第17章ー霧が護る雨の国ー
第24話ー水の国・ジェヘラルトー
帰りの道中、馬を走らせながらシンシアはポツリと口を開く。
「そういえば、みんな人間の姿をしてた、よね…?」
みんな普段から変化を解いた姿をしているのかと思ってたと意外そうに話す彼女に、まぁ、そりゃな、とフィーゼは頷く。
「精霊は変化を解いた姿は、滅多なことがない限り自分以外の他人には晒さない。例えそれが同族であっても、だ。いつ見える側の人間に姿を見られて、命取りになるかもわからんしな」
フィーゼのその解説に、シンシアは一度だけ、自分の前で彼が精霊の真の姿を見せた時のことを思い出していた。
だからなのだろうか?フィーゼが再び変化を解いた姿を見せてくれないのは。あんなに美しい姿だったのに…と少し寂しく思う。
「人間の姿をしていれば、精霊だとバレないから?」
「そうだな。いくら結界を張って人間から住処が見えないようにしているとは言っても、ほんの目眩しに過ぎない。
万が一があって、お嬢みたいな見える側の人間に森の中に足を踏み込まれてしまったとしても、人が住む森なのだと、勘違いさせられるだろう?」
「っ…、それくらい、人間は精霊さんに警戒されてるんだね」
「誰も、
「…っ、そう、だね」
フィーゼの一言に、お互いの耳飾りがフワッと揺れる。
全ては人間が一方的に犯した過ちだ。
自らの利益に目が眩んだ人間たちが、決して犯してはならない領域をめちゃくちゃにしてしまった大罪———。
シンシアはやるせなくそっと目を伏せる。
今回、自分は本当にラッキーだったのだ。本来あそこは人間が決して足を踏み入れてはいけない場所。それを、危険を犯すようなマネをしてまで、自分たちを
そんなイグォル達の厚意に、シンシアは改めてそっと感謝していた。
そんな時だった。
「…なぁ、お嬢、聞こえてたよな?全部」
突然のフィーゼの言葉に、え?とシンシアは顔を上げる。
「俺が、小屋の中でアイツら2人に話してたこと、全部」
フィーゼの問いに答えない代わりに、彼女は小さく一つ頷いた。
「…はぁ、やっぱり。
「ぅえ?!」
その言葉に今度は目を見張るシンシア。
うそでしょ?!何か恥ずかしいこと言ってなかったかな?私…。
と、フィーゼの言葉に途端に恥ずかしくなってくるのだった。
「んな驚くなって。お嬢も聞いてたんだから、おあいこ、だろ?」
「…う、うん」
ぶっきらぼうに話す従者に、同じくぶっきらぼうに答える主。
「…ありがとう、俺のこと、信じて、くれて」
それはとても小さな声だった。
「お嬢、言ってくれただろう?
俺が神堕ちになったのは、あんなことしたのは、何か理由があるはずだって。理由なく、俺はそんなことしないって。
イグォルに真っ直ぐ言ってくれたの聞いて、…正直嬉しかった、すごく」
ポツリポツリと聞こえてくる声。今の体制上、後ろのフィーゼを振り向けないので確認こそできなかったが、きっと今の彼の顔は、頬を、いや、耳までも真っ赤にしているに違いない。シンシアはそう思って小さく笑う。
「従者を信じるのも、主の仕事だから」
「っ…、それだけ?」
「え?」
意外な答えが返ってきてしまい、シンシアは返答に困る。
突然黙りこくる主に、…いや、いい。とだけ従者は返すのだった。
そしてそれ以上は追求してこなかった。
「お嬢が信じてるって言ってくれたからさ、
「っ…、そう。話せてよかったね。ちゃんと誤解も解けたみたいだし」
「…うん」
「“ お兄ちゃん ” って、呼んでもらえてたね」
「…うん」
シンシアの言葉に頷きつつも、やはり全て聞こえていたんだなと改めて確信するフィーゼ。
こんなに素直な彼は本当に珍しいと、シンシアはそっと目を丸くする。まさか熱でもあるのだろうかと疑ってしまうほどだ。いや、きっとこれが本来の彼、なのだろうとも思う。
「貴女が
その言葉に、シンシアの心の中に温かいものがじんわりと広がっていく。
あなたがそう思ってくれたのなら、私もよかった。
ポツリポツリと投げかけられる彼の言葉に、シンシアは優しく頷くのだった。
「…お嬢は?」
「ぇ、私?」
不意打ちのように聞き返されて戸惑う。
「…俺に聞きたいこと、あるんじゃねーの?」
「フィーゼに聞きたいこと?」
一体何のことを言っているのだろうか?すぐにはピンとこない。
「チッ…。あぁ、もぅ、悪かったよ!
10年前の契約の時、師匠とグルになって、俺は貴女をいいように言いくるめて、同情心を煽って無理矢理に契約させた」
突如そう言って荒々しくも暴露した従者。
それを聞いて、———嗚呼、やっぱり、そう、だったのかと、それしかないシンシアは何も言わない。
「怒らない、のか…?」
あまりにも反応が薄い主に、従者は逆に心配になって聞いてしまう始末だ。
「別に怒らないよ。もう済んだことだし、今更何を言っても仕方がない、でしょう?」
「…っ、」
フィーゼはシンシアのあまりにの潔さにそっと口を閉じた。
今更———。
嗚呼、確かに、10年も経った今じゃもぅ、人間にとっては今更な話だろう。
全く、貴女はそうやっていつも諦めて、全てを受け入れてしまう…。
フィーゼはフッと歯痒そうに苦笑いを浮かべて息を吐いた。
精霊が吐いたその息は白くも残らず透明なまま消えていく。
———話さないつもりはなかった。いつかはきっと話そうと思っていた。その時期がここまでずれ込んでしまっただけ…。
悪いことをしてしまったと思っている。
本当はもっと怒ってほしい。
どうしてあの時騙したの?って。なんで今まで黙ってたの?って、ちゃんと怒って、問い質してくれた方がまだマシだ。
そうすれば、俺がどうしてそうしたのか、ちゃんと話せるのに。ちゃんと知ってもらえるのに———。
けど貴女は決してそうしようとはしない。相手を
それが悪いこととは思わない。むしろ素晴らしいことなのだろう。
それが貴女なりの優しさ、“ 慈悲の心 ”、なのだろうから。
けど俺からしてみれば、それはとても、とてつもなく、
もどかしい———。
こういう時、本当に貴女がよく見えないんだ。
貴女の心が何処にあるのかわからない…。
フィーゼはそっと深々と長い息をつく。
顔さえ見えないが、きっと彼女は今、必死に自分の心と整理をつけるのに躍起になっているはずだ。そして最後には困ったように笑うんだ。力なく。
———アイツみたいに。
ぁ、いや、だからアイツって誰なんだ?
ふと、いつも浮かびそうではっきり出てこない誰かのことが脳裏に過り、フィーゼは頭をフルフルっと左右に振るのだった。それと連動するように、耳飾りもゆらゆら揺れていた。
♢
———それから2人は宿に戻り、軽く食事をとって、荷造りをしてシンシアは馬車に乗り込んだ。前日の一悶着もあり、今度はモントレーの関所を難なく通過し、無事に国境を超えてジェヘラルト公国へ入ったのだった。
「うゎ、急に雨が降って来た…」
シンシアはポツリと呟きながら馬車の窓の景色を伺っていた。
窓にはポツポツと雨粒が打ちつけてくる。
馬車の後ろに控えるフィーゼも、片手を空に向けながら、天候が変わったことを体感していた。
これがジェへリッシュウェザーってヤツか。と、めんどうそうに外套のフードを被って雨除けにするフィーゼ。
「さすが水の国だな。今度は雪じゃなくて、年がら年中雨が降る国か…」
国境を超えたあたりから空模様は急に雪から雨に変わっていたのだ。
———それから、こんな変化も生まれていた。
〈ずっと雨だなんて、なんかイヤかも…〉
「ぇ、なに、悪口?」
〈違っ!そういうわけじゃ———〉
馬車の中でポツリと溢したシンシアの言葉が、なんと馬車の外にいるフィーゼにも聞こえているのだ。
それは馬車の中にいるシンシアも然りで、馬車の外にいるフィーゼの声が聞こえている。
初めは戸惑う2人だったが、きっとこれはお互いの耳飾りがなせるものだとフィーゼは分析していた。
どこまでの距離までこれが有効かはまだわからないが、離れた位置にいてもお互いの声が聞こえる通信機を手に入れたのだった。
「———おぃおぃ他国の悪口なんかやめてくれよ?お嬢の立場でそんなん言ったら国際問題にもなりかねねーんだから」
〈うぇ、待って、勝手に話を大きくしないでよ…〉
あわあわするシンシアの反応をフィーゼは想像しながら一人クスッと笑っていた。
「…そういやその、婚約者?って、どんな人?会ったことあるのか?」
〈小さい時に、一度だけ。お母様のご葬儀に参列してくださった時に。ジェヘラルト公族は遠い親戚に当たる人たちだから〉
「お嬢のお袋さん、前公爵夫人は、ジェヘラルト公国に属する小国の姫君だったんだっけか」
〈うん。あちらの公王様のはとこ、だったかな?
そのご子息の殿下は、当時まだ10歳くらいだったのに、公王様の代理として出向かれて、立派にお役目を果たされていたって、周りはすごく讃えてたっけ。私はほんの3歳か4歳だったから、よくお顔も覚えてないけど…〉
力なく笑うシンシアに、そうか…としか返せないフィーゼ。
———いくら立派だろうが何だろうが、話したこともない、顔もよく知らない、そんな相手が、自分の将来の夫だなんて、なんともやるせない話だ。
そんなことを思いながら、フィーゼはボーッと空から降り続ける雨粒を見上げる。
「じゃ、今回がほぼ初対面、ってわけか」
〈うん。…まぁ、お手紙でのやり取りは、してるんだけどね〉
「手紙…?」
意外な返事にフィーゼは軽くしばたく。
月に一度、学園にシンシア宛に届く手紙の存在は知っていたが、誰からなのかは記されていなかったため、何度か危うくゴミ箱行きになりそうになっていたのだった。
———捨てずにちゃんと渡しててホントよかった。偉い、俺!
フィーゼは静かに自分自身に拍手喝采を送る。
「わざわざ学園でやり取りしなくても…。それに送り元が———」
〈名前は書かないでって、私がお願いしたの。他の人に見られてもいいように〉
「あぁ、なるほどね…」
“ 他の人 ”———俺のことか?と内心ドキッとするフィーゼ。
〈学園での私の様子が知りたいって言われて…。文通が始まったのは、5年ほど前?———初等部の高学年になった時くらいから、だったかな〉
「っ…、」
確かに、それくらいの時期から届き始めた気がする…と、フィーゼはシンシアの言葉に静かに頷く。
———やはり手紙を捨てなかった自分に心の中で改めて拍手を送っていたフィーゼなのであった。
「歳は?お嬢と同い歳くらい?」
〈…えと、7歳くらい上、だったかな〉
「ぇ、7歳?!…てことは、ぇ、24?!」
意外といってんな〜、と目を丸くするフィーゼ。
「明日の7月21日がお誕生日だから、その日に24歳になられるんじゃないかな?」
「はぁ?!明日が誕生日??…だから呼び寄せたのか?」
〈そんな…、きっとたまたまだよ。ちょうど私が夏休みだろうから、一度視察がてら、交流を深めるためにもジェヘラルトに遊びに来ませんかって、手紙には〉
「たまたまなわけあるかいっ!わざわざお嬢にじゃなくて、実家にそんな手紙を送りつけてきたんだろ?」
フィーゼはそう言って全力でツッコむ。
誕生祭のパーティーがあるから、そこで今年成人したお嬢を、正式に妃だって周りにお披露目するために、わざわざ呼び寄せたんだ。絶対そうだ!
はぁ、ただの金持ちの道楽に付き合わされるこっちの身にもなれってんだ、ったく。
溜息混じりに思わず苦笑いを浮かべた。
「んで?お嬢はどう思ってるんだよ、ソイツのこと」
〈ちょっ、ソイツじゃなくて、
エリオット・アッシュベル・ネヒオ・ジェヘラルト公子殿下!
ちゃんと覚えといてよ…〉
シンシアは少し呆れ顔で言葉を紡ぐ。
主の言葉に適当にへいへい、とだけ返す彼。
そんな従者の反応に、これからの彼の立ち居振る舞いが少し心配になってしまうシンシア。
当のフィーゼは、
長過ぎて3分の2も覚えられんわ…。
と上の空だ。
〈———お手紙だけ見てたらね、丁寧で優しい人〉
ポツリと聞こえた主の言葉。先ほどの、相手のことをどう思っているか、の答えだろう。
「っ…、ぇ、それだけ?」
予想以上にコンパクトにまとめられ過ぎていて思わず聞き返す。
〈だ、だって、喋ったこともないし、正直、顔もよくわからないし…〉
「…ぁ、そ」
それもそうかと適当に返事をする。
〈…あと、噂によれば、“ 雷の加護 ” を手に入れたとか、なんとか〉
「雷?精霊と契約したってことか?」
〈そうみたい。はっきりとはわからないけど、お父上のジェヘラルト公王様は、水の神様、イクエス様と契約してるみたい〉
「っ…、だからこんなに栄えてるんだな。この国は」
シンシアの言葉に、フィーゼはどこか合点がいった。
〈…え?〉
どういうこと?と少女が尋ねるてくる。
「王が神と契約している国はとても安定しているし、繁栄している国が多いって聞く」
今、神との契約が成されている国は、クロノス帝国とこのジェヘラルト公国の2つだ。
きっとこの国は、王が程よく水を、雨をコントロールできているから、災害とかに困ることもそうそうないのだろう。
「てか、なんでそもそもクリミナードは水の国と繋がっときたいんだ?」
風は水とは相対する力。簡単に言えば交われない。それに、西の国と東の国の間には帝国が鎮座なさっており、位置的には一番遠い国同士なのだ。それなのになんでわざわざ?遠く見えざる敵をお互いが監視し合うため、か———?
フィーゼは首をかしげながら頭を捻る。
〈クリミナードは風の国で、国土のほとんどが乾燥地帯でしょう?場所によっては砂漠地帯もあって、とにかく雨が少ない国なの。だから———〉
「水の国との交流は必要不可欠。下手すりゃ死活問題ってわけか…。ハハ〜、本当に俗に言う、THE 政略結婚ってわけだ」
フィーゼは苦笑いで小さく息をつく。
水は生命の源。枯渇すれば人間はたちまち死んじまう。全く、人間の命とはなんと儚きことよ。
そんなことをまるで他人事のように思っていた。
クリミナードの王都を少し離れた砂漠地帯は特に乾燥や熱で水が干上がることもざらにあり、人が居を構えがたい地域でもある。ジェヘラルトが供給する水をそこにまで可能な限り行き渡らせ、民の生活の助けとなるよう、かつてより代々のクリミナード公王は努めているのだ。
〈———だから、フィーゼ?言動にはくれぐれも気をつけてよ?〉
「っ、ま、善処する」
相変わらずどこまでも曖昧な返事に、馬車の中の少女は、も〜、わかりました!とか言えないかな?と苦笑いだ。
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