第28話ー直々のお出迎えー
ドアのノックが聞こえて、フィーゼはすっと立ち上がり、シンシアの後ろに控える。
シンシアが戸惑いながらも返事をしようと口を開こうとしたところに、フィーゼが彼女に手をかざしてそれを制すると、スッとその場に立ち上がった。
彼は足音も立てずにゆっくり扉に近づくと、少し低い声で、どなた様で?と向こう側に問う。
「
「スメラギ…?」
知ってるか?とフィーゼはシンシアの方を見ると、彼女は首を横に振るので、扉を開けるのを躊躇っていると、また別の声で
「エリオット第一公子殿下とその従者です。西の公女殿下を晩餐のお迎えに上がりました。入ってもよろしいでしょうか?」
と聞こえたので、シンシアは慌てて、開けて開けて!と、首を上下に振るので、フィーゼも、お、おぅ、と慌てて扉を開けるのだった。
「———っ、」
向こう側で待っていた人物を見て、思わずひとつ息を呑んだ。これが、ジェヘラルトのボンボンか。どんなやつかと思えば、えらく品がある綺麗な顔しやがって…と、ぱっと見そんな感想が浮かんだ。
「———開けてくださったのなら、若…、殿下をお通しください」
目の前のその人の後ろに控えているのであろう従者らしき声に、開口一番そう言われて、フィーゼはハッと我にかえると、
「っ、す、すんません、どぞ」
と、その人、ジェヘラルトの第一公子殿下を部屋へ招き入れるのだった。
シンシアはスッと立ち上がり、客人にひとつ会釈をして迎え入れると、
「…っ、」
当のその人は、そのまま吸い込まれるようにシンシアに釘付けになり、言葉を失ってしまっている。
「あ、あの…、」
そんな彼に、シンシアは恐る恐る声をかけると、彼はハッと我に帰った。それから真っ直ぐにシンシアの前まで足を進め、深々と一礼すると、スッと彼女の前に跪いたのだった。
突然のことに、ふぇ?!と一歩たじろぐシンシアを、シンシアは真っ直ぐに見つめる。
シンシアが身につけている紫藍石を思わせる瞳が、彼女のターコイズブルーの瞳に映し出される。
何と美しい瞳だろうか。思わず吸い込まれそうになってしまう…。お母様の瞳も、こんなに美しい色だったのだろうか?…ぼんやりとそんなことを思う。
ジェヘラルトの民が持つ黄色人種の肌色に、シンシアと同じ淡い黄金色の、ショートカットの美しい髪をしていた。
あれ、でも、この人———?
シンシアはそっと首をかしげた。
「お久しぶりです。“ ユエ・ラ・シュェンテ ” 」
「は、はぃ?」
ゆ、ゆぇ、ラ…、ん??と、目をパチクリさせながら、聞いたことがない外国語に思わず、今、なんて?と、固まってしまうシンシア。
「…ご息災であられましたか?クリミナード公女殿下」
困惑するシンシアを見て、慌てて共通語に戻すその人は、緊張気味に彼女を見上げる。
「お、お久しぶりです。
我が名は
ジェヘラルト公国、第一公子です。
クリミナード公国、シンシア・ロゼ・ル・クリミナード公女殿下に、ご挨拶申し上げます」
そう言って、エリオットは改めてシンシアに深々と丁寧に一礼した。さすがは第一公子、所作は完璧だ。
「初めまして。申し遅れました、シンシア・ロゼ・ル・クリミナードです」
そう言って同じくエリオットに頭を下げるのだった。
「———初めまして、か。その様子じゃ、私のことは、記憶にない、か?」
「っ、も、申し訳ございません…。母の葬儀に参列してくださった時に、一度お会いしたと聞いてますが、なにぶん、あの時は私も幼かったもので」
シンシアは慌てて目の前のその人へ言い訳めいた言葉を紡ぐ。
ダメだ、咄嗟に初めましてって…、嗚呼、またやってしまった…と、シンシアは心の中で項垂れながら、慌てて取り繕う。
だが、あれなんだったのだろう?この人の顔を見た時の、あの違和感は———?
シンシアはそっとエリオットの顔を見つめる。
「確かに、あの時の貴女はこんなにも小さかったのだから…」
そう言って、エリオットは当時のシンシアの身長を手の高さで表現する。
「…殿下は覚えていらっしゃるのですか?当時の私を。一度しかお会いしていないのに?」
シンシアの問いに、もちろん、と頷くその人は、とても穏やかに微笑んでおり、シンシアは思わず見惚れてしまう。
「当時は言葉を交わすことは叶わなかったが、まさか12年経った今あんなに幼かったお嬢さんが、こ、こんなにも、お、お美しく、なられた、とは…」
最後はどこかカタコトになりながらも頑張って言い切ったその人。普段あまりにも言い慣れていないのであろうことが、鈍いシンシアにもヒシヒシと伝わってきて、懸命に自然な顔を保つ。
対してシンシアの近くに控えていた氷の従者は、思わず、ブッ———と吹き出しそうになるのを懸命に堪えるのに必死だ。
その瞬間をばっちりと視界に捉えていたエリオットは、改めて自分が言った言葉を思い返し、途端にカッと頬を赤らめるのだった。
「す、すまない、突然変なこと言って…。忘れてくれ!」
シンシアから全力で顔を背けるその人だったが、不意に見えた耳までもが既に赤く染まっていた。
そんなエリオットの言動に、
「ぁ、いや、違っ!別に俺、笑ったわけじゃ———」
と、フィーゼは慌てて言い訳がましくフォローを試みるが、
ぇ、フィーゼ、笑ったの?と、シンシアがパッと彼を見て来たものだから、
「違っ、笑ってねぇ!笑いそうになっただけで、ちゃんと堪えたわ!」
話をややこしくすな!と、主の言葉に即座に言い返したところで、
「っ———?!」
フィーゼの背筋にビリッと一筋の電気が走る。
———な、なんだ?今の。この王子が何かやったのか?
慌ててエリオットの方を見るが彼が何かした様子はない。フィーゼはキョロキョロとあたりに気を配るのだった。
「ほぅ?上の者を笑うなど、いい度胸だな?お前」
「え?!いや、その———、さっきのは言葉のあやっていうか…、だからちゃんと堪えて———」
「わ、笑われたのは私の方です!公子殿下」
フィーゼに詰め寄るエリオットに、慌てて口を挟んだのはシンシアだった。
「殿下のお言葉が、私なんかにはあまりにももったいなきお言葉だったので、分不相応だと、彼は笑ってしまっただけです。勘違いさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。私に免じて、どうか我が従者をお許しください」
「っ———、」
深々と頭を下げる公女の言葉が、一瞬で、ちょっとしたカオス状態になっていたその場を収めたのだった。
「公女殿下ともあろうお方が、従者に笑われるとは———」
「違っ!彼は、からかい上手なだけです。いつもこうして、和やかな空気を作ってくれているのですよ」
「和やか、ですか…」
懸命に笑顔を作ってエリオットに受け答えをする主を前に、咄嗟に気まずそうに目を逸らす従者。
———嗚呼、また、守られてしまった。俺が守ってやらんといかんのに…。
フィーゼはどこかやるせなさそうに拳をギュッと握るのだった。
「けれど、驚きました。公子殿下直々に迎えに来てくださるなんて。感謝申し上げます」
「感謝だなんて、大袈裟です。未来の我が花嫁に、これくらい礼を尽くすのは当然ですから」
そうでなくとも、クリミナードという遠い地からわざわざ出向いてくださったのですから、感謝しなければならないのはこちらの方です」
エリオットの言葉に、そんな、滅相もございません、と、シンシアはそう言って恐縮に恐縮を重ねるのだった。
「話の続きは向こうでいたしましょう。父上や母上、姉上や妹たちもいる。久々に皆を介しての食事です。皆、貴女と会うのを楽しみにしているのです。…さ、行きましょう」
と、シンシアに肘を差し出すエリオット。
「っ、…ぇっと、」
その行為に戸惑うシンシア。
「殿下はエスコートしてくださるそうです。なんとも恐悦至極にございますね。…さ、殿下の肘に手を添えてくださいませ、“主”」
「っ、は、はい!」
フィーゼはそっと後ろから声をかけて次の行動をサポートしてやるのだった。
フィーゼの言葉通りエリオットに身を委ね、2人は会場へと向かうのだった。その後ろをそれぞれの従者が付き添う。
———にしても、まさかここまでするとはね…。衣装や装飾品の用意といい、直々のお出迎えといい、本当に花嫁のこと、お嬢のこと、大切に思っていらっしゃるということだろうか?
2人の後ろをついて行くフィーゼは、シンシアの歩く速さにも自然と合わせているエリオットの様子を見て、そんなことを思っていた。
「その、衣装、いや、そちらの国ではドレス、と言うのか。…えっと、と、とてもよく、に、似合ってる。装飾品も、その髪の色に映えて、とても、美しい」
「っ、恐れ入ります…」
先ほどからあまりシンシアと目が合わないエリオット。ぎこちない喋り方も相まって、かなり緊張していることが、手に取るようにわかる。
「ありがとうございます。こんなに素敵なものをご用意いただいて」
「え?」
「着替えを手伝ってくださったメイドの方に教えていただきました。この衣装や装飾品、全て殿下がご用意くださったと。お心遣い痛み入ります…」
「た、大したことはない。———実は、その、断られるんじゃないかと、内心気が気ではなかったのです」
「そ、そんな…。まさかジェヘラルトの衣装に袖を通す日がくるなんて、思いもよりませんでした。色使いといい、とても素敵な衣装ですね」
シンシアはエリオットの言葉に、穏やかに微笑んで答える。
とはいえ、メイドさんが教えてくれなかったら受け取ってなかったかもだけど…。と、密かにメイドたちに感謝もするのだった。
「フフッ…、気に入ってもらえたならなによりだ。
だが、耳飾りだけはお気に召さなかったか?左に付けているのは、私が送ったソレではない、ですよね?」
その言葉に、シンシアは返事に戸惑い俯いてしまう。
とてもよく見ていらっしゃる…いや、自分が贈ったものだから、気になって当然か。
シンシアの心臓はドキドキと脈打つのだった。とても失礼なことをしていることは重々承知してのことだったが、やはり気まずい…。
言葉を失ってしまったシンシアを見兼ねてか、突如声が聞こえてきた。
「———こんな暗い場所なのに気が付かれるとは、公子殿下はそんなにも、
お目が良くていらっしゃるのですね」
「っ…、」
「フィー、ゼ…?」
ふいに後ろにいたフィーゼが、黙り込むシンシアに代わって口を開いていたのだ。
「我々は夜狩りをすることもあるからな。それに私は体質上、夜でもよく目が効く」
「へぇ、便利な体質ですこと」
少し嫌味を織り交ぜたつもりだったものを、淡々と打ち返されてしまったので、フィーゼもまた同じトーンで返すのだった。
「ちなみに左の耳飾りは、我が主が大層気に入られている品です。悪く思わないでやってください」
「お前の右耳に付いているそれと色は違うがよく似ているな…。ペアなのか?」
「っ…、えぇ、主から下賜していただいた大切なモノです。俺が主のモノだという、いわばマーキングと言ったところでしょうか」
咄嗟に口を突いて出たフィーゼの言葉に、
「っ?!ちょっ、フィーゼ、へ、変なこと言わないで!!
エ、エリオット様、申し訳ございません、我が従者が無礼な物言いを———、」
シンシアは恥ずかしそうにエリオットに謝罪する。その頬はそっと赤く染まっていくのだった。
「アハハ、怒られてしまった」
少し楽しそうに、そして少し心配そうにフィーゼはシンシアの様子を見るのだった。
「従者とは相変わらず仲が良いのだな」
シンシアにしか聞こえない大きさの声で、ポツリと呟くエリオットに、
「ぇ?」
と、シンシアは声を零して彼の方を見る。
それは、どういうことだろう?
シンシアの心臓はやはり激しく脈打つのだった。
「その耳飾りもよく似合っているよ。紫藍石にも色が似ている気がする。まるで貴女のお母上の瞳の色のようだ。…もしかして、それはお母上のモノ、とか?」
「ぇ?!あ、いぇ、そういうわけでは———」
シンシアは苦笑いでそっと目を伏せる。
お母様の持ち物は、お継母さまにほぼ燃やされてしまったから、私の手元には何もありません…。
誰にも聞かせるでもなく、シンシアはそっと心の中にそんな言葉を落とした。
「長い間手紙でやり取りはしていたが、実際会ってみてもやはり、貴女はステキなお方に成長されたようですね」
「そ、そんなこと———」
「私は?貴女の目に、私はどう見える?手紙通りだろうか?それとも———」
「ぁ…、えっと、」
思わず言葉を詰まらせるシンシア。
「フフッ、そんな真剣に悩む必要はありません。まだよくわからない、ですよね?当然だ。一緒に食事をしながら、ゆっくり話しましょう。ゆっくり、知っていってくれればいい。私のこと、この国のこと…」
「は、はい…」
「大丈夫、緊張せずともここには公爵家の、
そっと、シンシアの耳元で囁くエリオット。
その言葉にそっと息をつくシンシア。
———多分、安心しろってことなのだろうけど、申し訳ありませんが、それは別に、私には何の慰めにもならないのです…。
エリオットの言葉では全然緊張は解けず、精一杯の苦笑いしか返せないシンシア。
そして2人は、ジェヘラルト公族が介す食事の間へと、足を踏み入れたのだった…。
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