第30話ー大丈夫ですよ、ゆっくりでー

 と、その時だった。


「…ソレ、いただけますか?」


「っ?!」


 そこで声をかけたのは、シンシア、ではなく、その従者の方だった。


 ぶっきらぼうではあるが、できる限りの優しい口調で、フィーゼはそっと手を差し出した。


 だが、状況はなかなか動かない。


 だんだんと笑顔が引きつって来た従者を見かねて、エリオットは小さく息をつくと


「美神、早く———」


 と声を荒らげるが、エリオット様とシンシアが慌ててそれを制した。そして、


「フィーゼ、私が…」


 小さく従者に声をかけると、従者は小さく頷きその場からスッと下がる。


 それからシンシアは美神に改めて向き直り、



「ゆっくりで、大丈夫ですよ」



 そう優しく声をかけるのだった。


 シンシアの目の前にある小さな肩は、ピクンと反応したかに見えた。


 ———そうだ。あの時の私は、この言葉に救われたんだ。


 あの時あの人が、そう言って優しく声をかけてくれたから、私は———、


 シンシアは過去にそうやって同じように優しく話しかけてくれた “ あの人 ” のことを、心の奥底で確かに思い出していた。


「焦らなくて大丈夫です。ゆっくり、ゆっくりで大丈夫です」


 シンシアはまるで当時の記憶を辿るように、目の前の美神を自分に見立てて、優しい口調で語りかけてやるのだった。


「…っ、」


 やっと顔を上げた美神の目はどこか不安に揺れていた。


「フフッ、私、実は誰よりも気が長いんです。だからどうか、怖がらないでください。安心してください、大丈夫ですから…」


 彼女にしか聞こえないくらいの程よい大きさの穏やかな言葉に、ゆっくりと頷く目の前の小さな少女。


 二つのクリクリした瞳からポタポタとこぼれ落ちた雫が、床を濡らした。


「どぅ、じょ…、」


 消え入りそうなほど小さく可愛らしい声がシンシアの耳に心地よく響く。それに続いて、震える小さな手で、少女は持っていたものをシンシアに差し出すのだった。


「っ…、ありがとうございます、頂戴いたしますね」


 シンシアは穏やかな笑みで、両の手でそれを大事そうに受け取るのだった。


 顔を上げた美神は、シンシアの柔らかい対応に安心したのか、まだ目尻に雫が溜まる中、ニコッと精一杯に笑うのだった。


 その顔に、シンシアをはじめ、フィーゼや周りの人間はホッと一息ついたのだった。


「ところで、これは…?」


「“ 桜 ” です。折り紙で作ったの」


 美神の代わりに神奈が説明する。


 淡い桃色の折り紙で折られた5枚の桜の花びらを中心で糊づけされたものだった。


「サクラ———っ、」


 その言葉に、シンシアはハッと何かを思い出す。


 ———確か、この国でのお母様のお名前…。お花の名前でもあったんだ。


 シンシアは手の中の贈り物に愛おしそうに目を落とす。


「5枚の花びら、一枚ずつを姉様たちと5人で作ったの!私がこれを折って、美神がこれ。こっちが羅神らかん姉様、こっちが神矢かや姉様で、それで、これが神音かのん姉様の!あ、神音姉様はね、今ご病気で…、だから、私と美神、2人で代わりに折ったんだよ?」


「そうなのですね」


 神奈の説明を嬉しそうに、うんうんと頷くシンシア。


 ———皆様がコレを、私なんかのために、わざわざ…??


 シンシアにとってにわかには信じがたいその言葉に、彼女は目の前や周りに座るエリオットの姉妹たちに目を映す。


「姉上たち、いつの間にこのようなものを…」


 エリオットも知らなかったようで目を丸くしている。


「フフッ、やっとこっちを見てくれた」


 シンシアと目が合って、第三公女の神矢が嬉しそうに口を開く。


「ここに入って来てから今まで、ずーっと下ばかり向いているのだもの。よかった。顔が見れて。


 その瞳の色、あっちの、クリミナード公国の秘宝、氷翠石ひすいせきの色とよく似ているんだってね。とっても美しいわ!」


「…お、恐れ入ります」


 そんな彼女の言葉にペコッと頭を下げるシンシア。


「本当に、どこから見てもとても美しくて可愛らしい子ね…。ウチの神威にはもったいないくらいに」


「三の姉様あねさまっ…」


 楽しそうに弟をイジる神矢にエリオットは慣れたようにツッコむ。


 そして最後に、ここでは姉妹の一番年上の第二公女の羅神が、


「その桜は、不恰好かもしれないけれど、私たちからの歓迎の印です。どうぞ、これから仲良くしてくださいね。私達の可愛い弟、神威の花嫁さん。そして、私達の可愛い可愛い妹ちゃんとして」


「…っ、」


 ———妹…。


 その言葉が、シンシアの心をトクンッと一つ脈打たせた。


 かつて兄たちに散々愚妹と罵られてきたシンシア。そんな彼女が今までで言われてきた “ 妹 ” の中で、一番優しく、心地良く、そして一番安心する “ 妹 ” だった。


 どうしてこんな———、私は、私には、何もないのに…。


 シンシアの瞳からはハラハラと雫が次から次へとこぼれ落ちていく。


「シンシア、殿??」


「おじょ———、主?!」


 突然のことでフィーゼをはじめ、エリオットたちもオロオロとし始める。


「公女様、どうしたの?ご飯、美味しくなかった?」


 神奈の言葉に、シンシアは口元に手を添えて小さく首を横に振る。


「桜、気に入らなかった?ヘタクソだった?」


「違っ、違うんです。


 ごめんなさい。ごめ…、な、さ…」


 シンシアは突然のことに自分自身でも慌てふためいていた。


 どうして?なにも悲しいわけではないのに、むしろ逆なのに。なぜこんなに涙が———?


 早く止めなければと焦る彼女の耳に、ある言葉が耳を掠めた。



【悲しくなくても、涙は出るんだよ】



 嗚呼、そうだ。きっと私は今———、


 シンシアは無意識に左の耳飾りに手を添えていた。


 そんな時だった。


「…どぅ、じょ」


 美神が、今度はハンカチをシンシアに差し出していたのだ。一瞬目を見張ったシンシアだったが、


「…っ、ありがとう、ございます」


 と、小さな手から丁寧にそれを受け取ると、


「お嬢…」


 フィーゼがそっと、折り紙を受け取ろうとシンシアに手を差し出す。


 すると、


「だめ!これ、お姉ちゃんの!」


 美神はやはり、シンシアから桜を取り上げようとするように見えたフィーゼを警戒する。


「あ、いや、少し預かるだけです。すぐ主にお返ししますので———」


「ダメ!!」


 美神は両手を広げてシンシアの前に佇む。


「うぅ…、」


 たじたじのフィーゼと、こらっ、美神!と妹の腕を掴もうとする神奈。


「お待ちください、五の姫君」


「っ、公女様、」


 シンシアの声に、神奈はゆっくり美神から手を離す。


「六の姫君、ご安心ください。いただいた桜のお花は、決して手放したりはいたしません。ずっと大事に持っていますね」


「…っ、うん!!」


 やっと涙が止まったシンシアに、美神はキュッと抱きついたのだった。


 見知った者以外からの抱擁は生まれて初めてのシンシアは、少し戸惑いながらも、その小さな身体を優しく抱きしめるのだった。


 それを見ていた姉兄たちは、


「美神がこんなにも他人に心を許すなんて、しかも初対面の人に…。とても珍しい、いや、あり得ないことだ」


「…よっぽど、西の公女殿下のことが気に入ったのね。良かったわ。神威の相手が、一番の手だれを、一番初めに手中に納めるような、とっても良い子で」


「でも、あんなに甘えん坊な美神が…。お姉ちゃん寂しくて泣いちゃう…」


 シンシアたちの様子を、目を細めながら微笑ましく見つめる兄や姉たち。


「…で?はいつ挙げるの?」


「ぇ?」


 その言葉にシンシアはエリオットたちの方に顔を向ける。


「二の姉様、話が早過ぎます…。シンシア殿は、まだ———」


「あら、まだ落とし切れてないの?!神威、貴方まさか、姉様たちの言う “ 計画 ” をちゃんと実践していないのでは?」


「っ、姉上!!」


「ケイ、カク…??」


 シンシアは何のことやらとポカンと口を開く。


「あぁ、シンシア殿、聞かないでくれ!」


 エリオットは慌てて彼女にそう告げるのだった。


 そんな子らのやり取りを、微笑ましく上座で眺める公王と公妃なのであった。


「大変申し訳ない。姉や妹たちが、勝手気ままな振る舞いを、」


「…い、いぇ。私の方こそ、お見苦しい所を見せてしまって、申し訳ございませんでした」


 シンシアはシュンっと頭を下げるのだった。


「何言ってるの。さっきの涙も、とっても素敵だったわよ?」


「フフッ、もっと見せてくれてもいいのに」


「姉上方!いい加減謹んでください」


「まぁ、言うようになったわね?神威」


「ちょっと前まであ〜んなにちっちゃくて可愛かったのにね〜」


 また笑い声が会場に響き渡る。


 自分の行いを咎めるでもなく、温かく包み込んでくれるこの空間に、シンシアの心の中にはポワンとした温かいものが、じんわりと広がっていくのだった。


 そんなシンシアの向かい側に座るエリオットも、姉たちにいじり倒されて頬や耳までも赤く染めているのだった。


「…おっほん。


 何はともあれ、私たちが貴女を歓迎しているのは本当だ。だから、ココにいる間は、どうか遠慮などせず、存分にくつろいでいってください」


「…はい、ありがとうございます。エリオット様」


 困ったように笑いながら言うエリオットを見て、きっと本心で言っていることなのだろうと、シンシアもやっと柔らかく微笑むことが出来たのだった。


「私、公女様の隣で食べる!」


 突然の神奈の言葉に、美神も、うんうん、と頷いて、自分たちの席からお膳を持ってくる2人。


「っ、おぃ、こら、お前たち、」


 また勝手なことを———と慌てて声を荒らげるエリオット。


「よいではないですか、神威。せっかくなのですから。こんな機会、滅多にないことですよ?あの子達がこんなにも楽しそうなのは久しぶりですし」


「公妃様…」


 穏やかに言う公妃に、エリオットはたじたじだ。


「そうよ、神威。そんなに怒ってばかりだと、花嫁ちゃんにすぐ嫌われちゃうわよ?ねぇ、公女殿下?」


「っ…、あ、えっと、」


「バッ、二の姉様…っ、」


 言葉に詰まるシンシアに、余計なことを言わないでくださいとエリオットは大きくため息をつくのだった。


 そうやって、その場は賑やかに過ぎていくのだった。

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