地よく耳に響いていた。


 そんな中、


「…そ、そういえば、」


 シンシアは意を決して自分から口を開いてみる。


「エリオット様、だったんですね。クリミナードからこちらまで、馬車と御者を送ってくださったのは」


 その言葉に、少しだけ変な間を置いて、あぁ、とだけエリオットは頷いた。


「てっきり私の家の者が用意したものと思っていたので、少し驚きました。ありがとうございました、ここまで連れて来ていただいて。ぜひあの方によろしくお伝えください」


 シンシアはそう言って丁寧にお辞儀するのだった


「…モントレーへと国境を越える際、少し大変な思いをしたそうだな」


「っ?!…どうして、それを———?」


 シンシアは途端にビクッと肩を跳ねさせるが、


 まぁ、当然といえば当然か。この人が用意した人だもの。連絡が行っいて然るべきか。


 と、冷静な頭でそう悟った。


「貴女の器量でうまく事をかわしたのだとか。さすが、見事だったな」


「…そんな、滅相もございません」


 シンシアはエリオットの言葉に恐縮する。


 私の器量?そんなはずない。ただ単に、私が公族としての証を証明できたからに過ぎない。


 ———私が凄いのではない。公女殿下という私には過ぎた地位がすごいというだけのこと。


 シンシアは力なく小さく息をついた。


「別に謙遜しなくていい。貴女はとても頭が切れる人のようだ。あんな窮地に立たされておきながら、それを見事に回避できるだなんて、恐れ入った」


「…っ、」


 大絶賛する彼に、とんでもないです…と、恐縮しながら頭を下げるシンシア。


 だが、そんな彼女の中では少し疑念が残った。


 まさかとは思うが、この人は初めから全て知っていて、あの御者もグルだったのではないか、と。


 もちろん、“ 通行証 ” を持ち合わせていなかったのはこちらの落ち度ではあるが、ではジェヘラルトから遣わされたというあの御者は、一体どうやってクリミナードに入ったというのだろうか。きっと自分が通ったものと同じ道を通ってきたに違いない。


 だがそんな彼とて、あの時通行証は持っていないと言っていた…。


 それがもしウソだったなら…?


 まさか、あの時全て試されていたのではないか?もしかして、自分は全てこの人の手の内で踊らされていたのではないか———?


 ふと、シンシアはそんなことを疑ってしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る