第26話ーあの子を縛るモノー
一方その頃、シンシアの部屋では…、
「さぁ、公女殿下、夜の晩餐会の準備をさせていただきますので、まずはこちらの衣装にお着替えくださいませ」
「うぇえ?!」
フィーゼがシンシアから離れたのを見計らって、女官たちが3名ほど彼女の部屋へ様々な小道具を手に押し寄せたのだ。
あれよあれよという間に用意された、美しい青色の衣装に着替えさせられるシンシア。
———これが東の民族衣装か。私が知っているドレス、とは少し違う?布をこんな風に何枚も重ねて着るんだ。腰にも布を巻いて…。
それに、青はこの国、水の国を象徴する色。ただの青が濃淡のグラデーションにより、数多の青となり美しくあしらわれていて、とっても綺麗…。
初めて着る漢服にも似たジェヘラルト公国の民族衣装。目の前の鏡に映る普段と違う自分の姿に、シンシアは思わず目が奪われる。
「まぁ、とてもお美しいですわ、西の公女殿下。———まるで、“ 桜様 ” の生き写しかのようです」
「セィ、キュ、ラ、さま…??」
馴染みのない名前に上手く発音できず、首を傾げるシンシア。
「…ぁ、失礼いたしました。さ・く・ら、様です。———外での言い方では、キルシュ様、でしたね」
この世界の東西南北を支配する4つの国は、中央に位置する帝国と同じ文字、同じ言葉を第一言語に、それぞれ国によって発音、イントネーションの違いがあり、他にも独自の文字を生み出し、使っている国もある。
特にここ、東のジェヘラルト公国はそれが顕著で、帝国の言葉より自国の言葉を重んじていると、他国の要人たちからは叛逆のきらいを厳重に警戒されているのだ。
シンシアの母は、キルシュ・ネラ・ジェヘラルトという名前とともに、
「キルシュ…、っ、お母様の、名前…??お母様をご存知なのですか?!」
シンシアはやっと聞き慣れた名前を耳にして、パッと女官の方を見た。
「は、はい、公女殿下。私は昔、貴女様のお母様、キルシュ様がまだこの国にいらっしゃった頃、側でお仕えしておりましたので」
「本当ですか?!なら教えてください、お母様のこと。一体、どんな方だったのですか??」
今まで大人しかったシンシアが急にテンションを上げて食い気味に尋ねて来たので、女官は目を丸くする。
その様子を見て、———ぁ、すみません、と途端に縮こまるシンシア。
「私、母のことは全然知らなくて。さっきの、さ、く、ら?…それも、お母様のお名前なのですか?」
「はい。この国だけで名乗られていたお名前です。
…西の公王様からは、そのことについては何も?」
女官の言葉にシンシアは困ったように笑いながら首を横に振った。
その仕草に、そうですか…。とどこか申し訳なさそうに女官は言葉を漏らす。
「父は、母を思い出したくない、ということでしょうか?」
そっと目を伏せるシンシアに、
「公王様はきっと、それほどキルシュ様のことを大切に想われていたのでは?」
と、女官は言葉をかけてやるのだった。
「今の公女殿下をご覧になられれば、西の公王様は嫌でも、キルシュ様のことを思い出してしまわれるでしょうね…。だってこんなにも似ていらっしゃるのですから。それが、お辛いのかもしれません」
「思い出すのが、辛い…。
それほど、まだお父様は、お母様のことを?」
「…そうかもしれませんね。だとしたら私どもとしても、とても喜ばしいことです。今も変わらずあの方を、私たちのお嬢様を愛してくださっているなんて」
「愛、して…、」
シンシアは胸の辺りがキュッと締めつけられる思いだった。
「キルシュ様は、我が国の公王陛下のご親戚、はとこでいらっしゃいます。
王都から少し離れた伯爵領の小国の姫君で、年が近い公王様のご学友として、よくこのお城に遊びにいらしていたのですよ。とてもお転婆な方で、まだ幼い頃は公王様を引き連れてお城の中を走り回っておられました」
「そうなんですか…」
自分とは間反対の母に、シンシアは意外そうな顔をする。そんな彼女の表情も楽しみつつ、女官の一人がシンシアの髪を整えていく。
「さすがはキルシュ様の忘形見であそばされる、公女殿下ですね!お母様の髪の色をそのまま受け継がれておいでで…。とてもお美しいです」
「…あ、ありがとう、ございます」
シンシアからはやっとホッとした、嬉しそうな笑みが溢れた。
そっか、この髪の色、
シンシアは改めて鏡の中に映る自分を見つめる。そこには、白にも近い、淡く美しい黄金色の髪を纏う少女がいた。
そしてそっと周りに控える女官たちを見ても、似たような髪色をしているのだ。
今までクリミナードではこの髪の色が悪目立ちしてしまい、散々からかわれたり、あまりいい思いをしてこなかったこともあり、こうして改めて髪のことを褒められて、シンシアはどこかくすぐったく思うのだった。
「では、その耳飾りはこちらへ。代わりにこれを付けてください」
不意に女官の一人がシンシアの耳に手を伸ばすが、
「や、やめてください!!」
シンシアは慌てて声を荒らげる。
ダメ、触らないで…と、咄嗟に女官の手を避けるのだった。
その行為にもちろん周りは戸惑う。
「これは、そのまま付けておきます。大事なモノなので」
「しかし…、」
「同じ青い宝石を身に付けられるのなら、ぜひ、こちらの紫藍石になさってくださいませ。これはジェヘラルトの秘宝でございますれば———」
「…でも、」
やはり渋るシンシアに困り果てる女官は、
「実は———、」
とゆっくり口を開いた。
「こちらのお召し物や装飾品は全て、この日のために、ご婚約者であられるエリオット殿下が直々に貴女様にご用意なされたものなのですよ?」
「ぇ、殿下が?!」
予想外の言葉にシンシアは目を丸くした。
「フフッ…、驚かれましたか?ですからどうか、殿下のご厚意を無下に扱わないで差し上げてくださいませ」
そう言われてしまっては、シンシアはもう何も返せなくなってしまうのだった。
渋々耳飾りを外し、女官が持って来たそれに付け替える。
テーブルに置かれたシンシアの耳飾りを、彼女は名残惜しそうに見つめるのだった。
ごめんね、今夜だけ…。
そう心の中で語りかけた時、耳飾りのトップに付いたコバルトブルーの石が少し寂しそうに揺れたようにシンシアには見えたのだった。
それから首には同じく紫藍石の首飾りが付けられる。
そして、頭には紫藍石をあしらったティアラが付けられた。
鏡に映る宝石は、どれもとても美しく輝いて見えはするが、シンシアの表情はどこか少し浮かない顔をしていた。
それを見て、
「もしかして緊張されていますか?」
化粧を担当する女官が鏡の中のシンシアにそっと声をかける。
驚いたように顔を上げるシンシア。
「すみません、不安そうなお顔をされているように見えたもので…。大丈夫です。公女殿下は我が国の公族の方々全員に歓迎されておりますよ?」
女官は優しい穏やかな声でそう言うと、そっと彼女の耳元で、
「エリオット公子殿下は特に。
殿下がここまでなさるのは、本当に珍しいことなのですよ」
そう、笑顔で囁いたのだった。
その言葉に、戸惑いを隠せないシンシア。
そんな、どうしよう、ここまでしていただいて…、、
自分はその想いに上手く応えられるだろうか?と、まだ見ぬ相手からの十分過ぎるほどの心遣いに、シンシアは更に気負ってしまうのだった…。
それから一通り準備が整い、…では、私たちはこれで。と、女官たちはシンシアの部屋を後にしたのだった。
♢
———それからしばらくして、コンコンッ、とシンシアの部屋のドアがノックされた。
「は、はぃ…!!」
シンシアはビクッと肩を一跳ねさせて、たどたどしく返事をした。
その後に、
「お嬢、もうすぐ食事の時間だけど、準備できたか?」
と、ドアの向こうからフィーゼがひょっこり顔を覗かせたのだった。彼の顔を見て、ホッと上がっていた肩を下げるシンシア。
その様子を見て、フィーゼはゆっくり部屋に足を踏み入れる。
———すげぇな。比べるまでもないが、俺の部屋とはまるで勝手が違う。
豪華絢爛な部屋の装いに、フィーゼはまた、シンシアと自分とでは住む世界がまるで違うことをことごとく思い知らされる。
そしてとうとう、奥に座るシンシアに目が留まる。そこには美しく着飾って、髪型も普段とは違った主が、照れくさそうに座っている。
しばらくジーッと彼女を見つめるだけで何も言わないフィーゼ。
数ヶ月前の仮面舞踏会の時よりも、更に美しくなった(※フィーゼ目線です)主の姿に目を奪われ、思わず言葉を失って呆然と立ち尽くす。
「な、なに?なんか言ってよ…」
「…いや、その、」
あまりに静かな従者に痺れを切らした主がポツリと呟くものの、返す言葉なんて早々思い浮かばない。
…フィーゼの心の内はこんな感じだ。
はい、可愛い〜!!ってか待て待て待て、何だ、その見慣れない民族衣装は。破壊力抜群過ぎんだろ!マジでやめろ。目のやり場に困るわボケ———!!
てな感じで、言葉はアホほど浮かぶのだが、その内容がガチでアホすぎて口には出せないのである。
フィーゼは上手くシンシアを見れないまま、ゆっくりと彼女に近づく。
そして、コホンッと一つ咳払いをすると、
「…き、キレイ、です」
とだけ、聞こえるか聞こえないかのか細い声で呟くのだった。
「あ、ありがとぅ…」
普段彼からは聞きなれない言葉にシンシアは照れくさそうにぶっきらぼうに答える。
そんな彼女は頬を、そして耳まで赤く染めているのが、フィーゼには見て取れたのだった。
「…けど、アレだな。ドレスとか色々一式持って来たものは着なかったのな?」
「急にメイドさんたちが入って来て、色々準備してくださったの…。こっちに着替えてって」
「ふ〜ん。———耳飾りも変わってる」
フィーゼはそっと、シンシアの左耳に付けられた耳飾りに手を添える。
「…うん。この紫藍石は、ジェヘラルト公国の特産品なんだって。クリミナードで言う氷翠石みたいに」
「だから、耳飾りもこっちに変えろって?ハッ、まだ嫁いでもないのに何考えてんだ?!傲慢過ぎだろ」
フィーゼは飽きれ顔で吐き捨てる。
「まぁまぁ…。この紫藍石はね、別名、“ 蒼い夜空の奇跡 ” って呼ばれてて、蒼色の中で星が瞬くようにラメみたいな光がキラキラと輝いていることから、その名前が付けられたんだって。綺麗だね」
そう言いながら、シンシアはフィーゼをなだめる。
それが耳に入っているのかいないのか、やけにフィーゼは静かだった。
———まぁ、普段は氷翠石に合わせたターコイズブルーの衣装が多いから、こっちのサファイアブルーの衣装も、また新鮮でなにより。
っ、いや、俺にとってはまた違ったお嬢が見られてむしろラッキー?あぁ、いやいや、何考えてんだ、俺は。
頭の中ではまたそんな言葉にできない言葉を色々と巡らせており、それを処理するのに気を取られていたのだった。
「フィーゼ、聞いてる?」
「ぇ?あぁ、うん。相変わらず雨がやまないな〜って」
適当すぎる返しに、もぅ全然聞いてないじゃない…と、呆れ顔のシンシア。
「っ、確かに雨はやまないけど、そうじゃなくって。
———この衣装も装飾品も全て、エリオット様が揃えてくださったんだって。だから、」
その一言に、はぁ?!と、フィーゼの眉間には深く皺が刻まれる。
「フィーゼ、顔怖い…」
主のツッコミにすかさず、うるせぇ!と返す従者。
…で?その衣装と装飾品が何だって?と話を戻す。
「エリオット様が、ね、用意してくださったんだって。クリミナードから持ってきたものがあったんだけど、殿下のご厚意を無下にしないでほしいってお願いされちゃって…」
「…っ、来て早々、姿も見せずに何のアピールしてくれてんだよ全く」
「やっぱり、ちょっと派手だよね…。綺麗ではあるけど。今からでも持って来たものに着替えた方が———」
「いや、可愛いよ」
「っ…、え?」
ボソッとフィーゼが溢した言葉に、シンシアはパッと彼を見る。
「お嬢はそれくらい派手でも問題ない。むしろ普段が控えめ過ぎなんだ!だから、余計なこと考えずに、堂々と胸張ってろ」
「…っ、あり、がとう、フィーゼ」
一生懸命言ってくれたと言うことは伝わったようで、シンシアは柔らかい笑みで答える。
当の彼は相当照れくさかったのか、以降うまくシンシアを見れないでいた。
それから話すこともなくなってしまった2人の間には沈黙が流れていた。
「———緊張、してる?」
それを先に破ったのはフィーゼの方だった。
答える代わりにビクッと肩を跳ねさせる少女は、先の女官の発言もあり、それほど表立って緊張していることを自覚させられてしまう。
フィーゼの目の前の少女は、そわそわと手持ち無沙汰にドレスの裾をキュッと握ったり離したりしている。見るからに緊張しているとしか言えない人のそれなのである。
「———とはいえ、相当気に入られてるようだな。まだ顔を合わせたわけでもないのにお嬢にココまでするなんて」
「何が目的なんだろう。何だか急に怖くなってきた」
不安そうな顔つきになるシンシア。
そんな彼女を見て、
「目的もなにも、ただただ歓迎されてるんじゃねぇの?お嬢はソイツの未来のお妃様なんだから」
フッと笑って軽く答えてやるフィーゼ。
———だが、
「やめてよ。手紙だけのやり取りしかしたことがないんだよ?そんな相手に、こんな豪華な衣装や装飾品を贈るかな?絶対なにか裏があるんだよ、きっと」
そう話す少女の心は、全然緩んでくれていないようだ。
———珍しく疑り深いな。いつもなら他人の厚意だってもっとゆる〜く受け取るのに…。ま、普段からこれくらい警戒心を持ってもらった方が、俺としてはありがたいんだが。
シンシアの意外な発言にフィーゼはそんなことを思いながら、意外そうな表情で彼女を見るのだった。
「手紙だけでもお嬢の良さが滲み出てたってことだろ?文字だけで惚れさすなんて、お嬢も隅に置けな———」
「だから怖いの!」
突然声を荒げたシンシアに、フィーゼはピタッと動きを止める。
「手紙だから、文字と文字だけだから、少しはまともに相手とお話ができるだけ。手紙は、相手の顔を見なくてすむから…」
ポツリポツリと紡がれていく、彼女の言葉。
「…けど本当の私を見たらきっと、エリオット様は失望されるに決まってる」
「本当の貴女?」
「私はまともに他人と話せもしない。友達だっていない。話してても、変な方向に話が逸れちゃったり、知らない間に余計なこと言っちゃって、相手の機嫌を損ねちゃう。イライラさせちゃう」
少女はどこかやるせなく一つ息をつく。
「こうして、こんなに綺麗に着飾ってもらえるのは、一重に私がお父様の、クリミナード公王の娘だからってだけ。クリミナード公国の公女だから。それだけのこと。そうでもなきゃ、私なんて———」
「貴女は貴女ってだけで十分だ。俺がこの数百年で出会ってきたどんな人間よりも優しくて、慈悲深くて———、だから、」
「それが “ 幻想 ” だって言ってるの!!」
結構照れくさい言葉を言ったものの一瞬にして全否定され、フィーゼは固まる。
「フィーゼは私を美化し過ぎてるだけ。私はあなたが思っているような立派な人間じゃない…」
今にも消えてなくなりそうなほどの、目の前の弱々しい少女言葉に、何と返してやるべきか、従者はわからなかった。
「
【愚かで何もできないお前は、何もないのだ】と。
【公女ということ以外に存在価値がないお前を見兼ねた公王様が、お婆さまが住む離れに、隠したのだ】と。
私は、【生まれてきてはいけなかったのだ】と」
「何言って———!?」
ポツリポツリと零れ落ちる言葉に、フィーゼはやるせなく長く深い息をついた。
———もう何年もの間、この子をきつく縛り付けるもの。
こんなにも深く根付いてしまった、幼い頃から植え付けられてきた固定概念…。
“ 洗脳 ” という名の呪縛。
あるいは “ 呪い ” 。
今の公爵夫人からしてみれば、前公爵夫人の忘れ形見であるこの子の存在は、脅威でしかないのだろう。息子のどちらかを次期公王の座に据えたいはずだから。
だから彼女を婆さんの所に、別邸に追いやったんだ。
そして婆さんも、孫娘が陥っている状況に心を痛め、受け入れたのだろう…。
フィーゼは人知れず奥歯をグッと噛み締める。
「フィーゼだってわかってるでしょう?私にはなにもない。公女だからってこと以外に、私の存在価値なんてな———」
「お嬢っ!!」
フィーゼはシンシアの言葉を遮って、必死に彼女に声をかけながら、負の感情に振り切ってしまっている彼女を呼び戻そうと躍起になっていた。
やめてくれよ。どうか自分のことを、そんなふうに言わないで…。
フィーゼは苦しそうにシンシアを見つめることしかできないのだった。
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