第25話ー「間違い」ってなんだよ?ー
それからしばらく馬車を走らせ、王都に入れたのは、夕暮れ時だった。
「…では、ここからはアチラにお乗り換えください」
「え?」
「乗り換える、だと…??」
「うわぁ…」
「…さすが水の国というだけのことはあるな」
目の前には所狭しと水路や架け橋が広がっている。まるで水の上に浮かぶ国、と言ったところだ。
「あ、待てお嬢、ほら、傘!」
霧雨ではあったが、スッとシンシアに持ってきていた傘を差し出してやるフィーゼ。
とはいえ、じめ〜っとした空気に、少し身体が重く感じるのは気のせいだろうか?カラッとした空気のクリミナードとは相反していて、雪が多いモントレーでも、ここまでではなかった気がする…。
それに視界が悪過ぎる。辺り一面霧がかって遠くの景色がまるで見えやしない。
「…こりゃ確かに、馬車じゃ進めないな」
「そうだね…」
隣のシンシアも勝手が違いすぎる初めての景色に、若干引き気味の様子だ。
馬車じゃ通れないというのは視界以外にも理由があった。7割以上が水で囲まれたこの国は、陸路もあるにはあるのだが、主な移動手段が陸路ではなく水路を使用しているため、馬車が通れるだけの広めに作られた道があまりにも少ないのだ。
そして、御者が言うアチラには———、
「…何だ、あれ。小型の船、か?」
水路で2人を待つ一艘の船らしき何かが浮いていた。
「確か、本で見たことある。…ゴンドラ、とか言ったっけ」
シンシアはポツリと呟く。
さすがは博識のこの人。相変わらずなんでも知っているようだと、フィーゼは感心しつつも誇らしく思う。
「ごんどら…。
っ、あぁ!!様相がドラゴンを似せてる、とか?」
「それは…関係ないんじゃないかな?」
折角のフィーゼの閃きに、遠慮がちにツッコむシンシア。
「———すみません」
フィーゼはそのまま傘をシンシアに託し、自分はそそくさと荷物を馬車からゴンドラに移すのだった。
その際、シンシアはそっと彼に傘を差し掛けてやっていた。
そして、全て積み終えると、
…ほらお嬢、手、貸せ!と、シンシアに手を差し出すフィーゼ。
シンシアは少し照れくさそうに差し出されたそれに自分のを重ねるのだった。
「足元、気をつけろよ?」
「う、うん…」
シンシアはフィーゼに支えられながら、恐々とゴンドラに乗り込むのだった。
それを確認した船頭は、ゴンドラをゆっくりと動かそうとしていた。
「…ぇ、馬車と御者さんは?」
「あの者の役目はココまでです。そもそも我が国より公子殿下が遣わせた者ですので」
船頭は恐れ多いのか頭を下げてシンシアの顔を見ることなく答える。
「はぁ?!ちょっと待て。…んじゃあ、あのおっさん、国境での “ 通行証 ” のことも、もしかして知ってたんじゃ?」
まさかの発言にフィーゼは思わず声を上げ、その隣でシンシアも、た、確かに…と頷く。
そんな2人の様子を見て船頭は、
「———はて、何のことでしょうか?」
と、どこまでもとぼけて見せるものだから、
「テンメェ———」
俺たちがあの時どんだけ苦労して———と、フィーゼが思わず拳をグッと硬く握ったところに、
「フィーゼ、」
「———っ、」
シンシアがその拳を自分の手で包み込み、首を横に振りながら彼を制するのだった。
「公子殿下が、わざわざ迎えを遣わせてくださっていたのですか?」
シンシアは船頭に向き直って穏やかな口調で首をかしげる。
「…はい、そのように聞いています」
「左様ですか。全然気づいておりませんでした。教えていただき感謝いたします。後で殿下にお会いしたら、お礼を申し上げないと」
船頭の言葉に彼女はどこまでも冷静で、フィーゼはそんな主を見て、やっと自身も平静を取り戻していくのだった。
そうして一通り話しがつき、改めて王城を目指して、長い水路をゆっくりとゴンドラで進んでいく。
「———うわぁ、すごいね…。クリミナードじゃまず見れない景色」
「これで天気がよけりゃ、もっといいだろうに」
「まぁまぁ。こうやって霧がかってるのも、なんだか幻想的で素敵じゃない?」
と、2人は話しながらも、異国ならではの初めての景色を楽しむのだった。
———それからしばらくして、2人を乗せたゴンドラは宮殿の地下に繋がる大きなトンネルの中へと入っていくのだった。
程なくして船着場が見え、そこには何人もの使用人が列をなし、深々と頭を下げてシンシアを出迎えている。
「ようこそいらっしゃいました、西の公女殿下」
「…こ、こんにちは。ぁ、えっと、こんな遅い時間になってしまいまして、大変申し訳ございません」
時刻は午後5時を少し過ぎた頃だった。
「とんでもないです。長旅で大層お疲れでしょう。どうぞ、お部屋へご案内いたします。従者の方もこちらへ」
「あぁ、ども…」
シンシアは女の使用人に連れられ、客人用の部屋へ向かう。それの数歩後ろからフィーゼも黙ってついて行くのだった。
「それでは公女殿下はこちらの部屋をお使いください。従者の方は、そちらの者がご案内いたします」
と、一緒に同行していたまた別の、少し大柄な男の使用人が、ついて来いとフィーゼを導く。
「っ、フィーゼ、」
今の今までずっと一緒だった従者と、突然引き離されることになり、急に不安に襲われたシンシアは慌てて従者の名を呼ぶ。
そんな彼女はなんだか珍しかったので、少し驚いた素振りを見せるフィーゼだったが、瞬時に平静を装うと、
「っ、大丈夫、落ち着いてください、“ 主様 ”。荷物を置いたらすぐ戻って来ますから」
「———わかった、待ってる。でも、すぐ来てね?なるべく、早く」
「…っ、もちろんっすよ、主のご命令とあらば!」
主を少しでも安心させようと、少し戯けた口調で笑って返すのだった。
…ったく、不安そうな顔しやがって。
心ではそう思ってるはずなのに、それとは裏腹に緩みそうになる顔を必死に引き締める。
シンシアが以前にも増して、感情を表に出そうとしてくれるようになったことに、少なからず内心はとても嬉しく思うのだった。
フィーゼは主と女官たちに軽く頭を下げて、先を行く男の使用人の後をそそくさとついて行くのだった。
♢
腕を頭の後ろに組みながらフィーゼは密かに周りの様子を伺いながら歩いていた。
「———おい、俺を主から遠ざけて、一体どこへ連れて行く気かな?おっさん」
前を歩く大柄な男の背中に話しかけるフィーゼ。
「ここ一体の区域は高貴なお方が住まわれる場だ。お前のような低い身分のヤツが寝泊まりすること、ましてや足を踏み入れることさえおこがましい場所なんだよ」
「おい、“ お前 ” って…、そりゃ客人に向かって失礼———っ、…はぁ、いや、結構。続けて」
さすがに聞き捨てならない言葉にフィーゼは突っかかりそうになるが、ここへ来るまでの道中でのシンシアの言葉を思い出して、男の言葉に食い下がろうとするのをどうにか抑え込む。
それを見て使用人はまた口を開く。
「我々が今向かっているのは、
男の言葉に、フィーゼは一つ息をついた。
そう、だよな。俺はただ公女殿下に仕えてるってだけの、一介の従者に過ぎないのだから…。
相手が敬語を使うのだって、自分にではない。お嬢に対してだ。自分はオマケのようなもの。
自分が凄いんじゃない。そばにいるあの子が偉大過ぎるのだ。
近くにい過ぎたせいで、もはやそんなこともわからなくなっていた。距離感がバグっていたようだ。
だからここに来てこんな短時間にも関わらず、嫌でもわからされてしまった。己の身の程ってヤツを。シンシアとの格の差を、身分の差を。
あの子の隣にいることは、決して当たり前のことではないのだ。
それから2人の間には会話らしい会話もなく、しばらく歩いて男は足を止めた。
「ここだ。滞在中は好きに使って構わない」
案内された部屋の中は、ベッドと小さなテーブルと椅子が1つずつ、といった必要最低限のものだけが置かれていた。
「ご苦労さん。…そういや、アンタは誰かの従者なのか?」
不意にフィーゼが質問すると、
「ワシはただのこの城の使用人だ。公族の方々に直接お仕えしているわけではない。お前をここに案内したら、また仕事に戻る」
男は淡々と答えるだけだった。
それに対して、あら、そうかいと適当に言葉をかけてやるフィーゼ。
「消灯時間は23時。必ず部屋に戻っているように。
言っておくが、それを過ぎたら決して部屋を出るなよ?ましてやお前がその時間、主の部屋にいたとなれば、不敬罪でお前は投獄、下手をすれば首が飛びかねん。
お前の主とて罪は免れんだろうな」
「おいおい、来て早々脅すなよ…。俺は護衛なんだぞ?主の側で守るのが俺の仕事だ!」
フィーゼは男の言葉に慌てて言葉を紡ぐ。
不敬罪?投獄?主が罪に問われる?一体何の話やら、だ。
「はぁ、さっきのお前の主のあの様子じゃ、そんなことがあるやもしれんからな」
ため息混じりに男は腕組みしてフィーゼを見下ろす。
「…そんなこと、って何だよ?」
「公子殿下がいらっしゃるにも関わらず、ましてやこの城の中で間違いを犯されては困るという話だ」
「っ?!間違いって、どういうことだ、テメェ」
男の言葉に思わず声を上げるフィーゼ。
「俺はどれほど罵られようが構わんが、おじょ———、我が主になんて言い草か?!アンタも不敬罪で、俺が直々にクリミナード式に裁いてやろうか?あぁん?!」
低い声でそう言いながら、頭の中でピンと来ていた。
———そうか、コイツまさか、お嬢と俺の仲を疑ってやがるのか?
…フッ、さっきのあの数分で俺たちがそんな風に見えたなら、俺にとっては、まぁ、喜ばしい限りだが。
なんて言葉が浮かんで思わず笑えてくる。
…と、その時だった。
「———っ?!」
目の前の使用人の男が突然両耳を抑えてガクッと膝をついた。
「おぃ!急にどうした?」
「耳、が…、」
耳?とフィーゼは慌てて苦しそうに蹲る彼の様子を伺う。
そこから何かを察した彼は、そっと、自分の右耳の耳飾りに触れる。
———ま、まさか、な…?
半信半疑にフィーゼはそーっと耳飾りを外してみると、
「———っ?!」
まるで超音波のような、まさに意識もぶっ飛びそうなほどの、“ キーン!” とした爆音が鳴り響く、と言うよりも、耳をガンガン突き刺す、いや潰す勢いだ。
いや待て待て、何だコレ?!…頭が、割れる———。
フィーゼは慌てて耳を塞ぐが効果はほとんどない。
「…クッソ、」
なんとか力ずくで耳飾りを元通りに付け直すと、
「っ?!」
———あれ…、音が、消えた…?
先程の不快な異音はスーッと止んだのだった。
「はぁ、はぁ…、なんだったんだ、今の。…大丈夫か?おっさん」
「…はぁ、はぁ」
目の前の使用人の男もやっと音が収まったのか、耳から手を離して乱れた呼吸を整えていた。よく見ると彼は全身にびっしょりと汗をかいていた。
「あぁ、大丈夫だ。急に今まで体験したこともないような耳鳴りが…」
「っ…、つ、疲れてんじゃねーの?働き過ぎなんだよ。今日くらいちょっと休んだらどうだ?」
と、適当に彼を労わる言葉をかけながら、その肩をペチペチと叩いて誤魔化す。
まさか、“ 耳飾りのせい ” だなんて言えるわけがない。
「若いヤツに心配されてちゃまだまだだな。ワシは仕事に戻る。食事は19時からだ。遅れず主をお連れしろ」
「…フッ、わざわざアンタに言われなくとも」
それから使用人が去った後、フィーゼはドサっと乱雑に荷物を置くと、部屋のベッドに身体を預けたのだった。
そして再び耳飾りを取って、目の前に掲げてジーッと見つめた。
今度は何も聞こえず穏やかだ。気持ち悪いほどに。
窓から差し込む夕陽にターコイズブルー色に輝く宝石の部分が照らされて、美しく光を放っている。
「おぃ、さっきの、“ お前 ” がやったんか?」
「…。」
「フッ、お嬢のこと悪く言われたんが、そんなに気に食わなかったか?」
「…。」
何を問いかけても、それはただの耳飾り。何も返ってこない。
「お嬢にしか返事をしない、か…。ったく、腹立つわ〜お前」
フィーゼは今すぐにでも耳飾りを壁に放り投げたい気持ちを、なんとかグッと抑え込んで、ダラんと力なくその腕をベッドに預けるのだった。
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