第27話ーたとえ見えなくともー

 …ねぇ、フィーゼ、と、シンシアはポツリと言葉を漏らした。


「私、怖い…。


 また変なことして、色んな人に迷惑をかけたら、嫌な思いをさせてしまったらと思うと、ゾッとする。せっかくこんなにステキなドレスを用意してくださったのに、私、申し訳なくて…、」


 決して見えることのない “ 期待 ” という存在に押しつぶされそうになって震え上がる小さな少女が、そこにいた。


 ———そんな時だった。


「…フィー、ゼ??」


 気がつくと、フィーゼは椅子に腰掛けるシンシアの目の前に跪き、視線を合わせてくれていた。


 いつのまにか膝の上で固く握られていた少女の手に、彼の手が重ねられる。


「そんなにギュッと握ってたら、折角のドレスがシワだらけになっちまうぞ」


「っ、ご、ごめんなさい…」


 従者に言われて改めてやっと少し手の力を緩めるシンシア。だが、相変わらず震えは止まっていないようだ。


「———なぁ、お嬢、俺はよかったよ?貴女に出会えて。本当に。心からそう思う」


「絶対ウソ…」


 ポツリと零された主の言葉に、おいおい、瞬殺かよ…と苦笑いの従者。


 結構頑張って言ったのに…と口を尖らせて不服そうだ。


「ウソなわけあるかよ。契りの苦痛が発動しないのがその証拠だ。


 貴女もよく知っているだろう?契約上、眷属は主に嘘がつけないって」


 戯けたように言うフィーゼに、シンシアは恐る恐る顔を上げる。


 やっとこっちを見たな、と、主と目が合った従者は、とても穏やかで柔らかい顔をしていた。


「安心しろ。お嬢はいっぱい持ってるよ。


 誰にでも無条件に優しいところも、時々こうして卑屈になって、勝手に落ち込むところも、そんなところもぜ〜んぶ、余すことなく全て貴女のものだ。


 ———そう、貴女は持ち過ぎなの!贅沢なほどに。さすがは一国の姫君だ」


「…す、すみません」


 途端に肩をすくめるどこまでも謙虚なその人に、違っ、別に攻めてるわけじゃなくて…、と慌てて取り繕う従者。


「———あ〜だから、その、少しは俺にも分けてくれよって話。持ちすぎて抱えきれんくなった分は、俺が持つから」


「…フィーゼ」


「知ってんだろ?俺がお嬢よりは力持ちなこと」


 そうやって面白おかしくおどけて言ってくれる従者に、


「っ、フッ、そうだね。ありがとう、フィーゼ…」


 シンシアはそう言って、フワッと微笑んだのだった。


「あ、そうだ。耳飾り、貸して?」


 そう言うとフィーゼはシンシアからいつも付けていた耳飾りを受け取ると、今彼女の右耳に付いている紫藍石のモノを外して、それに付け替えてやったのだった。


「ダメだよ、フィーゼ、そんなことしちゃ…。エリオット様が、悲しまれ———」


「はい、アウト」


 フィーゼはシンシアの口先に人差し指をポンっと当てる。


「お嬢が悲しむ方が問題だろ。我慢せずに嫌なもんは嫌って言え」


「…でも、」


 シンシアはそっと俯く。


 そんなこと言ってしまえばそれこそアウトだと、その言葉をグッと喉に押し込めるのだった。


 そんな彼女に、


「イグォルたちの言葉、もぅ忘れたのか?俺はあのヌミの森で最強と謳われた冬の精霊アウスジェルダだ。


 もしご婚約者殿や他の奴らがお嬢に指一本でも触れてみろ?こんな国潰すくらい、赤子の手をひねるより容易い———」


「ちょっ、フィーゼ!!」


 シンシアは慌てて今のは完全にダメなヤツ!と彼の口の前に指を一歩立てる。


「どこで誰が聞いてるかわからないんだよ?!言動には注意してっていつも言って———」


「貴女はいつ何時でも、それだけの力で護られてるってことだ」


 真っ直ぐに言い放たれたその言葉に、シンシアは目を逸らせない。


「それはつまり、貴女はいつも



 “ 神のご加護が届く場所 ” にいるってわけだ。



 そのことをゆめゆめ忘れるな」


「フィーゼ…、」


「フッ、そう思えば恐れるものなんてなにもない。貴女のそばにはいつでも神の代行人、神使がついてんだ。…まぁ元、だが」


 ニッと笑うフィーゼだったが、


「そんな言い方だと、なんだか “ 怖い力 ” に聞こえる…」


 と言う主に、少し目を伏せる。


 ———怖い、か…。確かに否めないな。この力で、俺は神使となり、そして神堕ちとなったのだから。…けど、


 フィーゼはすっと顔を上げた。


「そんな怖い力でも、お嬢はその慈悲の心で、 “ 優しい力 ” として使える、だろ?」


「っ、だから私はそんなんじゃ———」


 また自分を否定しようとする少女の手に、フィーゼはあやすようにポンポンと自分の手を重ねる。


 ———ホント、珍しく気が立ってるな。いつもの貴女ならもっと冷静に、…いや、違うか。ずっとだ。俺が気付いてないだけで、もうずっと、貴女の心は不安に揺れていたのか。


 シンシアの様子を伺いながら、これまでの彼女の様子を思い浮かべてみる。


 思えば久々に学園を離れての長旅だ。この2、3日だけでも、色んなヤツと会って、話をしなきゃならんかった。苦手な家族、モントレーで初めて会ったヤツら…まぁ、アイツらは精霊だけど。


 ずっと気を張ってたことだろう。ずーっと。気が休まることなんてなかったはずだ。


 それにこれからだって、顔もろくに知らない婚約者とかいうヤツと、その家族との食事が控えている。明日はその婚約者の誕生パーティーだって?今日よりももっと多くの人がこの子の前に会する。


 緊張しないはずないじゃないか。


 怖くないはずないじゃないか。


 平気でいられるはず、ないじゃないか———。


 フィーゼは小さく一つ息をつく。


 限界なんて、当に迎えていたに決まっているのだ。


 それなのに貴女はいつもそうだ。


 不安を、恐れを、感情ってものを、スッと心の内に隠してしまうから。



 “ 大丈夫なフリ ” を、してしまうから…。



 どこかもどかしそうに、シンシアの手に重ねる自分の手に少し力が入ってしまう。


 彼の目の前の小さな少女は、押し寄せる不安に潰されそうになりながら、その目は不安にゆらゆらと揺れていた。


 フィーゼはもどかしそうに奥歯をギュッと噛み締める。


 ———アイツなら、この人がここまでになる前にちゃんと気付いて、ケアしてやれるんだろうな…と、また、正体も思い出せない誰かを思い浮かべながら、そんなことを思っていた。


 そんな彼の心を知ってか知らずか、耳飾りが一つ、煌めくのだった。



 ———そんな時だった。


「〜♪」


 フィーゼはそっと歌を口ずさみだす。


 それにハッと彼を見るシンシア。


 この歌、お婆さまが昔歌ってくれた、子守唄…?


 シンシアは心の中で呟きながら目を丸くする。


 フィーゼが口にするのは、シンシアが幼い頃にライルからよく歌ってもらった子守唄だった。


 ———どうしてフィーゼがこの歌、知って…?私、フィーゼの前で一度も歌ったことないはずなのに。


 …でも、不思議。この声聞いてると、自然と心が落ち着いてくる。


 ふいに目が合った彼の目は、


「———っ?!」


 左眼こそ普段の雪色をしているが、耳飾りをしている右の目が、ターコイズブルーに優しく光っているように見えたのだった。


「フィーゼ、目が…、」



「大丈夫ですよ、“ お嬢様 ” 」



 彼からは聞きなれないその呼び方に、シンシアは…ぇ?と思わず声を漏らす。


「大丈夫です。 “ 僕も ” いますから…。



 貴女は絶対に、大丈夫です」



 シンシアは目の前の彼から、目が離せなかった。


 一体どうしたの?だなんて、あなたらしくもない…。それに、“ 僕 ” だなんて、まるで、“ 別人 ” …。それにこの声、フィーゼのじゃ、ない…?とても懐かしい。そぅ、この声は———、


 普段と違う口調の彼に戸惑うばかりのシンシアだが、早る呼吸と鼓動に、耳飾りも小さく揺らめいている。


 すると、


「… “ お嬢 ” ?」


 と、聞き慣れた呼び方が、不安そうな声で彼女の耳に届く。


「どうした?ボーッとして。大丈夫か?」


 その問いにシンシアは、大丈夫、とゆっくり一つ頷くと、



「私を心配してくれる人が、“ まだいたんだ ” と思って…」



 シンシアはそっと付け直した左の耳飾りに触れるのだった。


「ったりめぇだろ!?


 ———俺は貴女の従者なんだから」


 そう言って胸を張って言う頼もしい従者に、シンシアは何も言わずに笑って頷くのだった。


 シンシアがふと見た彼の右眼は、またいつもの雪色に戻っていたのだった。


 どうやらいつものフィーゼに戻ったようだと、シンシアはホッと胸を撫で下ろした。


「よし、緊張、少しはほぐれたみたいだな」


 従者の言葉に首をかしげる主。


「手の震えが止まってる。…気付いてなかったか?」


 言われて、みれば…。と、シンシアは落ち着きを取り戻しつつある自分自身にやっと気が付いたのだった。それからなし崩しにピンと張り詰めていたものがふっと緩んだのか、重ねていた手の上には、ポタッ、ポタッと温かい雫がゆっくり落ちてくる。


 フィーゼはそれには気付かないふりをして、静かに、トン、トン、と重ねる手でリズムを取る。それに合わせるように、シンシアは浅くなった呼吸を懸命に整えてもらうのだった…。


 ———それから少しだけ心の余裕が出てきたシンシアは、


「…ぁ、そうだ、フィーゼ、時計持ってる?」


 と、フィーゼがいつも使っている懐中時計を取り出させる。


「確か、あのおっさん、食事は19時からって言ってたから———、って。えぇ?!」


 フィーゼは自分で言いながら何度も時計盤と睨めっこする。


 そして、まるでこの世の終わりのように言葉を失っている。


「あと30分だね」


 シンシアは壁にかかってる時計を指差しながら呟くと、フィーゼは、ぇ?!と慌ててそちらを確認すると、あぁ…、ぇ?!と混乱している様子だ。


 それを見て、やはり、と小さく笑う主。


「フィーゼの時計の針、もしかして今20時30分を指してるんでしょう?」


 全て読まれたかのような言葉に、これまた、え?!と思わず声を漏らした従者は、何でわかったんだ?と主を見る。


「———あぁ、ったくいつの間に狂ったんだ?いつもネジは欠かさず巻いているはずなのに。師匠にもらった年代物だから、とうとうガタがきたか?」


「時計が壊れたわけじゃないよ。知ってた?ココはクリミナードと10時間の時差があるんだって」


「…ジサ??」


 聞き慣れない言葉に、フィーゼは訝しげな顔をする。


「その時計の針は、今のクリミナードでの時間を表してる。今クリミナードは、朝の8時30分ってこと」


「…な、なるほど??」


 フィーゼが先程、盤上を見て心臓が思わず飛び出そうになったのはコレだった。


 約束の時間は7を差す19時と言われていたのに、肝心の時計の針は、それを1時間以上もオーバーした、8時30分を差していたからだ。


 …良かった、焦ったぁ。


 そうか。ジェヘラルトは東の国。クリミナードとは真反対に位置してるから。こっちが夕暮れ時なら、向こうは朝ってことか…。へぇ、これが時差。


 精霊は人間のように細かく一分一秒いちいち時間を気にしないので、どこか不思議そうに納得する。


「さっきみたいに間違えちゃうから、時計の針を2時間戻しておいて、って言いたかったの」


「…は、はい」


 フィーゼはシンシアに言われるがまま、ネジをいじりながら時計盤の針を戻すのだった。


 と、その時だった。


“ コンコンッ! ”


 と、部屋のドアがノックされたのだった。

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